羊蹄学園大学社会学部講義集

北の大地に突如としてできた架空の大学。
かつてないテーマで綴る社会学とは?

喜茂具理佐の沖縄論第2回~愛・地球博の年に想う(1)~

2005-09-01 11:24:31 | 沖縄論第1章
(1、プロローグ)
えー…講義に入る前に、今回が初めてという人は、まず前回のオリエンテーションを読んでから、この講義に臨んでください。

それから…前回も言ったように、聴講生は一人でも多いほうがいいので、ここでどんどん宣伝してください。

よろしくお願いします。

それではいよいよ、講義…「第1章、愛・地球博の年に想う}をはじめていきます。

まず…
今年はイロイロな意味合いのある年です。
ちょうど今だと衆議院選挙、郵政解散というやつです。
あとは…地震も何回か起こっている。
あぁ、ホリエモン騒動…ニッポン放送株の問題なんかもそうですね。
政治、科学、経済の見地だけでなく、歴史の見地からも…そうそう、戦後60年というやつです。

沖縄論というのをやっている私にとって、2005年の今年、戦後60年の存在と同時に「愛・地球博」の存在が大きくのしかかってきました。
というのも、私が今回、沖縄論にこうして取り掛かろうと思い立った直接の動機は、ブラウン管の向こうから映し出された「愛・地球博」(万国博覧会)開催の模様、が目に飛び込んできたことにありました。
まぁ確かに「自然の叡智」という崇高なスローガンが掲げられ、多くの来場者で賑わう姿が平和裏に映し出されています。
しかし開催にこぎつけるまで、「自然の叡智」とは程遠い、開催地では自然環境破壊の恐れを懸念され続けてきたのも事実です。
私はね、「嗚呼…またか」と、私はこの開催の陰にあることを想ったんです。
国際的で大規模なイベントが起こるたびに「もたらされるもの」は、大きく変わらないではないか、とね。

沖縄論の見地から沖縄の国際的・大規模なイベントを挙げるとすれば、たとえば5年前の沖縄サミットと、沖縄の本土復帰の象徴とされたイベント、沖縄海洋博覧会というのが挙げられます。
さっきも言いましたが、今年の愛・地球博と「もたらされるもの」はさほど変わりません。
そう考えると…まぁ傍から見ると強引かもしれないけれど、でも私はこの愛・地球博が開催されていることに、戦後60年もあいまって私は何か複雑な心境に陥ります。
そしてそれは後で述べますが、ある体験で間違いではなかったと確信していくのですが…

私の沖縄論はこんなところを…つまり海洋博覧会・沖縄サミット・愛・地球博に触れるところを取っ掛かり、「第1章」として進めていきます。

それじゃ、この時間はここまで。
次の時間からは、本格的に第1章の内容を…「海洋博覧会への個人的視座」と題して進めていきます。

乞うご期待。



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2 コメント

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なんですかー? (坊さんの宮ちゃん)
2005-09-01 18:19:10
私も実は道産子。十勝の音更生まれです。

ところでこのサイトはギャグですか?マジですか?

ドーしてミーのところにトラックしたのですか?
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Unknown (どーくん)
2005-09-02 08:39:19
こんにちは。

>私も実は道産子。十勝の音更生まれです。

私の出身地と意外と近いですね。

私は北見です。



>ところでこのサイトはギャグですか?マジですか?

…それは読む人の判断です、としておきましょう。



>ドーしてミーのところにトラックしたのですか?

このブログに関連するキーワードでブログ検索をしたら、たまたまひっかかった…というだけです。

他意はないです。

迷惑だったら謝ります。
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