ドドメのぽっこりタイム

趣味の「猫写真」と日々の出来事。(=^・^=)
気ままに生きるおばさんOLの日記です。

祖父の思い出 =東日本大震災=

2012年03月11日 | 日記


やっと、家の近所の梅の花が満開になりました。

今年の冬は寒かったですね。

去年、この梅の花が咲いていたか?

実は私、全然覚えていません。

昨晩去年自分が書いたブログを読みなおして、余震が怖かった事と、買い物が大変だった事を思い出したのですが、残念ながら梅の記憶は・・蘇りませんでした。

話は変わりますが、私の祖父はお酒好きな陽気な人で私が小学校6年の時に他界しました。

私はこの陽気な祖父が大好きでした。

いつも変な作り話、孫悟空にタコ入道が出て来て三蔵法師をさらっていく冒険劇とか、番町皿屋敷の話に真田十勇士がでてきたりというストーリーを私に話して笑わせてくれました。

でもそんな祖父がとても悲しそうな顔をして語った話があります。

それは関東大震災の話。

祖父は8歳の時に登戸(神奈川県川崎市)で被災したそうです。当日家で震災に遭ったそうで、揺れの激しさに立つ事も走る事も出来ず、腰が抜けたような状態のまま這って裏の竹藪に逃げた。逃げる時に瓦が落ちるのではなく揺れに合わせて飛んできたなんて話をしてくれました。

私が祖父の話を真剣に聞いて怖がっていたら、祖母が

「おじいちゃんの話は大袈裟だから、信じなくていいのよ。」

って話を遮ったのですが、それを聞いた祖父が

「何をいっているんだ。お前が知らないだけで本当の話だ!きちんと子供に教えなければいけない事なんだ。」

と祖母に対して声を荒げました。普段温厚だった祖父がそんな姿を見せたのはその時だけだったので、とてもよく覚えています。

その後祖父は他界し、そして関東大震災で被災しなかった祖母が今回東日本大震災の恐ろしさを身を持って知ることとなりました。

なんとも皮肉な話です。

今日は昼間から、昨年の震災を振り返る番組が各局で放送されました。

忘れてはいけない事だからと、かなり刺激的な映像を流している番組もありましたね。

私は祖父の言うとおり、震災の事は語り継がなければならないし、日本の国民が忘れてはいけない事だと思います。

でも、あの日の映像をそのまま流す事が本当に良い事なのか?

刺激的な映像を流し過ぎた事によって、人の心が鈍感になる事はないのか?

と、とても心配になります。

先日とある番組で、震災の最中ビルの外壁が崩れ落ち、その崩れ落ちる中をサラリーマンが走って逃げるというシーンを放送していました。

そして、その番組の司会者がこう言ったんです。

「首都直下型地震が来たら、首都圏でもこういう状況が起こるんです。」

私はこの言葉を聞いて愕然としました。

なぜなら、このビルの外壁が落ちる映像は横浜で撮影されたものだからです。

横浜って首都圏じゃなかったんだっけ?

番組の司会者がどの地域の映像かもわからず、ただ刺激的な映像をタレ流しているという事に本当に驚きました。

ちなみに、色々調べたり聞いた話によると、東日本大震災で上から瓦礫が落ちてくる中を逃げるという映像はこの映像しかなく、(東北では撮影されなかったか撮影出来る状態じゃなかったらしい)海外でもコレが東日本大震災の代表的な映像として紹介されているそうです。

横浜駅西口でダイエーの周りの地面がいきなり割れて動き出す映像も、東北地方の映像だと思われている方が多いようですが、コレは首都圏で起きたものです。

忘れないようにするのも、語り継がなければならない事も、真実であることが第一条件です。

まだ日本列島は安定した状態になっていない、まだ地震は続くと言われるなかで、私は祖父の悲しそうなあの表情を最近よく思いだします。

被災した人でなければ判らない、悲しみを察してあげる気持ち。

そして、真実を真実として受け止め次世代に語り継ぐ事はとても大切だと思います。

刺激的な映像ばかり放送する番組の関係者には是非考えを改めて欲しいな。

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私の祖母は福島出身の人でして、、関東大震災(当時8歳)の記憶はほとんどないそうです。

だから、祖父の体験した事が理解できなかったのかもしれません。

祖父は死ぬまで震災の傷を抱えていました。私達の痛みも消える事はきっとないんですよね。



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コメント (2)
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