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岩手県 北上市立博物館②国見山廃寺跡の文化財

2023年12月04日 12時29分20秒 | 岩手県

北上市立博物館。岩手県北上市立花。

2023年6月11日(日)。

みちのく民俗村の重要文化財・旧菅野家住宅を見学したのち、北西近くにある北上市立博物館を見学した。

博物館内を構成する6つのテーマは、平泉に先立つ仏教文化の世界「国見山廃寺」、縄文人の生活と祈り「樺山遺跡と八天遺跡」、蝦夷(えみし)たちが眠る「江釣子古墳群」、乱世を生きた武将たち「和賀氏とその時代」、南部と伊達の藩境に生きる「藩境のまち」、北上川の流れとともに「黒沢尻川岸」である。

国見山廃寺跡は岩手県中部、北上川東岸の丘陵地にある古代の山岳寺院跡である。標高約245mの国見山南麓の内門岡集落には国見山極楽寺があり、それを囲む北、西、南の丘陵上、標高150mから200mに立地する。発掘調査を行った結果、塔跡1基、七間堂1基、三間堂3基が確認され、『日本文徳天皇実録』天安元年(857)条に見える定額寺、陸奥国極楽寺に比定された。

国見山廃寺の創建は出土土器から見て9世紀中頃にさかのぼる可能性が考えられる。文献に見える極楽寺とは確定できないが、中央政府の出先機関である胆沢城の北約10kmにあり、国家北辺を鎮護するような位置にある。

10世紀後半から11世紀にかけての最盛期には、周辺にいくつかの廃寺跡が確認されており、この地域における仏教の普及が知られる。調査で明らかとなった大規模な山岳寺院としては我が国最北の事例であり、古代国家北辺における仏教の普及を具体的に物語る貴重な遺跡である。中世以降も現極楽寺が宗教活動を継続し現在に至っており、遺構とともに周辺の山地と集落の景観もよく保存されている。

出土遺物には鬼瓦、軒瓦、道具瓦のほか塼、仏像の土製螺髪、八稜鏡などがある。極楽寺に伝世し、重要文化財に指定されている平安後期の銅製の錫杖頭1点及び竜頭4点も当廃寺跡に関連したものと推測される。

銅錫杖頭。重要文化財。平安時代中期。

高さ15.0cm。輪径10.7cm。柄径1.6cm。鋳銅製、輪は断面菱形。

円形の弧状で、下端は蕨手状に内に巻き込む。輪頂、内部の柄の先、左右の蕨手上にそれぞれ水瓶を装している。柄は竹節形で、二条の紐をつくり出す。

銅龍頭。重要文化財。平安時代中期。

①高さ8cm、頭長24.9cm、頚径5.5cm。②高さ25.1cm、頭長24.9cm、頚径5.2cm。③高さ17.0cm、頭長24.9cm、頚径5.0cm。(頚部半欠)④高さ7.9cm、頭長2.5cm(頭部だけ残存)。

鋳銅製、口を狭く開き、首を深く曲げた龍頭で、上唇を長く突出し、牙は長くて上を向き、額に一角を出す。頚は円筒形、背に鬣を浅く鋳出し、鱗を毛彫りする。

龍頭は、法要の際に立てる巾幡竿の頭部であって、遺品は少ない。その中で、この龍頭は平安時代の古い作であり、鋳上りも製作も優れている。

これまでの調査によれば、内門岡集落西方の国見山神社周辺とその南方のホドヤマと称される地区を中心に、集落周辺とその北方の如意輪寺周辺に広く遺構が分布する。このうち国見山神社周辺とホドヤマ地区に古代の遺構が集中する。

まず9世紀後半に国見山神社周辺にいくつかの掘立柱建物が確認される。

10世紀後半から11世紀にかけては最も数多くの建物遺構が確認され分布域も拡大し、当廃寺の最盛期と考えられる。掘立柱建物に替わり礎石建物が成立するが、瓦の出土量から見て全面瓦葺きではない。七間堂建物は南斜面を造成して建てられており、9世紀後半の掘立柱建物から礎石建物に替わる。桁行7間、梁行1間の身舎に須弥壇が伴いその前面に8間の廂を付ける構造であり、規模から見て中心的な仏堂と考えられる。

ホドヤマ地区には新たに多重塔や須弥壇を伴うと見られる三間堂などが建立される。

丘陵上に立地する建物は12世紀になると急速に衰退する。この時期以降の建物遺構は集落周辺に確認され、集落内にはドウ、ボウなど寺院に関係する地名が多数残ることからも、中世以降集落周辺に寺院の中心が移ったものと考えられる。

天明8年(1788)、紀行家・菅江真澄がこの地方を訪れた際に国見山を訪れており、山頂の大岩である戸木の峰(とこのみね)の大悲閣で地元の老人に次のような話を聞いている。

「ごらんなさい、あちらの木々のなかには、むかしは金福山定楽寺といった大寺があって、あらゆる寺の頭であった旧跡です。」

この時代には既に国見山廃寺はあとかたも無くなっていたが、伝承の中にしっかりと息づいていた。

岩手県北上市 中尊寺のルーツ 国史跡・国見山廃寺跡 北上市立博物館①

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