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北見市 国史跡・常呂遺跡①ところ埋蔵文化財センター

2024年08月13日 09時10分57秒 | 北海道

ところ埋蔵文化財センター。北見市常呂町栄浦。

2022年6月16日(木)。

13時45分ごろにモヨロ貝塚を出て、能取湖岸を半周し、常呂遺跡西端の史跡公園である「ところ遺跡の森」内の「ところ埋蔵文化財センター」横の駐車場に14時30分ごろに着いた。本来は6月18日(土)に礼文島桃岩台トレッキングを予定していたが、降雨の予報となったので1日前倒しにした。

翌朝は6時30分発の礼文島行きフェリーに乗ることにしていたので、道の駅「稚内」へは今夜中の早い時刻に着かねばならず、時間がない。「ところ遺跡の森」から道の駅「稚内」までの距離は277㎞5時間ほどだ。15時30分に出ても20時30分ほどの到着となる。

ところ遺跡の森」では「ところ遺跡の館」、「ところ埋蔵文化財センター」、復元住居群「擦文の村」の見学を予定していた。「ところ埋蔵文化財センター」はガイダンス施設のようなものだったので、東京大学文学部常呂資料陳列館を見学した方が良かったかもしれない。

「ところ埋蔵文化財センター」を最初に見学したのは、主要道路沿いの駐車場が広大すぎて「ところ遺跡の館」がどこか分からず、シラカバ林の中の道を進んだら、埋文センターがあったためだ。東大の資料館も近くにあるが駐車場がないので、諦めた。

国史跡「常呂遺跡」は、オホーツク海をのぞむ海岸に沿って常呂川の河口からサロマ湖東岸へと続く幅約300m、長さ約2.7㎞の砂丘上に立地し、約2700基の竪穴住居跡および墳墓と推定される多数の小形の竪穴状遺構が検出された。遺跡の時代分布は、縄文・続縄文・擦文・オホーツク文化・トビニタイ文化・原アイヌ文化と各時代にわたっているが、擦文文化期が中核をなしている。

擦文文化の集落遺跡としては北海道最大規模を有し、オホーツク文化期の住居跡も発見されており、特異な存在となっている。その中で特に保存状態が良好ないくつかの遺跡が「常呂遺跡」の名称で国指定史跡となっている。史跡「常呂遺跡」とは1箇所の遺跡ではなく、これらの遺跡の総称である。

「常呂遺跡」はサロマ湖東岸に面した西端の岐阜台地西部竪穴住居群が「ところ遺跡の森」として整備・公開されているが、大部分は大きな改変を受けることなく保護されており、現在でも発見当時の面影を見ることができる。

A.常呂竪穴群。縄文・続縄文・擦文。

遺跡は国道238号線沿いの樹林の中に広がっている。オホーツク海沿岸の標高5~20mの砂丘上に広がる遺跡。常呂地区のオホーツク海岸の砂丘上には数kmにわたって遺跡が広がっているが、このうち最も東側の地区(北見市常呂地区の市街地に近い方)が常呂竪穴群と呼ばれている。砂丘は西側に続いており、そのまま栄浦第二遺跡が広がる砂丘につながっている。

B.栄浦第二遺跡・栄浦第一遺跡。(TK-29遺跡、ST-1遺跡)。縄文・続縄文・擦文・オホーツク。

オホーツク海沿岸の延長約3km、幅約300m、標高5~20mの砂丘上に竪穴住居跡が広がっており、この2地点だけで2000基を超える竪穴住居跡が確認されている。

C.岐阜台地西部竪穴住居群。旧石器・縄文・続縄文・擦文。

サロマ湖東岸には「岐阜台地」と呼ばれる小高い地形が広がっている。この岐阜台地では各時代の遺跡が見つかっている。

中でも岐阜台地の西側の栄浦地区にはST-6、ST-7、ST-8遺跡、ST-9遺跡と様々な時代の集落遺跡が密集しており、また多数の竪穴住居跡が埋まりきらずに残っていた。こうしたことから、この地区の遺跡は1990(平成2)年、「史跡常呂遺跡」の範囲の追加という形で国指定史跡に指定された。現在、史跡公園「ところ遺跡の森」となっている。

D.常呂川河口

トコロチャシ跡遺跡は国史跡常呂遺跡を構成する「トコロチャシ跡遺跡群」のうち北側の地区に相当し、常呂川東岸の台地の標高15~20mの一帯に広がっている。隣接するトコロチャシ南尾根遺跡と合わせて平成14年9月、史跡常呂遺跡として追加指定を受けた。

遺跡の北端部の一角がアイヌ文化期のチャシ跡となっているが、それ以外にも縄文時代(早・前・中・後・晩期)・続縄文・擦文・オホーツク・アイヌ以降の各時期の遺構や遺物が出土しており、北海道東部の文化の変遷を明らかにする上で重要な遺跡である。

トコロチャシ跡遺跡では縄文時代前・中期、続縄文時代の資料も比較的多く出土しているが、特に注目されるのがオホーツク文化に関する資料であり、竪穴住居跡が10基以上あるほか、墓地なども見つかっている。台地の直下に位置する常呂川河口遺跡と合わせて、オホーツク文化を代表する遺跡の1つとなっている。

トコロチャシ南尾根遺跡 (TK-19遺跡)は、常呂川河川敷に面した標高15~25mの段丘上に立地する縄文(早・中・後期)・続縄文・擦文・オホーツク文化時代(トビニタイ)の遺跡である。

近くに東京大学文学部常呂資料陳列館があるようだったが、樹林帯にさえぎられて視界に入らなかったので、「ところ遺跡の館」へ向かった。

 

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