砂漠のレインメーカー

夕暮れの 陰の廃墟に 病みを視る
宿す闇こそ 塩の道なり

最高裁判決にあきれる…

2011-07-16 19:59:47 | 人文・社会思想

最近のニュースで気になったこと。
1つは賃貸住宅更新料の裁判で、更新料を有効としたこと。
理由の一つは契約社会であり、貸し手と借り手は対等な関係で契約を選択し、賃借契約を結んでいるということ。
聞いてあきれる理由だ。不動産屋に行って、通常、借り手側が一から対等な関係で家賃や細かい賃借契約を結ぶことはほぼない。
提示された物件にたいし、「敷金・礼金・更新料を0で、月の家賃を1万円下げてくれ」「せめて敷金・礼金・更新料、現状の半分で」と言おうものなら、門前払いにされるのがおちである。その他、日本の不動産契約の現状は「外国人、水商売のかたお断り」と極めて差別的な契約内容が横行している。
それでこの判決である。日本の司法(というより世間)は「持たざる者」より「持つものを守る」とうことか…

2つ目は、現大阪府知事の橋下徹知事が、テレビ出演時に「光市母子殺人事件」での被告人側弁護団へ懲戒請求を呼びかけた事件。
この件につき、光市事件の弁護団の一部がこの懲戒請求の呼びかけが不法行為であり、また弁護士業務に多大な影響を与えたと主張し、名誉棄損や損賠賠償の慰謝料を訴えていた裁判。

最高裁は、不幸行為も名誉棄損も慰謝料も認めなかった。1つ目よりあきれる。
この事件と、裁判自体の判決は跡とし、疑問と皮肉を。
橋下氏の呼びかけが、表現行為の一環であるのであれば、なぜ東京都の教職員が「日の丸・君が代」不起立を呼びかけたことが違法なのか?全く理解に苦しむ。
ことは橋下氏の場合より深刻かつ重要な問題で、法と人権が守られたのか、棄損されたのかということである。
しかも、係争中の少年刑事裁判関する出来事なのだ。

もう一つ。橋下氏の呼びかけに、懲戒請求をかけられた弁護士たち(橋下氏自身は懲戒請求をしていない)に本当に多大な影響は出ていないのか。彼らは、一件一件の懲戒請求に対応しなければならなかった。
さらに、彼らは理性の通じる社会ではなく、理性や法というものが通じない「世間」という得体のしれないものの怒りをかったのだ。それをけしかけたのは橋下氏と言っていい。
おそらく、封筒にカミソリが送りつけられる、無言電話や嫌がらせの電話が数多くかかって来る、脅迫状が来る等のこともあっただろう。
このようなありえた、また想像でき、また今後もこのような事態が予見されるにもかかわらず、橋下氏には「おとがめ」がないのである。

日本の、法と秩序などというのは無いに等しい。
「長いものに巻かれろ」という「世間」が、ほとんどの生殺与奪の権利を有しているのだ。それに乗っかるか、乗っからないかという話だ。
橋下氏は、この生殺与奪の権利に乗っかったのだ。
(ここに彼が「ニヒリスト」だという理由もある。かれはいかなる困難がありえても、自分が死に瀕しようとも、守るべき価値など持っていない。生殺与奪の権利に乗るか、またはこの世間の生殺与奪の権利を煽りたてるか、それしかない。だから、彼は価値など持っていない)

これを言うことは、心苦しいことだけれども、言っておかないといかない事がある。非国民扱いされても。
彼らは本当に同情と保護を加えられるべきだと思っている。
しかし、マスコミ等で積極的に発言している一部被害者遺族の方々、それも厳罰と死刑存置、そして自らがかかわる裁判で死刑を望む遺族の人々。僕は、彼らも「世間」の生殺与奪の権利に乗り、この生殺与奪を煽りたてているだけにしか見えない。
それは勇気ある個、個人の発言ではない。

≪辺見庸『瓦礫の中らか言葉を』から≫
辺見庸は、「世間」には個がないと言っている。個人がないと。法や論理、理性ではなく、なあなあ、「長いものに巻かれろ」、日常の諧調を見ださないという論理。それが徹底されている。そこで個人の理性や、人権というものは後回しにされる。そういう世界である。


私も四半世紀以上メディアの世界にいたから、良く知ってます。
オリンピック、戦争。メディアにいる人間は、個が個たりえなくなる。誰も異議を唱えなくなる。
まるで一緒に闘っているような顔付をする。

-----引用終わり-----


いま、日本は「個が個たりえない」世間と、世間的メディアのファシズムに直面している。
そう僕は思っている。



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