先日、こちらの映画館にて滑り込みで見てきた。
http://www.wasedashochiku.co.jp/
この後は、「永遠と一日」(昔、ビデオに録画しておいて見れずじまい)が上映されるそうだ。
テオ・アンゲロプロス
本年、急逝された、名前だけは知っている、ギリシアの映画監督。
今後各地で追悼上映がされるだろう。
その代表作を見ておこうと、駆け付けた。
★いくつ?:★★★
最近思うのだが、芸術作品なり何なりに点数をつけれるのか。
つけることなど、原理的に不可能なのだということを承知で、目安で星をつけたにすぎない。
よく、「一回見ただけでは、この映画の良さは分からない」というが、この映画はその典型例に入るだろう。
鑑賞後の感覚は、まず「疲れた・・・」
なにせ、上映時間が4時間近くある作品だからだ。
また事前知識も、余り入れずに見に行ったせいもあるが。
そして、感想をとりあえず一言でいうと「退屈な、見応えのある映画」
事前知識のないものにとって、導入部がとっつきにくい。
そしていわゆる「エンターテイメント」とは違うので、スクリーンのなかに入り込みにくいのだ。
さらに、(フィルムの劣化もあるが)僕らが観光イメージでもつギリシアの明るく快活な風景とは程遠い、以上にくすんだ映像。
とっつきにくさとしては、十分だ。
では、この映画の鑑賞の意味を僕が発見できなかったかというと、ちがう。
「見入る」ことはできた(それは異常な集中力が必要だったが)。
導入後、30分過ぎぐらいから第二次大戦前後のギリシアの歴史的苦難がストーリーに入りだす。
このあたりから、スクリーンのなかに入り込むことが出来だす。
途中築いたのだが、物語の主人公たちは旅芸人≒ジプシー
これは、何層にもわたる重層的な批評性にみちた映画なのか?
そして、単にギリシアの戦争・政治に巻き込まれた悲劇を捉えただけではないだろう。
失われつつある、今後失われるであろう、ある人々の生活への眼差し。つまり旅芸人達の、まさに「記録」。
詳しくはないが、柳田国男が「常民」に注いだ眼差しに近いものがあるだろうか。
忘れ去るわけにはいかない、人びとの生活の蠢き、うめき。
それらを、凝視する経験は貴重だった。
最後になるが、アンゲロプロスの急逝をうけて「彼はやるだけの事をやって、亡くなった」という声がある。
違うのではないかな。というのが、鑑賞後の僕の意見だ。
ギリシアは本作が描いた時代と、同様の危機のなかにある。
それも、「怠け者の国、ギリシア」というレッテルをはられかねないなかで。
西欧先進資本主義の近辺境に位置する、南欧ギリシアは大戦においても苦難を味わった。
そして現代の経済危機でも辺境の地、南欧の苦難は繰り返されているのだ。
この再度の、辺境の地である南欧ギリシアの苦難を、しっかりと自らの作品にアンゲロプロスは刻みつけたかったのではないか。