砂漠のレインメーカー

夕暮れの 陰の廃墟に 病みを視る
宿す闇こそ 塩の道なり

八月三日の死刑執行。

2012-08-06 08:43:01 | 人文・社会思想

僕と辺見庸との出会いは、彼が朝日新聞の日曜書評欄に『眼の探索』という連載を担当していた時である。
「本を読む」とう事をしだしてから、家に届く新聞の書評欄にざっくりと読んでいた。
その時に連載されていたのが、辺見氏の『眼の探索』だった。
辺見庸の『目の探索』。僕にとって、その文章は大きな衝撃だった。
その透徹した思考、批判、文章の美しさと硬質さ、鋭利さ。

僕のどうしようもない生のもどかしい感覚を代弁し、かつ僕自身の存在を詰問し、えぐり取り、吐き気をもよう
させ、世界の実相に直面させ、そして奈落へと突き落とす文章(不思議な事に、その奈落に突き落とされる
ことが、サディズムもマゾヒズムも介さず、読者に勇気を与え、生を豊饒化させるのである)

以来、辺見は僕が物事を考えるときの反復する参照点の一人となった。

以下で紹介する辺見庸の『眼の探索』からの文章は、八月三日に日本国において死刑が執行されたいま、
読まれなければならない文章である。

サッカー好きの僕として、「辺見さん、いやなキツイこと言うなあ…」というのが当時の感想だった。
(今でもその感覚はある)。

しかし、僕はこの世界と、死刑と言う事実と、辺見のテクストと対峙しなければならない。
だからこそ、今この文章を紹介しておく。
そして、全ての死刑制度、死刑執行、死刑判決に反対し続ける。

==========辺見庸 『眼の探索から』==========

六月二十五日

 六月二十五日、翌日に迫ったワールドカップ・サッカーの日本対ジャマイカ戦にお金を賭けた。友人たちの
多くが日本の勝ちと読んだが、配当のぐっと上がる1‐3で日本の負けを私は選んだ。
 結構いい線だったと得意になっているのではない。二十五日とは、振り返ってみれば、そのような日でもあ
ったということだ。一年三百六十五日、その一日を切り取ろうと、私の日常は金太郎飴みたいに変哲もない
けれど、注意深く眺めれば、その一日には是非にもその日でなければならないわけがあり、日々には日々に
それぞれの異なる貌があるはずなのだ。
 かりに九十八年の六月二十五日の顔にもっとこだわるとすれば、目鼻口をつけたその子細はこういうことに
あいなる。
 クリントン夫婦が中国入りした。天安門事件後初の米大統領訪中だから、翌日の朝刊一面で大きく報じら
れたのはいうまでもない。
 二十五日はまた、東京地方の日の出が四時二十六分、月齢一・〇、東京港は大潮である。
 そして六輝(ろっき)は、などと書けば、なんて古くさいといわれそうだが、それがこの国のわからないことこ
ろで、人は存外これを気にしているのであり、赤口(しゃこう)。一般にこれは大凶の日とみなされ、正午のみ
吉だという。
 同日はさらに、参院選の公示日でもあった。このたぐいのまつりごとに、私はどうにも関心を持てないたちで
あり、二十五日の意味を探る(あなぐる)なら公示日という点もまた欠かせない要素だったと気づいたのは、じ
つは、二、三日経てからことである。
 そうそう、二十五日未明、私の住む小塚原の刑場跡近くでは、鴉(からす)が十羽ほど激しく鳴きながら黒い
空を舞ったために、不眠症気味の私はなおのことまんじりともせず、天井の染みを見つめ暗澹として行く末を
案じる仕儀とはなった。それは、まあ、別してあの日の夜明け前にかぎったことではない、といえばいえない
こともないのだが。
 ある国家的行事の日取りを、六月二十五日と決めた者の狡知に私はたまげているのである。私の揣摩(し
ま)憶測によれば、その者は、少なからぬ日本人がそうであったように、ジャマイカ・チームをなめていた。二
十六日夜から二十七日にかけて、この国は挙げてW杯初の一勝に酔う、とおそらくは踏んだ。
 その者の見積もりでは、だから、対ジャマイカ戦は「大祝祭」となるはずであった。大祭祝日、一月一日、同
二日、十二月三十一日にはあれをとり行わないという法律を援用したつもりだったろうし、二十五日の行事は
どのみち、マスコミ先導のお祭り騒ぎで吹き飛んでしまう、帳消しになってしまう、と予測したのではないか。
 国会閉会後というタイミングは、近年の慣行にのっとったのであろう。
 加えて、公示日を選べば、ただでさえ選挙しか頭にない議員はろくな議論もしないし、土台、あれはちっとも
票にならない。問題は、つまり、突出しない。
 にしても、公示日当日とは、ずいぶんえぐい選択ではあった。各法務大臣に在任中一回以上は執行命令を
出させたいという事務方の”意欲”もほの見えるのである。
 その者は、日本のW杯出場で激増した、にわかサッカーファンの一人であり、自覚的な愛国者であろうと私は
目星をつけている。でなければ、安直に勝利や祝祭を信じはすまい。六曜を大事にしているらしいことからも、そ
れはうかがわれよう。
 昨年は八月一日(先負(せんぷ))を選び、執行した。先負は、しかり、御膳が凶なよし。彼は、一般的死刑反対
論の底の浅さも熟知しているリアリストでもあるかもしれないな。作家が縊(くび)り殺されたのでなければ、とく
に反応もしない表現者が、なるほど、この国では大半を占めている。

 さて、後学のために、六月二十五日に三人の絞首刑執行日と決めた者の人となり、歳かっこうを知りたいもの
だ。暗く密やかに周到に日を選び、十九世紀の太政官布告が定めた絞首装置による死刑を、二十一世紀にもつ
づけようというあんた(方)の顔を見てみたい。
 後生だから、私よりも年若くはあってほしくはないが。



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (三友亭主人)
2012-08-06 23:26:32
ぽ久しぶりの更新、うれしく思います。

おもえば私がこのブログを訪問するようになったのは、ここで紹介されていた辺見庸氏の文章に誘われてのこと・・・氏の文章に関しての「透徹した思考、批判、文章の美しさと硬質さ、鋭利さ」といった評、同感頻りです。
私が彼に初めて魅かれたのは・・・その文章ではなくテレビジョンの映像からでした。「ものを食う人々」で彼の名はすでに世に知られる存在となっていたのですが、私はなぜか興味が持てず・・・というよりは、世が騒げば騒ぐほど逆にそこから目を背けたくなるという天邪鬼な感性が邪魔をして・・・読むことなくいたのですが、ある日その「ものを食う人々」にまつわるドキュメントがあって何気なしに見ていると・・・そこにやや東北の(それもかなり懐かしく感じられる)訛りをもってとつとつと語る男がいました。それが彼でした。私はその雄弁とは言えない・・・というよりはとぎれとぎれの言葉にあっという間に弾かれてしまいました。「真摯」という言葉を久しぶりに想起しました。古典文学を専攻していた私に唯一近代の思考を教えてくれたのが高橋和巳でしたが・・・それ以降の作家に、高橋の持つ「真摯」さを感じることなく・・・ひたすら自らの思考の基準を高橋和巳に求めていたのですが・・・辺見氏の言葉に触れるようになってまた一つ自分の中に基準が生まれたような気持ちでいます。
「真摯」の現実を見、「真摯」に考え、「真摯」に言葉にすること・・・「真摯」という言葉が世に忘れ去られてしまおうとしている今・・・彼にしかできない表現の形なのだなとつくづく感じられます。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。