小うつな人・ケアマネな人、を応援する日記

小うつな方・ケアマネな方、どっちでもある方のために捧げる、ネタのたわごとです。めざそう癒し人!?

「大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ」 中村仁一著 幻冬舎新書刊 を 読んで(その1)

2012-08-27 08:45:15 | 弱さへの思考
blog転居移行中!

http://psalm098.blogspot.jp/

お手数ですが、ブックマークの方は、変更を願います。

-----


今生きている方々、全員に読んで欲しいと願うほど、実に明確な本だった。特に、家族に要介護者がいたり、病者・要介護高齢者にかかわる職業の方々にはぜひとも読んで欲しい。
図書館にも蔵書していると思われるが、予約数でいっぱいのはず。新書で安いので、購入したほうがいいかもしれない。

著者は、京都大学卒業、医者となり、現在は特養の医者をしている。もう、高齢者の域だが、考え方は独特の価値観を持つ。

本書の内容をざっくりと説明すると、死生観の構築である。
加えて、医療の不手際の指摘。その医療と、この国の人びとはどのようにかかわりを持つか=距離感の取り方、を著したものである。


「はじめに」のところで、すでに、blogするには内容が濃すぎる。

○医者には序列がある。大学病院の医者が頂点で、以下、国立病院→日赤→済生会→県立・市立の「税立病院」と続き、次が、民間の大病院→中小病院→一番下が町医者(開業医)→その下に老人ホーム等福祉施設の医者。

もう、ここで、すでに、コメントしたい。
医者はヒエラルキーによって成り立っている。それはまるで大会社のようだ。同じ「医者」を名乗っていても、確実に序列が生まれている。ところが、大学病院の医者は一番最下層の「町医者(開業医)、老人ホーム等福祉施設の医者」より「腕が良くて、病気のことは何でも知っている。絶対に治してくれる」と思ったら大間違いである。逆もある(経験上、開業医さんの方が、レベルが高い。特に在宅医療専門の医師はピンキリではあるものの、少なくとも「生活」を視点に、医療を行ってくれる)。

実にくだらない世界でしょ?

以下、引用を継続。

○病院では最後まで、何かと処置をする。いや、しなければならないところが「病院」。よって、「自然死」はありえない。在宅における死も、ふつうは、病院医療を引き継ぐ(在宅酸素とかリハビリとか投薬とか)。よって、ほとんど「自然死」はない。

○また、医者も、何もしないことには耐えられない。しかし、それは、「穏やかに死ぬのを邪魔する行為」なのだ。

○よって、ほとんどの医者は「自然死」を知らない。人間が自然に死んでいく姿を見たことがない。だから「死ぬのにも医療の手助けが必要」と信仰している。

○「死」という自然な営みは、本来穏やかで安らかだったはず。医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、より非人間的なものに変貌させてしまった。世の中で、一番の怖がりは医者だろう。それは、悲惨な死ばかりを目の当たりにしてきたせいでもある。


病院での死が、如何に悲惨であるか、そして自然死をするためには、この国では結構大変なことがわかる本書です。
あなたは、苦しんで死にたいですか?それとも、安らかにこの世を去りたいですか?
共に考えて生きましょう。

こんな感じで、おそらく長期連載をします。

農林水産省の胡散臭さ

2012-08-26 10:55:24 | 弱さへの思考
blog転居移行中!

http://psalm098.blogspot.jp/

お手数ですが、ブックマークの方は、変更を願います。

-----


歴史を振り返ると、大本営発表が正確で真実だったためしは、ない。

戦争時、日本は敗戦の色合いが濃かったにもかかわらず、アイコラして、戦車の数を増やしたり、いかにも、勝っているかのような報道がなされた。

ハンセン氏病は、「移る」とされ、患者は隔離、さらに、断種=性器を切り取ることまでした。アウシュビッツにも劣らない残虐なことを、この国はしたのだ。

水俣病やイタイイタイ病や四日市ぜんそくなどの公害被害についても、因果関係が認められないと、ずっと言い続け、結果、患者が亡くなった頃から「会社=工場が原因」とか言い出した。


今回も、同じにおいがする。
8月22日、農林水産省はプレスリリースとして
「東日本大震災について~東日本大震災の被災地域の復興に向けた被災地産食品の活用促進について~」
 ↓
http://www.maff.go.jp/j/press/shokusan/ryutu/120822.html

という文章を出した。
これは、大学学食・都道府県・同議会・病院給食等(つまり介護福祉施設も含む)に対し、「食べて応援しよう!」の取組をさらに拡大するため、
被災地産食品の積極的な活用・販売に協力するよう、通知により依頼をした。
事実上「強制」である。「依頼」は「強制」なのだ。

これにより、おそらく、小中の学校給食センターにも、この通達が届くだろう。

ということは、給食を通じて、育ち盛りの子どもたちに「内部被爆」の可能性が高い。
そして、高齢者や身障者や病人に対しても、同様なのである。

この国は、何を考えているのか…と考えたとき、これは戦争と同じなのだ、と行き着いた。
人口が増えすぎたので、減少させよう、適正な人数に調整しよう、というものが見える。
これはもはやSFの世界だ。残った「強い種」だけで世界を構成しようという、弱者差別である。

内部被爆については、実態が明らかになるまで、相当の時間がかかる。そして、必ず「因果関係は認められない」と言う。

TOKIOのふくしまの桃のキャンペーンを必死に広報しているのは、TOKIOのイメージにより、ヤバイ部分を隠すためとしか思えない。
もし、安全で、全ての食物を検査(そんなことしたら野菜や果物は市場に出回る頃には腐って商品価値はないのだが)していたら、
あえて、あれだけの金額をかけてキャンペーンをする必要は無かろう。

私は思う。
正直、繁殖が終わった大人たちは、もう、いまさらなので、仮に内部被爆してもいいかもしれない。
そこは個人の選択と言える。どうしても、嫌な人は、あくまで拒否をしてほしい。

でも、

子どもたちやその母親(父親はいい。あ、父子家庭の父は除く)には、わずかでも可能性のあることは、避けて欲しい。
そして、障害者や病人にも、できれば、避けて欲しい。

公害は、汚水が目に見えた。
でも、放射能は、見えない。

だからこそ、慎重に、物事を考えて欲しい。
大本営=政府の言葉巧みな誘導に乗らず、自分の考えを持って欲しい。
そして、それは、自分で選択し、自分で実施すればいいのであって、他者に、自分の考えを押し付けては、ならない。

食べようが食べまいが、自由なのだが、
農林水産省の胡散臭さは、かなり際立つ。

原発に頼らないことへの一歩?-発電機について考察

2012-08-25 08:53:27 | 弱さへの思考
blog転居移行中!

http://psalm098.blogspot.jp/

お手数ですが、ブックマークの方は、変更を願います。

-----


東京新聞ネタである。
ちょっと古いが、8月12日(日)付けの「こちら特報部」で、

「深さ2センチの水流で電気作れます」-世界で唯一 富山の会社が実験
用途に可能性 ゼンマイ発電


という記事があった。詳細は、図書館あたりで読んで頂くとして、まとめると…

1930年創業の東洋ゼンマイ株式会社は、80年代「チョロQ」というゼンマイ式おもちゃで一世を風靡した。
世界中の玩具に使われているゼンマイの3割は、この会社製だ。
で、この会社、ゼンマイを使って小水力発電ができないかを研究している。
現時点で発電量はわずかではあるものの、可能性は広がる。
システムは開発途中で、実用化には2年ほどかかるという。

これを実用化できた場合、もちろん、大きさの問題もあるとは思うが、
「一家に一台小水力発電機」が可能となり、電力会社から買わなくても、生活が成り立つかもしれない。
少なくとも、コストを減らすことが可能となろう。


そして、もう1つ。
一昨日の「アーミッシュ」の中でも打ったが、
アーミッシュたちは、1970年代にすでに、
水圧や空気圧で大きな設備を動かせることを見出し使っている。


肝心な事は、
本来は電気で動く機器を
水圧や空気圧で動くものに改造し、活用しているという点だ。

そして、都会では必要品の冷蔵庫・ストーブはプロパンガスを使用、温水器・ランタンも同様である。
今後の注目は「太陽光」であり、バッテリーに蓄電して、小さな電気モーターを動かしている。


どうだろう?
風力発電はいかにも環境に沿って「やさしい電気」みたいなふれこみがあるものの、
おそらくこれにも利権がからんでいる・からんでくるはずだ。
波発電も、同様だろう。
プラントが大きくなれば、利権が絡む。
これは世の常だ。

電気は会社から買うもの、という思い込みを排除しよう。
そもそも、独占企業である電力会社から「絶対に」購入せねばならない社会と言うものは、
どう考えても、おかしい。財界・政府が結託して、私たちは「騙されていた」のだ。

個人の自宅で、
ゼンマイ発電機や
太陽光発電+蓄電、
空気圧・水圧を利用した家電の活用で、
生活維持できるのではないだろうか。

自宅では、施設のような膨大な電力を利用する必要はないはず。
ならば、自炊で電力をつくることを模索初めてもいい。

とりあえず、うちでは、太陽電池によるランタン照明と携帯電話充電を実施している。

もっと、何かできないか。考えてみる。もしかしたら、あちこちで研究されているのかもしれない。
ここへの考えを深めて実践していくことは、「相互扶助」への一歩を踏み出すような気がする。

アーミッシュの「社会保障」とまとめ-「アーミッシュの昨日・今日・明日」を読んで その5(最終回)

2012-08-24 05:52:04 | 弱さへの思考
blog転居移行中!

http://psalm098.blogspot.jp/

お手数ですが、ブックマークの方は、変更を願います。

-----


「社会保障費」について。
アーミッシュは社会保障税を払っていない。(!)
社会保障税は「世界」である「アメリカ政府」の保険、と捉えている。

高齢者・病弱者・老人・精神障害者・身体障害者たちは、拡大家族ネットワークの中で、可能な限りケアされる。ここにも「相互扶助」の哲学が色濃く反映されている。

社会福祉が必要な人々の世話を「国家」に託すならば、「教会が兄弟姉妹の面倒を見る」という信仰の根本的教義に反する、と考えている。

アーミッシュの人びとは、社会保障税も払わなければ、給付金も受け取らない。
そして、このように言う。
「給付を受けずに社会保障税を支払うことは、死んだ馬を買うようなもの」社会保障制度を無視しているので、退職金=年金はもらえない。医療と福祉制度も受け取らない。


アーミッシュには「自分たちで面倒をみる」という長い歴史がある。
公的福祉をほとんど(というか、ほぼ)必要としない。
裏を返すと、公共の福利にも、実質的に多大な貢献をしているといえる。イマイチな社会保障を利用していないのだから。それは公費捻出をしないのだから、国家とってはよい。


よく
「社会保障費を払っているのだからもらわなければ」という人びとがいる。
無駄な医療(いやご本人にとっては無駄とは思っていないけれど=医者にとっては絶好の餌食)、
無駄な介護サービスの使用(いやご本人にとっては無駄とは思っていないけれど=事業所にとっては格好の餌食)
高額所得者の年金の受給→制度自体が崩壊しており、年金受給額も年々下がる。でも、現役世代の徴収は増える一方。この9月からも上がることはご存知ですか。


こうやって、社会の「税」を使っている限り、負のスパイラルに入っているのだ。
確かに、受給しなければ「死んだ馬を買うようなもの」なのだ。それはわかるが、この国の法律では選択肢は、ない。

何度も言うが、
この国は、国民1人ひとりを守ろうという気は、さらさらない。

311以降の国の対応。
消費税増税決定。加えて社会保障については何も決まっていない。
尖閣諸島・竹島の問題を見てもわかるとおり。
福島原発事故において、疎開しないことをみてもしかり。

要は、「養分」である「国民」に名ばかりの「主権」などといっていい気にさせといて、「どうやったら税金取って国庫を潤し、自分たちは高給取りになれるか」しか、考えていない。

そんな「世界」=「国」に税金・保険料を払う必要があるのか?考える必要がある。

もし、この国がアメリカのような医療制度(医療保険への加入は自己決定)を導入していれば、間違いなく、払わないだろう。
そのシステムにしなかったのは、「国民皆保険」などというもっともらしいことを言って、
医者と国を潤すためのシステムを構築したに過ぎないのだ。


アーミッシュの生き方は、とても興味深い。
質素・簡素であり、自主性・精神性・信仰を固持し、現代技術との折り合いをつけながら、他者を尊敬しつつ、なんとか現代を生き抜こうとしている。
そこでひねり出された考えや技術は、私たちにも活用できるものなのかもしれない。

311以降、
考え方が変わった人々がいる。

例えば、
国家は、徴税するばかりで、何もしない・うそばっかりであり、
経済状況が好転する兆しもない中、

消費行動ではなく、資源を上手く使うことが求められ、
そして、大切なことは、お金ではなく、人であること=相互扶助であることが
徐々に広がりをみせている。

そんな中、アーミッシュの生活は、有効なのかもしれない。
それは、宮崎学氏の「自己啓発病」社会で語られた「自助は他助になり、他助は自助になる関係」=「他人を助けるのは自分のため。」と通ずるものと思える。


アーミッシュの「電気」と「電話」-「アーミッシュの昨日・今日・明日」を読んで その4

2012-08-23 09:21:42 | 弱さへの思考
blog転居移行中!

http://psalm098.blogspot.jp/

お手数ですが、ブックマークの方は、変更を願います。

-----


アーミッシュの産業は小規模である。
大規模経済は悪魔の罠であり、それはプライドや世俗過大な力となり、名声がもたらされると危惧しているからである。
小規模であれば、コミュニティの活動の軸となり、生活上、冠婚葬祭に出席し、参加・手伝いができる。
ここにも相互扶助の概念が根強い。

ところで、今話題の「電気」である。

「電気に反対しているのではないのさ。テレビジョンやパソコンなど、近代的家電が運んでくるもの全部に反対しているんだ。一度電灯を使ったなら、いったいどこで止められると思うんだい。」
本当に、その通りだ。
311以降、それを目指してもいいと、自分は思う。

1970年代、アーミッシュの機械工たちは、
水圧や空気圧で大きな設備を動かせることを見出した。
本来は電気で動く機器を水圧や空気圧で動くものに改造し、活用している。

アーミッシュの冷蔵庫・ストーブ・温水器・ランタンはプロパンガスを使用している。

そして、今注目は「太陽光」である。バッテリーに蓄電して、小さな電気モーターを動かしている。

どうだろう。
原発推進派が「原発がイヤなら電気を使うな」などとエキセントリックなことを言うが、
電気は必要である。

でも、もし、この手法を活用すれば、「一家に一台、水圧・空気圧機」であれば、
「あぁ、じゃぁ、電気なんていらねぇよ」と言い切れるのではないか?
ついでに、利権まみれの電力会社を破産に追い込めるではないか。
誰も買わない電気。そして、収益は下落。給料も出さなくしよう。

ぜひとも、お金と敷地と技術のある方には、実践して欲しい。自分も、システムが簡易になったら即追従しますので。

「電話」についてである。
電話はアーミッシュと「世界」=悪徳や制度と言ったものを直接繋いでしまう。
家の中での電話使用を禁止した。

(あぁ、日本もこうだったらよかったのに、トトロみたく本家にしかないみたいな…ついでに会社も電話なくして欲しい。飛脚とメールだけ、みたいな。エジソンとベルを恨む)

そして、外に電話ボックスが、ある。
本当の緊急時に使用するのが目的である。

技術がコミュニティの幸せを脅かす結果となる場合、アーミッシュはそれを制限する。

このように、アーミッシュは技術との妥協を真摯に検討し、実践している。
決して「怪しげな宗教集団」ではない。
キリスト教の一派を精神的支柱にして、生活を構築している。
これは、かつての日本の民俗ではなかろうか。

次回最終回で「社会保障」について。