DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

ブラタモリ 3/17

 鹿児島後編。幕末の話へ。イルカの風景?無料で見れるのはすごい。しかしその向こう側には謎の石垣。お台場(大砲設置台)、東京のお台場より先にできていたと。薩摩藩はその頃すでにドイツ製世界地図を持っていた!実際、ペリーより前に鹿児島に外国船が来ていたのか。実際にこのお台場は薩英戦争で使われたと言う。
 たんたど石の秘密を探りに。まさにたんたどと言うバス停、石切場のよう、と思ったらシラスでした。溶結凝灰岩。どちらも火砕流からだが、溶結凝灰岩はシラスより先に積もったもの。それが見えたのはシラスが雨で流れたから。
 溶結凝灰岩と花崗岩を比較。凝灰岩は花崗岩よりは少し柔らかいみたい。おぉ、でかい石が見事に割れた!
 仙巌園へ。おー、渡辺謙さん登場だ!>島津斉彬 島津御殿をご案内。和風と思いきや、奥の間はめっちゃ洋風!さらに見事な日本庭園!ここでエンディング(笑)。
 溶結凝灰岩の話に戻ります。なんと石灯はガス灯だった!しかも横浜より先!
 反射炉もあるなあ。大砲を作るために設計書から作った!
 土台の下へ。しかし、薩摩焼きの技術者も大変だ>無茶ぶり。たんたど石のようではありますが、別の町(小野町)から取ってきたと言う。小野石は姶良カルデラではなく他のカルデラから来たものだと言う。みんな石をなめてます、舌にくっつくのか。いやあ、石の種類を使いこなした島津すごい!
 裏山に水路を作り、工場の動力にしていた。しかし大砲の筒の穴を作るために水力を使ったと。
 お殿様はここでお別れ。田んぼの水路発見。水源をさかのぼる、なるほど、堰を作ってダムにしていたのか。溶結凝灰岩はここだけ。しかし明治維新の地質を知り尽くしていたところにあるとは!
#次回は宮崎。
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