DEEP ACIDなんでもかんでも日記・ヤプログ!より移行

私は忘れっぽい

人の名前を覚えるのは、すでに40過ぎた頃から衰えていたが、そういう物覚えの話ではなく(仕事の方も、今さら新しいことを覚えろ、と言われても無理だよ)、幼少期の、若い頃の記憶もだいたい忘れてる、ということ。
基本的に子どもの頃に見たテレビ番組とか学校での出来事とか、あんまり覚えてない。ませガキで小学生の頃から外国語の勉強するとか、子どもらしくない子ども時代で、クラスメイトとの話題にしたりするものでもなかったので、忘れてる。子どもの頃は熱心に野球を見ていた時代があったような気がするが、今はニュースがスポーツに変わった途端、チャンネルを変えるほど興味がない。
当時聞いてた音楽も、クラスメイトと違うものを聞いていて会話の話題にしなかった、というのもあるし、そもそもが記憶の中で懐メロになることもなく、新しい音楽で上書きされていった。流行に敏感と言うより、古いものにすぐ飽きる体質。
その一方で、世の中のテクノロジーに関しては、すべからく懐疑的だ。そもそもが、チェルノブイリやフクシマではなく、スリーマイル島事故からの筋金入りの反原発人間だし、そのことを誇張するために、地動説すら否定する。盛岡でも車は乗らない、というのもその一つ(冬の雪道があるから、エコな自転車すら乗らない)。まあこちらはノスタルジーとは別の、テクノロジー不信なので別の話だが(若い頃の懐古ではなく、先史以前まで遡りたい)。
ベースはやはり、精神年齢が上がらない、ということだろう。他の人が人生で通る洗礼、例えば結婚とか、家や車のような大きな買い物をする決断と言ったことをほとんど避けて来た。避けたというより、興味がなかった。行動はアクティブである一方で、精神的には引きこもっていた。そんな重い決断をしなけりゃいけない、と言うことを根本的に受け入れられなかった。つまり、諦めはあっても、覚悟は御免、という感じ。高い目標や夢を持っている人は、尊敬するというより、話が合わないだろうな、と言う感覚。
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