泰西古典絵画紀行

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17世紀オランダ・フランドルにおける建築画の歴史

2009-10-18 18:44:01 | オランダ絵画の解説
Liedtkeの論文(The Dictionary of Art vol.2 pp.340-34)を改変

 1550年から1700年頃の低地地方においては建築画も発達したが,この時代の建築画とは,線遠近法によって宮廷の景観や教会の内部を描かれたものをさすことが多い.その端緒はまずアントワープに興り,フランドル及びオランダ全体に広がって行き,とくに,アントワープ派のほか,オランダではハールレム派やデルフト派が存在した.
  17世紀の「遠近法」という呼び方をしたときフランドル様式の建築画がこれに該当するのに対し,オランダ絵画においての創作はといえば,邸宅の優美な人々(elegant company)を描いた作品群と大教会の内部(教会内部画church interior)を描いた作品群に明瞭に区別されたことである.教会内部画については,とくに1600年以降のフランドルにおいては慈善や礼拝や洗礼といった人々の信仰の行いを明示する作品が主流となるが,オランダでは,時に空想上の場合もあるが多くは,購入者たる信心深い市民の国民感情に訴える有名教会の内部であることが重要であった.

1.フランドル
 16世紀初頭のアントワープにおいては,イタリア・ルネサンス絵画,たとえばラファエロのヴァチカン装飾から着想を得た建築絵画が発展し始めた.ヤン・ホッサールトJan Gssartの描いた宗教画作品などに見られる背景の建物やその内部の華美で折衷的な表現と魅惑的な形態は,彼に続く16世紀中葉のフレデマン・デ・フリースHans Vredeman de Vriesの遠近法に基づく絵画や版画の着想の源になった.

・ヤン・ホッサールト 「ダナエ」1527年 ミュンヘン・アルテ・ピナコテーク

 デ・フリースの建築画は,精緻でカラフルで装飾的で,ゴシック様式とルネサンス様式が混ざっており,描かれた多くの群衆は流行の服装で道徳的な題材に縛られておらず,これらは比較的大きな画布に描かれ,個人では建てられない羨望の的として愛国者の家に飾られていたに違いないという.彼はまた,セルリオSebastiano Serlioの古典的寺院建築に関する書物を参考にして,師のファン・アールストPieter Coecke van Aelstと同様,建築とその装飾の総合設計にあたり,その集大成として1604年に出版された"Perspective"は,教会の中央を見下ろす超広角図法とアーチを通してみた王宮といった図式の図案集として,その後の建築画家に利用された.

・フレデマン・デ・フリース 建物のある風景 板 82x100cm エルミタージュ美術館

 フランドルにおいては伝統的に師弟伝授の縛りが強かったようだが,ヘンドリック・ファン・ステーンウェイク(父)Hendrick van Steenwijk the elderもデ・フリースの弟子で, 1580年代の初めに西から見たアントワープ大聖堂の内部を描いているが,デ・フリースの版画Scenographiaeに拠って,絵の平面に平行に浮き上がる効果repoussoirによってかなり中心寄りに後退して描かれており,ここで確立された様式が追随者に引き継がれた.ファン・ステーンウェイク(父)の作品の多くは,実在の教会を描き,微妙な光と影の雰囲気の点で写実的効果を醸し出し,アーチが両脇に引き伸ばされ水平線が低く置かれた前景の広角効果は,より遠方から見るよりも見るものに臨場感を与えているが,その限られた色遣いと柔らかい描画が続く40年の建築画の多くとは異なっている.

・ヘンドリック・ファン・ステーンウェイク(父) ゴシック教会の内部 1578年 銅版 35x46cm

 ヘンドリック・ファン・ステーンウェイク(子) the youngerは,フランクフルトやロンドンに住んだこともあるが,父の試みたキャビネット画(飾り棚にはめ込まれた小画面の精緻画)において,微妙な光と影というよりも色彩と精緻さで卓越した作品を描いた.
これは17世紀フランドルにおける建築画家の主導者ピーテル・ネーフス(父)Pieter Neeffs the elderにおいても同様であるが,その画面は大きく,主にアントワープ大聖堂か同様に設計された空想のゴシック式教会を描いた.その子のピーテル・ネーフス(子)は父の下で制作したが,父の繊細な線や精妙な影付けなどにおいて遠く及ばなかった.両者は,画中の人物像の画家としてそれぞれフランス・フランケンⅡ世とⅢ世と共同製作した.

2.オランダ
 空想上の宮殿眺望図や教会内部画はともにオランダで流布したが,ミッデルブルグのディルク・ファン・デーレンDirk van Delen,ハーグとデルフトでのバーソロメウス・ファン・バッセンBartholomeus van Bassenとその弟子ヘリット・ハウクヘーストGerrit Houckgeest(及びロッテルダムのアンソニー・デ・ロルメAnthonie de Lorme)らは1640年までにこぞって,ファン・ステーンウェイク(父)の作品を連想させるあたかも入ってゆけるかのような空間配置と控えめな色彩,洗練された彩飾の"realistic imaginary church(現実にある構造物を想像上で配置した教会)"を描いてゆく.

・バーソロメウス・ファン・バッセン レーネンの聖Cunera教会の内部 1638年 板 61x81cm ロンドンNG


・ヘリット・ハウクヘースト 「沈黙公ヴィレムの墓のあるデルフト新教会」
左 1650年 板 126x89cm ハンブルグ美術館  右 1651年頃 板 66x78cm マウリッツハイス美術館

 ハールレムのピーテル・サーンレダムは実在する教会を取り上げた初めてのオランダ画家で,彼は建築物を間近で記録する際の知覚的な問題を洗練された解釈でこなし,いくつかのオランダの大教会を忠実にスケッチで記録した.教会の建物の一部を取り上げた彼の淡い色調の様式化された絵画は他の画家には採用されず,もっと因習的な仕事の方がハールレムの同世代及び後輩となる画家ヨプとヘリット・ベルクヘイデ兄弟やイサーク・ファン・ニッケレ(ン)Isaac van Nickeleに影響を与えた.

・ピーテル・サーンレダム 「ユトレヒトのBuur教会の内部」1644年 板 60x50cmロンドンNG

 オランダ建築画の最後の時代はデルフトで始まる.1650年から51年にかけてハウクヘーストが彼の地の旧教会と新教会の実際の内部を,円柱をすぐ目の前の前景として配しつつその遠近の複雑な接合部を驚くべき忠実さで描くのに二点遠近法を採用した.
 これには,すぐにヘンドリック・ファン・フリートHendrick van Vlietが倣ったが,とくにファン・フリートは画業の後半をこれに費やし,建物のプロポーションやいくつかの細部を自由に描き換えたり,他の都市の多くの教会を取り上げたりもした.

・ヘンドリック・ファン・フリート 「沈黙公ヴィレムの墓のあるデルフト新教会」1665年 画布 80x65cm 個人蔵

 デ・ロルメのロッテルダム近郊のLaurens教会の眺望や,デルフトのコルネリス・デ・マンCornelis de Man(1621-1706)の少数の教会内部画では,ハウクヘーストやファン・フリートの発案による構図が取り入れられている.

・コルネリス・デ・マン「デルフトの旧教会の内部」 板 73x59cm

 エマヌエル・デ・ウィッテEmanuel de Witteは初期は野暮ったい塗り方であったが,1650年頃からはハウクヘーストの二点遠近法など他の画家から図案を借用しつつ,1652年頃にアムステルダムに移り,建物の構造やその質感ではなくて,光と影,雰囲気や広大な空間の流れといったものの印象を描くために,建築画においては先例のない流麗な洗練された筆遣いを取り入れたことによって,オランダの建築画の絶頂を具現した.彼の作品に見られる現実ないし,円熟期のrealistic imaginary church仮想の教会は,壮大でありながら同時に親密さを兼ね備えている.17世紀オランダの建築画は因習的な面が強いが,その中で,サーンレダムとデ・ウィッテの二人が傑出していた.

・エマヌエル・デ・ウィッテ 「デルフトの旧教会の内部」1651年 板 61x44cm ウォーレス・コレクション


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