泰西古典絵画紀行

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Leo Belgicus ネーデルラントの獅子像

2011-11-01 08:38:10 | 西洋の古地図


'Leo Belgicus' in Germania Inferior

Pieter Van der Keere(ラテン名Kaerius) アムステルダム刊 1617年
37x45.2cm 銅版エングレーヴィング 当時の手彩色
カルトーシュに記載:Leo Belgicus. Artificiosa & Geographica tabula sub Leonis figura 17. inferioris Germaniae Prouincias repraesentans, cui addita sunt singularum insignia, unà cum ordinaria Praefecturarum distinctione earumq. Praefectis; prout a° 1559 / à supremo earundem Magistratu distributae atq. constitutae fuerunt. P. Kaerius ex.
原著:Petri Kaerii Germania Inferior id est, XVII Povinciarum ejus novae et exactae Tabulae Geographicae [...]. - Amstelodami : impensis Pet. Kaerii, 1617
[他にもhet Theatrum Universae Galliae van Johannes Janssonius, 1631に挿入されていたらしい]  


 当時の統治者や都市の紋章に多用されていた獅子の絵柄を借りて,低地地方と呼ばれたネーデルラント全域の地図を獅子に見立てたもの.
  この作品は,極めて装飾的で,下段には三組の男女が描かれているが,それぞれフリースラント・ホラントとベルギーの特徴的な装束で描かれているそうだ.

 ベルギカBelgicaとはローマ帝国時代の低地地方の総称で,北部ガリアGallia Belgica,あるいはBelgica Primaとも呼ばれ,現ベネルクス三国のほか,セーヌ川とライン川に囲まれたフランス北部やドイツ西部のライン地方をも含んでいたらしい.
 この見立ての発案者はオーストリア貴族のMichael Aitzinger男爵(c.1530-1598) で,低地地方を周遊した後に,1583年ケルンで同地方の歴史に関する書物を出版した際,同市の著名な銅版彫刻師でとくに地図製作で活躍していたFrans Hogenberg(ホーヘンベルク1535–1590)の協力を得,その挿入地図37x44cmとして海岸線を獅子の背に見立てた図を掲載した.




  男爵にとっては皮肉だったかもしれないが,ネーデルラントは当時スペイン・ハプスブルク家の圧制から独立の気運が高まっており,17州*自体の形状が確かに獅子に似ていたことも,獅子の姿が富と力の象徴としてこれら諸州の殆どで紋章に使用されていたこともあって,獅子の図像はかの地で好評を博した.
*17州とはHolland (1), Zeeland (2), Vlaanderen (3), Artesië/Artois (4), Henegouwen/Hainaut (5), Namen/Namur (6), Zutphen (7);(ducati) Brabant (8), Luxemburg (9), Limburg (10), Gelderland (11);(Marchionatus Sacri Romani Imperii) Antwerpen(12);(domini) Mechelen (13), Utrecht (14), Friesland (15), Overijssel (16), Groningen (17)

 この図像はその後の展開で4種類に分類できるらしいが,オランダにおける製図出版の黄金時代の記憶として,その後も2世紀にわたり繰り返し製作されたという.

・獅子が東を向いて後足立ちで右前足を挙げた図.
 アイツィンゲル男爵図を始め,これを忠実に再現したもの.


 今回提示したカエリウスとして知られるピーテル・ファン・デル・ケーレの図もこれに属している.彼は新教徒で一時ロンドンに亡命したが,その妹はJodocus Hondius (ヨドクス・ホンディウス1563-1612)と結婚し,彼らは1593年にアムステルダムに戻って同地で活躍した.


 1631/2年にローマで出版されたFamiani Stradae(1572-1649) ストラーダの図もこれに属するが31x22cmと縦長フォーマット.彼はジェスイット会に属し,コレギウム・ロマニウムの教師として"De Bello Belgico"を出版し,スペイン寄りの立場でオランダ独立戦争を論じた.この本は伊・仏・西語でも出版されたが,ラテン語版と蘭語版にのみこの図が添付され,1648年以後も18x14cm,1701年にも14x8cmの図版が製作されている.

・獅子は南を向いて四肢で立ち(上記とは頭と尾の向きを逆にしている),前足は上げていない図.
 1611年頃から認められ,下記は同年のホンディウス末期の代表作の一つである.

 彼は1604年にメルカトルのAtlas(地図帳)の原版を買い取り,自作の地図36枚を付け足して出版し大成功を収めた.死後1633年以降はヤンソニウス家で共同出版されたため,このアトラス連作はMercator/Hondius/Janssonシリーズと呼ばれる.

 こちらは彩色されたC・J・フィッセル製作1630年の図 間違い探し程度の差しかないが,カルトゥーシュの下の紋章にCIVとある(IはJに通じる).


 なお,この獅子図の形態は,アントワープのPhilippe Galle ガレも1640年に挿図として14x10cmの図版を製作している.

・獅子が落ち着いて座っている図.
 1609年からの和平12年間協定の頃に製作されたもの.

同年のClaes Janszoon Visscherフィッセルの作品がこの代表であろう.


さらに約140年の後,1748年にもPieter Schenkシェンクが類似の図版を製作している.

・北部7州のみを同形の獅子に見立てた図.
 北部の盟主であったホラント州の名前から"Leo Hollandicus"と呼ばれ,北部の独立が見込まれた時代に製作された.

 これも1648年のフィッセルの作品46x56cmが優れており,カルトゥーシュには"Comitatus Hollandiae denuo forma Leonis"と記載されている.さらに上段には典雅なる風俗風景(右には風力四輪車まで描かれているのは驚き),脇の欄には主要都市の景観図,下段には紋章が描かれている.


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