泰西古典絵画紀行

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ニュルンベルク紀行(6)~国立ゲルマン民族博物館(vii)~17世紀オランダ絵画

2011-02-13 17:21:49 | 海外の美術館
 ゲルマン民族は大移動の前から現在のオランダ地域にも定住しており(ゲルマニアの一部としてバタヴィアと呼ばれた),ライン川以南のガリアから低地ゲルマニアはローマ帝国に征服されたが,その後,ゲルマン系のフランク王国の支配に遷る.800年のカール大帝の戴冠,さらにその分裂後の東フランク王オットーI世(ザクセン朝)の962年の戴冠が神聖ローマ帝国の成立とされるが,13世紀にはホラント・ゼーラント・エノー・ヘルダーラントの各伯領とユトレヒト司教領は神聖ローマ帝国に属し,14世紀には一部がバイエルン候の領土になったこともあった.その後,ネーデルラント(オランダとベルギー北部の総称)はブルゴーニュ公国領となるが,15世紀後半にシャルル豪胆公の娘が後の神聖ローマ皇帝にしてデューラーを庇護したマクシミリアン1世に嫁いだことからハプスブルク家の神聖ローマ帝国領となり,16世紀の圧政と旧教政策に対して新教共和国の独立気運が高まる中で17世紀を迎えた.この様な背景で,本館にも17世紀オランダ絵画は少なからず展示されており,この中にはレンブラントの作品2点が含まれている.


左:オランダ絵画は歴史画と風俗画のコーナーから.
中:レンブラント「自画像」1629年(Corpus I A21) マウリッツハイスの作品と同構図であるが,それは修正なく描かれているのに対し,本館の作品には製作中の変更があることなどから,10年ほど前にこちらがレンブラントの真筆と判明した筈である.
右:同「書き物机の前の聖パウロ」1628/9年 同時代の「アトリエの画家」(ボストン美術館)や「エマオのキリスト」(ジャックマール・アンドレ美術館)同様,隠された光源に主題や隠蔽物が浮かび上がる構図である.


左:レンブラント作品のある展示室の風景 オランダの黒縁額で統一されている
右:ベンジャミン・ヘリッツ・カイプ アルベルト・カイプの叔父で,レンブラントから影響を受け,強いキアロスクーロの効果と褐色に限定された色調を用い,荒い筆遣いというのは下層階級の風俗を描くときの常套手段であるが,カイプはカード遊びやさいころ投げに興じる兵士を描くことによって放埒さを警告している.


左:エサイアス・ファン・デ・フェルデ「荷馬車の待ち伏せ」1626年 彼は17世紀オランダ風景画の創始者の一人であり,母国オランダの低地を空間的にとらえて写実的に表現しようとした.ここに描かれているのは商人の交易路の危険性を強調するような画面である.
中:ヤーコプ・サロモンスゾーン・ライスダール「家畜の群れのいる風景」(1650年代?) 「小ヤコブ」と呼ばれたりするが,偉大なヤーコプ・イザクスゾーン・ライスダールとは従兄弟である.父のサロモンの初期写実派の流れを汲んで,画面はよりコントラストが強く彩度もやや強めの硬い作風が特徴的である.
右:アラート・ファン・エーフェルディンゲン「滝のある風景」 オーク板・1640年代後半 オランダは低地地方なので山の景色は望み得ないが,彼は北欧を旅してスケッチを残し,それをもとにアトリエで山岳風景を好んで描いた.偉大なライスダールとともに,このタイプの風景画の発展に寄与した.


左:ヤン・ボト(?) 「イタリア風風景」 ボトは親イタリア派風景画の大家であるが,この作品はBurkeによるボトの作品集(1976)には掲載されておらず,編纂者が後に見たところ「ボトの可能性が高い」と語ったらしいが,Trnekによると「構図・木の(葉の?)描き方・草の茂った前景などはWillem de Heusch,人物はDirck Stoopの可能性を考える」とのことらしい.
右:ピーテル・デ・ホーホ 「語らい」 画布・1663/5年頃 デ・ホーホの描く日の差し込んだ室内風景には何らかの道徳的意味が表現されている.鑑賞者は若い男女の下品な恋の戯れの証人となろう.これに対し,奥の部屋で裁縫をしている女性は美徳を表している.


左:ピーテル・クラエツゾーン「自画像のある静物(ヴァニタス)」1628年頃 ここに描かれている事物は,ガラス球(凸面鏡・世界/視覚)・オイルランプ(消える)・バイオリン(ひとときの音楽/聴覚)・時計(時間)・レーマー杯(中身は無くなりガラスは割れる/嗅覚ないし味覚)・割れたくるみ(味覚ないし触覚)・羽ペンと書物(文字や言葉/触覚)・髑髏(死)といったヴァニタス,すなわちはかなさのシンボルであるが,解説には無かったものの五感の象徴でもあるようだ.左のガラス球に反射した自画像が描かれている.

 続いて,オランダはハーレムのマニエリストの作品である.時代が戻ってしまうが,展示順に掲載するとこのようになってしまった.
右:コルネリス・ファン・ハーレム 「スザンナの水浴」1590年頃 画布 二人の長老が水浴中のスザンナを盗み見て手篭めにしようとする旧約聖書の場面である.ハーレム独特の肌の白さが際立った作品であるが,マニエリストとして,誇張されねじれた肢体にスザンナのつよい嫌悪感をあらわにして仕上げている.


左:ヨアヒム・ウテワール「大洪水」1590/1600年頃 オヴィディウスの変身物語に基いているが,ノアの箱舟を描くというよりも,決壊した濁流に飲み込まれようとする人々の恐怖を描いている.ハーレムの作品と同様,これらをみると北方のマニエリストの肉体表現がよく理解できよう.
右:「紅海渡渉」フレデリック・ファン・ファルケンボルフ 画布・1597年 この作品は同館の1995年版図録"Die Gemaelde des 17Jahrhunderts im Germanischen Nationalmuseum"には掲載されていない.ファルケンボルフはアムステルダムからフランクフルトに移住しているので,オランダとドイツのどちらに含めるか困難もあるが,その後の作品としては前頁を参照されたい.ここでは歴史画に求められる高い表現力に応えて,イタリア絵画の人物表現とフランドル・オランダ絵画の細密な風景表現の融合を見ることが出来る.このような様式の作品は1600年前後にフランドル出身でハーレムに居を構えたカレル・ファン・マンデルや,同主題は後年フランツ・フランケンII世なども描いている.画面左には海に巻かれるエジプトの兵隊達,その右に描かれているのが多分モーゼであろう.画面右に向かって,しかし,なんとおびただしいイスラエルの民の数であろうか.


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