(3)中期(42サスキアの死去~56破産)
1642(1)43(1)44(1)45(3)46(4)47(2)48(2)49(0)50(1)51(1)52-53(0)54(1)55(3)56(1)57(1)
1640年代前半の聖家族の一連の創作にはサスキアを無くしたことがかかわっているのかもしれない.この時代のその他の歴史画のモチーフとしては,それまでの焼き直しも多い.作風もルーベンス風の力強さを離れて,中規模の画面に,レイデン時代ほどの精緻さへのこだわりからも距離を置いて,静かな精神性を醸し出していくかのようだ.1630年代を支配した強いキアロスクーロは落ち着きを見せ,周辺の重要性の低い部分は略し,劇的ではないが親密さや静謐な瞬間というものを感じさせる.
Broosによれば,1645年頃制作された作品は,温かみのある深い赤色調の絵の具をたっぷりのせた筆遣いで描かれており,16世紀のヴェネチア派の画家への回帰を思わせるという.1646年の「羊飼いの礼拝」で,フレデリック・ヘンドリックの注文による「キリストの生涯」の連作は完成したが,ハイス・テン・ボッシュのオラニエ・ホールの装飾画の注文はレンブラントではなく他のよりフランドル風の画家に依頼されている.残念ながら,レンブラントが選ばれなかった理由は定かではない.
1647年以降,「エマオの晩餐」を除けば彼の制作数は激減した.当時レンブラントは新たな家政婦ヘンドリッキェに心を奪われ,ヘルーチェを追い出しにかかっており,その家庭問題が創作に影響していたようで,その後のトローニーや肖像画作品では,以前よりも色遣いは褐色~暗赤色で筆遣いも太く粗くなってきている.
1652年になると,彼は問題に打ち勝って肖像画の制作を再開し,1653年にはシシリア貴族のRuffoからの重要な注文による「ホメロスの胸像を見つめるアリストテレス」を制作し,その過程で古典学者としての意見を聞いたのであろう友人のヤン・シックスの肖像を1654年に描いているが,この野太い筆遣いの手の仕上げと微妙な筆致による顔の表情の機微の描き分けは,近い時代で比肩できたのはハルスだけであろう.同じ年に描かれた「沐浴するバテシバ」については,Broos曰く「フランドル様式以来の最も偉大な歴史画」とされている.1650年当時のオランダ画壇では洗練された明るい色合いが流行っていたにもかかわらず,レンブラントの太く自在な粗い筆遣いと光と影の強いコントラストは,時代遅れながらも,まだ多くの肖像画の注文を得ていた.このような独自の画境は何処からインスピレーションを得たのだろうか?
1642 (III)David's parting from Jonathan
1643 (?)The toilet of Bathsheba
1644 Christ and the adulterous woman
1645 S. Joseph's dream
1645 The Holy Family with angels
1645 Tobit and Anna with a goat
1646 (?)Abraham and the three angels
1646 The adoration of the sheperds
1646 (?)The Holy Family with painted frame and curtains: Kassel
1646 (?)The adoration of the sheperds
1647 Susanna and the elders
1647 The rest on the flight into Egypt
1648 Head of Christ
1648 The supper at Emmaus
1650 (?)Hannah and Samuel in the temple
1651 (?)Noli me tangere
1654 Bathsheba bathing
1655 Joseph accused by Potifar's wife
1655 (?)Christ and the woman of Samaria
1655 (?)David playing the harp before Saul
1656 Jacob blessing the sons of Joseph
1657 (?)The apostle Paul
(4)後期(58転居~69死去)
1658(0)59(4)60(2)61(9)65(1)66(1)1669(1)
この頃から1665年の「ジュノー」に至るまで歴史画において一人(ないし二人)の半身像を配した構図で,赤褐色調が支配した作品を制作していく.このほか,同時期に小画面の群像で粗い筆致の作品群もあるが,アムステルダムの新市庁舎の装飾として1662年に描かれた彼の最後の歴史画大作「クラウディウス・シウィリスの謀議」は品位に欠けるとしてまもなく返却されてしまう.1665年頃の「ユダヤの花嫁」の人物の特定は出来ておらず,「イサクとリベカ」などの主題とする歴史画との解釈はportrait historieか否かも含めて明らかではないが,光の魔術や厚塗りの効果がすばらしく,続く1668/9年の「家族の肖像」ではカンヴァスの上でパレットナイフで造形している.
1659 Jacob and the angel
1659 Moses with the Tables of the Law
1659 Tobit and Anna
1659 Christ and the woman of Samaria
1660 Assuerus, Haman, and Esther
1660 The denial of Peter
1661 Self-portrait as the apostle Paul
1661 Christ resurrected
1661 The Virgin of Sorrow
1661 S. Matthew and the angel
1661 The apostle Bartholomew
1661 The apostle James the Major
1661 The apostle Simon
1661 (?)Christ with a pilgrim's staff
1661 (?)The circumcision in the stable
1665 (?)Haman recognizes his fate
1666/9 The return of the prodigal son
1669 Simeon in the temple (unfinished)
1642(1)43(1)44(1)45(3)46(4)47(2)48(2)49(0)50(1)51(1)52-53(0)54(1)55(3)56(1)57(1)
1640年代前半の聖家族の一連の創作にはサスキアを無くしたことがかかわっているのかもしれない.この時代のその他の歴史画のモチーフとしては,それまでの焼き直しも多い.作風もルーベンス風の力強さを離れて,中規模の画面に,レイデン時代ほどの精緻さへのこだわりからも距離を置いて,静かな精神性を醸し出していくかのようだ.1630年代を支配した強いキアロスクーロは落ち着きを見せ,周辺の重要性の低い部分は略し,劇的ではないが親密さや静謐な瞬間というものを感じさせる.
Broosによれば,1645年頃制作された作品は,温かみのある深い赤色調の絵の具をたっぷりのせた筆遣いで描かれており,16世紀のヴェネチア派の画家への回帰を思わせるという.1646年の「羊飼いの礼拝」で,フレデリック・ヘンドリックの注文による「キリストの生涯」の連作は完成したが,ハイス・テン・ボッシュのオラニエ・ホールの装飾画の注文はレンブラントではなく他のよりフランドル風の画家に依頼されている.残念ながら,レンブラントが選ばれなかった理由は定かではない.
1647年以降,「エマオの晩餐」を除けば彼の制作数は激減した.当時レンブラントは新たな家政婦ヘンドリッキェに心を奪われ,ヘルーチェを追い出しにかかっており,その家庭問題が創作に影響していたようで,その後のトローニーや肖像画作品では,以前よりも色遣いは褐色~暗赤色で筆遣いも太く粗くなってきている.
1652年になると,彼は問題に打ち勝って肖像画の制作を再開し,1653年にはシシリア貴族のRuffoからの重要な注文による「ホメロスの胸像を見つめるアリストテレス」を制作し,その過程で古典学者としての意見を聞いたのであろう友人のヤン・シックスの肖像を1654年に描いているが,この野太い筆遣いの手の仕上げと微妙な筆致による顔の表情の機微の描き分けは,近い時代で比肩できたのはハルスだけであろう.同じ年に描かれた「沐浴するバテシバ」については,Broos曰く「フランドル様式以来の最も偉大な歴史画」とされている.1650年当時のオランダ画壇では洗練された明るい色合いが流行っていたにもかかわらず,レンブラントの太く自在な粗い筆遣いと光と影の強いコントラストは,時代遅れながらも,まだ多くの肖像画の注文を得ていた.このような独自の画境は何処からインスピレーションを得たのだろうか?
![]() |
![]() |
「聖家族」1645 | 「羊飼いの礼拝」1646 |
![]() |
![]() |
「エマオの晩餐」1648 | 「沐浴するバテシバ」1654 この作品は美術史の大家がこぞって傑作と述べているが,憂いのある顔が美しくはないためか,小生は不肖にしてその偉大さをまだ感得できていない.あらためてルーブルで見てみたいと思っている. |
![]() |
|
「ヨゼフを祝福するヤコブ」1656 Broosはこの作品をレンブラントの芸術家としての頂点とし,レンブラントが破産したこの1656年以降を晩期としている. |
1642 (III)David's parting from Jonathan
1643 (?)The toilet of Bathsheba
1644 Christ and the adulterous woman
1645 S. Joseph's dream
1645 The Holy Family with angels
1645 Tobit and Anna with a goat
1646 (?)Abraham and the three angels
1646 The adoration of the sheperds
1646 (?)The Holy Family with painted frame and curtains: Kassel
1646 (?)The adoration of the sheperds
1647 Susanna and the elders
1647 The rest on the flight into Egypt
1648 Head of Christ
1648 The supper at Emmaus
1650 (?)Hannah and Samuel in the temple
1651 (?)Noli me tangere
1654 Bathsheba bathing
1655 Joseph accused by Potifar's wife
1655 (?)Christ and the woman of Samaria
1655 (?)David playing the harp before Saul
1656 Jacob blessing the sons of Joseph
1657 (?)The apostle Paul
(4)後期(58転居~69死去)
1658(0)59(4)60(2)61(9)65(1)66(1)1669(1)
この頃から1665年の「ジュノー」に至るまで歴史画において一人(ないし二人)の半身像を配した構図で,赤褐色調が支配した作品を制作していく.このほか,同時期に小画面の群像で粗い筆致の作品群もあるが,アムステルダムの新市庁舎の装飾として1662年に描かれた彼の最後の歴史画大作「クラウディウス・シウィリスの謀議」は品位に欠けるとしてまもなく返却されてしまう.1665年頃の「ユダヤの花嫁」の人物の特定は出来ておらず,「イサクとリベカ」などの主題とする歴史画との解釈はportrait historieか否かも含めて明らかではないが,光の魔術や厚塗りの効果がすばらしく,続く1668/9年の「家族の肖像」ではカンヴァスの上でパレットナイフで造形している.
![]() |
![]() |
「石板を叩き割るモーゼ」1659 | 「ペテロの否認」1660 |
![]() |
![]() |
「クラウディウス・シウィリスの謀議」1662 | 「放蕩息子の寄託」1668年頃 |
![]() |
|
「ユダヤの花嫁」1665年頃 拡大しないと判りづらいが,女性の肩の透けた生地の部分は,ぼやけたような下層に出鱈目に筆を当てて絵の具を滴らせているように見えるが,それによって金糸を織り込んだ高価な質感を巧みに表現しており,赤いスカートの部分には透明感のある赤の下層に置かれた明るいレリーフの絵の具の塊を見出せる. |
1659 Jacob and the angel
1659 Moses with the Tables of the Law
1659 Tobit and Anna
1659 Christ and the woman of Samaria
1660 Assuerus, Haman, and Esther
1660 The denial of Peter
1661 Self-portrait as the apostle Paul
1661 Christ resurrected
1661 The Virgin of Sorrow
1661 S. Matthew and the angel
1661 The apostle Bartholomew
1661 The apostle James the Major
1661 The apostle Simon
1661 (?)Christ with a pilgrim's staff
1661 (?)The circumcision in the stable
1665 (?)Haman recognizes his fate
1666/9 The return of the prodigal son
1669 Simeon in the temple (unfinished)