泰西古典絵画紀行

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ヤーコプ・バッケル回顧展 ①

2009-07-26 15:07:57 | 古典絵画関連の美術展メモ
Jacob Backer(1608/9-1651),Rembrandts tegenpool 08.11/29-09.2/22
レンブラントハイス美術館・蘭アムステルダム

Der grosse Virtuose, Jacob Backer(1608/9-1651) 09.3/12-6/7
ズエルモント・ルードヴィヒ美術館(SLM)・独アーヘン

 かねて開催が企画され延期・中止の末ようやく日の目を見た初めてのバッケルの回顧展で,その図録を読むとSLMのキュレーターPeter van den Brinkの執念が伺われるようだ.初めて展覧される作品が多いことにも苦労の後が見られる.

3月アーヘンに出向いてきたが,絵画は対作品を1点として38点だがNo.8の集団肖像画は展示されていない.歴史画は8点,大作が多いのは喜ばしいことで,なかでは1633年ごろ製作された作品が多い.残りは肖像画ないしトローニーがほとんどで,個人的な印象では1640-45年が円熟期と思われ,後期の硬い古典的様式よりも遙に好感が持てる.
 素描は19点でこれに対比してフリンクによる素描(バッケルの作品とは鑑別が困難なほど類似しているものがある)が1点加えられ,No.41以外は灰青色の紙を使用しているのが特徴であるが,中ほどにこの展示スペースを内向きに作り,その通路を通して絵画のNo.24とNo.29が対面で見えるように展示されている.

 当時は大変成功した画家であるにもかかわらず,現代では一般にはあまり知られていないが,バッケルは歴史画・肖像画を得意とした画家で,その優れた構図と色遣いにおいて当時革新的であった可能性も出てきているらしい.これまではハウブラーケンからバオホまで,レンブラントの弟子として紹介されてきていたが,それは誤りであり,今回の展覧会のアムスでのサブタイトルは「レンブラントの対極」とあるように,レンブラント風の要素は限定的である.

 1608/9 Harlingen生まれ,1651Amsterdam死去.1626年頃ヤン・ピナスに師事したらしく,翌1627年(20才頃)レーワールデン(フリースラント)のランベルト・ヤコブスゾーンのもとへ行き,7才年下のホファールト・フリンクとともに修行した.ここではフランドル派の作風を身につけるがレンブラントの作品に接する機会もあったらしい.1633年(バッケル25才)アムステルダムに出て,同行したフリンクはアムスに居を定めて間もないレンブラントの弟子となったが,バッケルはすでに画家として独立していた.No.6のように1630年代のとくに歴史画の作品には構図や題材や色使いにおいてフランドル派の影響が見て取れ,No.12ではモデルの顔においてさえもルーベンスの影響を認めるが,BroosのいうようにNo.7の肖像ではレンブラントの強いキアロスクーロも認められよう.1630年代半ばごろからは優れたトローニーを多数描いており,ここにはユトレヒト・カラヴァジェスキの好んだアレゴリー風の題材に取り組んだり,フランス・ハルスに代表される自由な筆遣いを取り入れて,さらに「非常に流麗に」描いている.とくにNo.22・24・26の三点はすばらしく,Buvelotはこれらを見るだけでもこの展覧会に行く価値があると述べているが,まさに同感であった.このようにバッケルは多才で多様な筆遣いができる画家であったわけだ.
 晩年はむしろ古典的な様式を好み表現は硬直してゆき,とくに女性の肖像画は冷たい感じがする.ただし,No.36の1650年ごろのミューズに扮する女性像はサテンのドレスの質感も印象的で,Buvelotのようにバッケルの画業のピークをこの時期と見るなら,古典主義の画家として,確かにレンブラントとは対極にあろう.ただ個人的には前述したようにバッケルの画業は1640-45年ごろがベストと思うのだが.

参考文献:Grove's The Dictionary of Art: (Backer),Vol.3 p23, B.Broos,1996
Jacob Backer(1608/9-1651),P.van den Brink, 2008(図録)
Jacob Backer Amsterdam and Aachen:BM, 09,Feb.,pp.123-4,Q. Buvelot

 
 No.1 「聖アンデレ」
 全体を見てくると硬い感じ 日本で1986年に公開されている作品.髭の仕上げにはスクラッチを多用し,ライデンのレンブラントやリーフェンスの影響を受けている.手は当館の作品よりごわごわしているが,影付けには黒を使わずやや淡紫色を用いており,その意味ではルーベンス派の影響も見て取れよう.
 
No.2  礼拝式装束の老人の像
エルミタージュで見た作品
No.3. 聖職者装束の若い男(聖ステファノ?)
 一度フレッベルとして売られている作品.板に描かれているが,過剰なクリーニングによりディテールが失われていて残念.
 主題については,手に石を持っている可能性と視線を上に向けている点で聖ステファノが考えられるらしい.

  No.4 「ダビデとナタン」
 向かって左のナタンの衣などのコンディションはよくない.
  No.5「ユリアにヨアブ行きの手紙を手渡すダビデ」◎
 前半では最も大きい作品で,これは大変印象的
  No.6 「ヘロデ王とヘロデアを咎める洗礼者ヨハネ」○
 バッケルの代表作の一つ.これも1986年に日本で公開されている..ヨハネの肌,ヘロデアの首などがすれてしまっているのは当館の作品と同じで,黒い下地が見えている.子供の巻き毛はバッケル的で,2番目に良い作品と思われる.
  No.7 「灰色の衣をまとった少年の肖像」
 これも顔や衣のスレが目立つが,髪や顔はバッケル的

No.9a 鏡のかけらを持つ男(視覚の寓意)
 左眉と髭はスクラッチで描かれ,顔の仕上げもリーフェンス的だがまだボテボテしていて違和感がある.
No.9b 酔った男(味覚の寓意)
 まだ様式が確立していない.右頬や右袖の腕は塗りムラの筆遣いが残っている
 
 No.13. 赤い服を着た若い男
 若描きの印象が強く,本当にバッケルの作かと思えてしまう.胸元はスクラッチ
 

 No.12 「グラニーダとダイフィーロ」
 1605年P.C.ホーフト作の戯曲で,1637年築のファン・カンペンの設計によるアムステルダム劇場において長らく定期的に上演されていた.貝に水を汲んで差し出す場面は当時のオランダでは絵画の主題としてよく取り上げられている.王女グラニーダの胸元のレースはスクラッチで模様をかいている.牧飼いダイフィーロのモデルはNo.4と同じか
  No.14.「説教する洗礼者ヨハネを模した家族の肖像画」
 歴史画に題材を置く集団肖像画portrait historieで柔らかいタッチで描かれた顔の造形は最もバッケル的.少年の顔はNo.7に似ているか.横の切れたフラグメントと見たが,図録によると上・左右のすべてが約30cm切り詰められているという.

No.15
.思ったより顔は弱い 眉が薄く淡い色調で自在に描くところなどがバッケル的
No.16
.顔の造型はまだノールト的
 No. 17
.以前オークションに出た 面長 流麗でソフトな感じはバッケル的 
   No.18
 .老女の顔の作風は受け入れられるが,少女の顔については違和感もある.
  No.21
 署名があるらしいが,顔の作風などからはヤン・ファン・.ノールトのような気がする.
 No.22 .○
 バッケル的な佳作.右の署名は地の色と殆ど同色で肉眼では光の加減でようやく判読できる.

 No.19.○ 
 オランダの個人コレクションだそうだが,これは流れるような筆致が素晴らしい.わざとさささっと描いたように見える.絵の具が乾く前にレースの模様を描き変えている.向かって右のSLMのものは工房作とされているようだが,瞳の黒も大き過ぎ,光点もきつい.顔は硬くオリジナルの髪の炎のような自由な広がりがない.飾りの光の白点も置き方が弱くたどたどしい.オリジナルのほうでは丸に近く厚く置かれている.逆にネックレスの描き方はオリジナルの方が丸くは描かれていない.
 No. 20 1640年頃の製作で,.とくに左腕は当館の作品と非常に似ている 中央の部分や首~胸元などコンディションは思った程よくない.


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