和納中37年入学

同級生と和納と旅行をアップ。誰だか分かる?

ジーさん 日本最北端の地を走る

2024-07-04 17:15:45 | 旅行

2024.6.11 6:39am 宗谷岬 北緯45度31分22秒 いつか来たかった日本最北端に愛車XR250Rでやって来た。

 

1日目 6/9(日) 1:26pm あざれあ丸はベタ凪の粟島沖 航海速力25ノットとある。(25knot*1.85㎞=ひェー時速46㎞かよ)

下北大間港から津軽海峡フェリーで函館、時計回りに北上一周を計画して5月のフェリー予約したら、埼玉の橋くんから一緒に走ろうってオファーあり。日程を合わせて彼は大洗→苫小牧、私は新日本海フェリーで新潟港12:00→小樽に翌日4:30am着の16時間半。6/14日に網走で落ち合い層雲峡で泊まろうってことになった。

2日目 6/10(月) 1:41am 船内ディスプレーにフェリーはいま積丹半島沖。小樽港4:30下船まであと3時間。

 

4:34am 着岸してクルマが下船を開始。バイクもエンジンが掛かる。バイク部屋は約30台、まだ余裕の広さに頭から入るバイクはクルマと違ってUターン切り返し。混んでたらこの大荷物に床の鎖がくせ者、コケるのもいるんだろうな。まだ6月に若者は少ない。ヘルメットの中は白髪に薄毛、下腹出たもうリタイヤジーさん?が多いな。

XRエンジンかけるとかぶって?吹けあがりが悪い、イヤな予感。船から降りて走っても吹けあがらず調子悪し。最初のコンビニで止めるとキャブのドレンホースからガソリンがダダ洩れ馬のシッコ状態。ひぇーッ、何だこれ??? 北海道初日の朝5時にJAF呼ぶのかよ?ってしばしボー然。えいやッ、タンクはまだタップリ見える状態。燃料コックOFFにしてしばらく走ってみる。あれ?治ったのかな?行けるとこまで行けー!!で8日間、新潟まで帰って来た。

新潟で船下りて帰り道に大島のバイク店に寄って情報収集、「昔のバイク、燃料コックとストレーナーからキャブにゴミ行ったのかな?古いから部品あるかな?あったら連絡するよ。」だって。YouTube見たらフロートチャンバーにゴミ挟まったりすると隙間ができてガソリンが溢れるってある。OFFにしてしばらく走ったからフロート油面が下がってゴミ取れたのかな?って勝手に思った。駐車場にガソリン垂らしたコンビニさん、ゴメンなさい。

 

10:00am 留萌を過ぎてR232オロロンラインをひたすら走る。クルマも人もいない小平町鰊番屋道の駅で。朝方は霧雨、北上につれて晴れてきたけど寒くて雨カッパが脱げない。稚内まで340km、景色なんてもうどーでも、寒い早く着きたい。2:00pm稚内着、8時間かかった。ヘロヘロ。

 

5:00pm 稚内港を見ながら宿から10分、稚内副港市場にある港の湯でサッポロ生ジョッキが5つ並んだ。課長島耕作が部長、取締役、常務、専務、社長になるまで30年間そろってて誘惑に負けた。露天風呂もあり☆5つ、生き返った。2Fにある樺太記念館(なんと無料)は間宮林蔵の探検、日露戦争から昭和20年終戦まで日本の領土だったここでしか見られない樺太の歴史に☆5つ。片隅に賢治コーナー。

賢治は教え子の就職あっせんに大正12年にここ稚内港から樺太に渡っている。7/31日花巻から東北本線夜行列車で青森、8/1日青函連絡船で函館、函館本線で旭川農事試験場、8/2日宗谷本線で稚内、夜の稚泊航路対馬丸で樺太大泊、そして樺太鉄道で当時の最北栄浜まで。「前年に他界した最愛の妹、トシの魂の在り処を求めての旅ーそれは名作『銀河鉄道の夜』を生むきっかけとなった旅でした。」:稚内市樺太記念館

「あめゆじゅとてちてけんじゃ・・」岩手花巻高女の教員だった2歳違いの妹、トシの病死を書いた「永訣の朝」は教科書に載ってた。「雨ニモマケズ」や「風の又三郎」しか知らないが、稚内で悲しみを抱えて樺太に渡った賢治に出会った。

 

3日目 6/11(火) 6:39am 宗谷岬  稚内の宿を5:15出発。ノシャップ岬(野寒布岬)に寄る途中に鹿が数頭横切っていく。道端にはキツネも。似てるけど納沙布(のさっぷ)岬は最東端の根室。

宗谷湾沿いにR238(稚内ー網走320km)を宗谷岬に着く。間宮林蔵の像が海峡を見ている先に樺太島は見えなかった。クルマで来たカップルの若者と写真を撮り合う。朝早すぎて誰もいない最北「てっぺん」の地、正月のここに意味があるという若者の凍えてるYouTube見たな。宗谷岬独り占め!

 

8:24am エサヌカ線を走る。R238宗谷国道を南下、途中国道から猿払(さるふつ)村の海岸部エサヌカ(アイヌ語で浜へ降りるトドマツ林)に入ると10数キロの直線路がクッチャロ湖浜頓別まで続く。両側は牧草地らしいが牛も柵も見えないまっすぐな道。遠くに浜頓別の斜内山(439m)。クルマ2台に遭うがバイクに1台も遭わずだった。センターラインとデリネーターがあるだけ、本州ではありえへん?世界。

バイク乗りYouはなぜ北海道に?・・・答えはここにあり?。止まらずに走り続けることができる道、信号や交差点のない道、足を着かなくてもいい道、2輪は止まるとコケるのだ。これを立ちゴケという。 本州ではJH高速道路しかない。

 

12:08pm 今日の泊り中頓別町のピンネシリ温泉望岳荘に着く。メーターは532km。 JR天北線敏音知(ピンネシリ)駅の跡地、道の駅ピンネシリから撮影。オートキャンプ場、コテージ1棟貸もあり夏は賑わいそう。 

R238浜頓別からR275内陸中頓別への道の両側で牧草を食んでる牛たちに「お~~い!うし~!」と叫びながら走る。怪訝そうな顔でこっち向く乳牛たち。海岸線を走りたかったけど温泉あるので決めた今日の宿。素泊まり5,500円、近くにお店は?と受付に聞けば「15km中頓別まで戻れば・・」だって。今日はカップ麺とポテチとビールで温泉放題で寝ます。

たたみ20畳くらいの休憩室に7~8人のバーさん達・・食堂の椅子には私と同い年くらいかなのジーさんがカップ麺、聞けば火木土にここまで送迎バスの運転手、私より6つも若い。「むかしここは国鉄天北線で急行も走ってた。先祖は会津から入植した。」って。エッ会津藩士屯田兵の子孫か?

天北線って「日本統治下の南樺太への連絡鉄道として建設された宗谷本線の当初のルートである。音威子府から稚内へは天塩線ルートの方が短距離であるにもかかわらず、浜頓別の開拓のため、大きく迂回する北見線ルートが先行し、1922年に稚内駅(現在の南稚内駅)まで全通した。」: Wikipedia

へぇー宗谷本線は最初オホーツクを通ってたのか。明治に頓別川支流で砂金が見つかり賑わったこの地も、平成元年(1989)JR天北線が廃止され、代替の路線バスも去年から浜頓別~音威子府(オトイネップ)間がデマンドバスに代わっている。

風呂上り楽しそうに話してたバーサンたち、3時に温泉送迎バスに乗り込むのを見送る私に昭和12年生まれ、私は8年って挨拶して帰っていった。

 

廊下にあった温泉の由来。ピンネシリって敏音知って書くのか。アイヌの人達が神の山とした高い山を男山(ピンネシリ)、低い山を女山(マツネシリ)って呼んだのが敏音知岳(703m)松音知岳(531m)。向かいの「道の駅ピンネシリ」からは敏音知岳登山道が続いてる。

由来にある中頓別開拓の祖、楢原民之助とは、瀬戸内の小島に生まれ北前船の水夫を経てニシン漁のオホーツクに、やがて不漁になると砂金が発見された中頓別の砂金事務所に、砂金も下火になると39歳明治36年夏、頓別原野の開拓植民区画の貸付申請をする。と「頓別村発達史」をNet記事で見る。計画では4町3反歩を6年で・・、期限内に成功すれば自分の土地になる開拓に、たった一人で道なき原野を切り開いた男の意気を感じる。数多くある北海道開拓史、NHK朝ドラにならないかな。

朝4時、野鳥の鳴き声、ウグイスのケキョケキョケキョ・・・ホーホケキョに癒されながら目覚める。北海道は今頃ウグイスの鳴く時期なのか。夜9時以降無人になるためカギを渡され朝7時まで入り放題のお風呂!、ひとっぷろ浴びて向こう側の道の駅に散歩に出かける。何という解放感にはしゃぎたいが、最近のクマのニュースに自重、フロントの鍵ボックスに部屋のカギと風呂のカギ入れて7時半出発する。人、クルマがいないのだ。草喰ってる牛たちに挨拶しながら走る。「おーーい、牛ー!」

4日目 6/12(水)   今日は紋別まで160kmを走った。中心街にあるホテル、オホーツクパレス。5月にこのホテルであった名人戦藤井聡太名人豊島将之九段のデカ写真がフロントにあった。2時に着いたけど早めに入れてもらう。コンビニで金麦500を仕入れて風呂上りにプファーって生き返る。ケータイの充電コード頼むと親切に8階まで持ってきてくれた。

正面に紋別山(334m)、後ろはオホーツク紋別港。紋別「市名の由来はアイヌ語の「モペッ(mo-pet)」(静かである・川)から」」:Wikipedia 人口20,089人、飛行場もあるオホーツク屈指の漁港都市は観光都市でもある。

江戸幕末安政の時代から秋田藩、会津藩が沿岸警備担当となりモンベツ出張陣屋を作ったとある。出張派遣された藩士たち、この地での越冬する苦労は大変なものがあったろう。想像もできん、なに食ってたんだろう?

プファーってしたら紋別観光はヤメ。デカ帆立貝食ってみたかったけどホテルの晩飯に出なかった。12mそびえ立つ昭和58年から話題のカニの爪オブジェ見てみたかったな。

 

5日目6/13(木) 8:20am  紋別6:30am→寒いのでサロマ湖をすっ飛ばし、網走手前のコンビニ。

外でコーヒータイムしてるとパリダカが来たのでビックリ!!嬉しくて握手、写真撮らせてもらった。ヘルメット取ると白髪交じり、同世代かと聞けば昭和22年生れ、尾張小牧のホンダXL250パリダカは84年製だって。21リッターのトリコロールPARIS DAKARデカタンクは700km走れるよ、雨降りそうだし危ないのでフロントタイヤ買って自力で交換してきた、今日は斜里の野営場で早めにテントだなって言った。コーヒー飲んでキック3回、ジーさん軽快に走り去っていった。ハンドルバーにスマホでなくタブレットつないでた。ひょっとして老眼? XRより11年、私より3年古いけどバイクも人も現役のツワモノ。スゴイなぁ!。

1,979年に始まったパリダカ。道のない大自然の砂漠荒れ地を1/1日から約20日間でパリ→アルジェ→セネガルのダカール海岸まで走る冒険ラリー。創始者ティエリー・サビーヌの言葉 I will take you to the gateway of adventure, but you alone can challenge fate.私が冒険の扉を示す。開くのは君だ。望むなら連れて行こう。:Wikipedia」に世界が興奮。このトリコロールで走ったHONDA。

 

12:10pm 網走を過ぎ斜里からR334知床国道を、走りながら見えるオシンコシンの滝をスルーして、ウトロ漁港の道の駅シリエトク。大きな施設に駐車場も広いがこの時期、まだ余裕、7~8月は混雑するんだろうな。新潟港でXRのすぐ後ろに並んだTRIUMPHの若者と駐車場で隣会う。船内での始動に調子悪かったXRに気づいていて、その後を気遣ってくれて挨拶の言葉を交わす。同じ船に乗って5日目同じ日に知床で再会するなんて偶然。好きだった望月三起也ワイルド7にトライアンフ乗ってたのがいたな。普通二輪で乗れるspeed400のよう。「いいな、故障の心配ない新しいクルマは・・」ってグチ言ってしまう。

初めて見るコマイ。干物では食ったことあるけど実物はタラだな。食堂のメニューにコマイ定食はなかった。鷲さん推奨のホッケにする。

「シリエトク(sir-etok)とは、アイヌ語で「陸地・大地」 (sir)の「先端・前」(etok)を意味した「大地の突端(行き詰まり)」を表す言葉であり、知床の語源でもある。」:Wikipedia シリエトク→シレトコ 北海道の地名はどこもかしこもすべて先住していたアイヌの言葉。インディアン、アボリジニ、マオリ、チャモロ、イヌイット、先住先祖の地を奪われた歴史。

 

12:53pm  知床五湖は興味なくスルーして横断道路を知床峠(740m)に入る。オホーツクからの登りは霧雨で前方視界悪しゆっくり走る。峠を越えれば根室海峡、国後島。すっきり晴れた羅臼岳(1,661m)を背にワインディングを下る。山が連なる国後島を見ながら、森繁と登紀子を思い浮かべながら口ずさむ。「しれとこの岬に はまなすの咲くころ・・はるかクナシリに 白夜は明ける・・」

昭和37年の紅白で、白夜(びゃくや)と歌った森繁に「白夜(はくや)が正しい」と指摘した学者に反論、「白虎隊(びゃっこたい)って言うじゃないか。何が悪い。」って言ったとか・・

NHKも視聴者の疑問に「たしかに「白夜」の本来の読み方は[ハクヤ]です。ことばの中には、本来の伝統的な読みがありながら時代とともに違う読み方が定着し、ことばとしての市民権を新たに得るものもたくさんあります。「白夜」も、その典型的な例の一つです。・・・昭和55年(1980年)に行った有識者アンケートでは、「白夜」の読みについて実に9割以上の人が[ビャクヤ]と回答していました。それまで放送では[ハクヤ]の読み方だけしか認めていませんでしたが、[ビャクヤ]も認めることになったのです。今では、[ビャクヤ]と読み、場合により[ハクヤ]と読んでもよいことにしています。」だって。  NHKはもう「ハクヤ」とは読まない。森繁が日本語の読み方を変えた。

 

令和4年(2022)4月の知床遊覧船事故はまだ生々しい。4/23日強風、波浪注意報の中でウトロ港からの周遊に、乗組員2名含む26人が遭難。

このパンフは羅臼港、相泊港からの小型船。喉元過ぎて熱さを忘れた人たちには 「知床岬ひぐまクルーズ ルシャコース15,000円」は推しのコースなんだろう。もはや知床は秘境でなくサンダル履きの観光地になっている。

 

1:33pm  途中、羅臼川のほとりに町民有志が造った無料の露天風呂「熊の湯」や「熊越の滝」もスッ飛ばして今日の宿、らうす第一ホテルに到着。直前に黒の原付から降りたジーさん。他のクルマも日帰り温泉目当てのようだ。この時期、クマと一緒に入ってられない。

さっそくひとっぷろ。白濁温泉臭、熱い。広々露天風呂をクマを気にしながら羅臼温泉でジョンノビだ。

 

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