鈴鹿市議会議員 中西だいすけの活動日誌

鈴鹿市議会議員として年齢も含め5期目のベテランになりました。日々の活動や感じたこと、議会での動きなどをつづります。

老いを認めてはどうでしょう?

2023年04月01日 09時34分00秒 | Weblog

私たちは社会の老いを認めてはどうでしょうか。

 コロナ禍の後の世の中、今直面している社会の状況を考える時、いまの私たちがしたほうが良いと考えることことは、私たち自身はもちろん、これまでに造ってきた施設や道路などをはじめとしたモノとしての街も、私たちが常識として考えてきた社会の仕組みも、すべてが「老いている」ということを受け入れることがはじまりだと思います。このことは私が■2014年6月に行った一般質問「まちの高齢化への対応について」で取り上げていることと重なっています。

※イメージイラストは「いらすとや」さんから借用しています。

 その中でも、私たちが常識として考えてきた社会の仕組みが「老いている」ということを受け入れ、それに向かい合い、必要な変革を行うことが急務になっていると考えています。以下、特定の政党を念頭に書いているわけではありません。

 第二次世界対戦後からバブル期まで、途中でオイルショックはあったものの、高度経済成長があり人口も増えてくる中で、私たちは色々な恩恵を受けてきたのは事実で、確かにシムシティなどで見られるような形で“まち”が成長し、学校や道路をはじめとした建築物や、いろいろなサービスとそれに付随した多くの“モノ”が増え、ある意味で狂乱とも言える時代を過ごしたのは事実でしょう。それはある意味で、青年期に至る過程の私たちの成長と似通っていると思います。これまでの期間に整備されてきた多くの“モノ”は、いま耐久年数という「高齢化」にさらされています。 

 また、昭和から平成、平成から令和と移る中で、出生数の減少から人口減少が進み、その一方で高齢者となる人が増えることでの社会の高齢化が進んでいるという現実、“人の高齢化”は進んでいることは避けられないことで、それをどれだけ多様な視点から考えているかと言えば、政治の場面では心もとないと思います。

 バブル景気が終わって以降、平成の時代で行われたことは、赤字国債を発行しながら、それまでと同じような政治を続けるということだったのではないでしょうか。それは、運動量が落ちているのに、青年期と同じ食生活を続けた結果、生活習慣病となっている状況と似ていると思います。それが、国と地方を合わせた長期債務が1千兆円を超えた状況だと考えています。

 そう考えると私たちは、政治の見方を変える必要があると思います。これまでは要望を実現するために政治家がいるという感覚でしたが、実際のところは現在の状況の中では、限られた財源の中で政策を選択するしかないわけです。財源を確保しようと考えるのであれば、過剰になっている事業を止める、無駄を省く、増税をする、社会保険など別の部分で負担を増やす、国債発行に都合の良い理由や説明をつけて発行する、などになるでしょう。

 そのように考えると、政治家がすべきことは将来を考え実現するものを選択しそのための財源を真剣に考えることではないでしょうか。国、都道府県、市町村、すべてにおいて重要なことだと考えます。しかし赤字国債を前提とした財政運営が行われているのはなぜか。それは冒頭に書いている「老いた」という事実を、政治が受け入れられていないからだと思います。そしてその「老い」は見た目や年齢には関係なく、思考の老いであり、判断や決断に影響しているのだと思います。

 一方で政治の老いには、私たちの選択が関わっていることは間違いなく、私たち自身も変化することが求められるでしょう。それは政治を面倒くさいと遠ざけるのではなく、また自分の考える政策や要望の実現だけに目を向けるでなく、そのための財源や他の課題も含めて俯瞰して考える機会を増やすなどして、政治の老いを遅くする必要があるのだと思います。


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