「接待パンプキン」という非常に短いフレーズで
「接眼レンズを取り付ける」、「対物レンズを取り付ける」、「反射鏡を調節する」、「プレパラートを乗せる」、「ピントを合わせる」という顕微鏡設定の順序を脳裏に焼きつける、
あるいは「上流階級 太ってさ!」という語呂合わせでは
「蒸留」が「沸点の差を利用して物質を分離する方法」であることが驚くほど簡単に覚えられるなど、驚異の成果をもたらす暗記術を満載。
この「ベック式!高校受験の理科1分野重要ポイント暗記術」で、理科の苦手な生徒も理科が好きになり、そしてすぐに得意になります。
▲「蘭亭序」
●魏晋南北朝の文化
奥義(おうぎ)知らんで 女生徒死。
王羲之 「蘭亭序」 書聖 東晋
東晋の書家王羲之(おうぎし)は筆勢にすぐれた端正な書風で楷書・行書・草書の3書体の芸術性を飛躍的に向上させ、後世〈書聖〉と称えられた。353年頃に書かれた「蘭亭序(らんていじょ)」は書道史上最も有名な作品であるが、原本は残されていない。
〈中国の書家〉
王羲之の子、王献之も東晋の時代に活躍し、父とあわせて二王と呼ばれた。
さらに、隋の煬帝から唐の高祖へと仕え、「芸文類聚」を編纂した欧陽詢、太宗の宰相で「大唐三蔵聖教序」を書いた褚遂良、同じく太宗に仕官し孔子廟堂碑や「北堂書鈔」を書いた虞世南の3人を初唐の三大書家と呼ぶ。
また、盛唐期、安史の乱にも義勇軍として参加した顔真卿は王羲之流の書風を一変した。そして、明末の文人画家でもあった董其昌は行草を得意とし、董風と呼ばれる書を開拓した。
▼王羲之
前項で「思い出しやすいように情報を加工する」ことが大切であると述べた。それでは具体的に、覚えるべき内容にどのように手を加えれば思い出しやすいのであろうか。
次の例を見ていただきたい。
A.てのんだおはかこかろどおさい
B.おおさかはてんかのだいどころ
これら2つの言葉には同じひらがなが同じ個数だけ用いられているが、どちらが覚えやすいかは一目瞭然だろう。
Aの方はいったんは丸暗記できたとしてもすぐに忘れてしまうだろうが、Bの方は簡単に頭に入り、数日後でも思い出すことができる筈だ。
この差はAが単なるひらがなの羅列であるのに対して、Bの方は意味を持った文章になっているという違いから生じている。
意味があるものは無意味なものを記憶する場合と比較してはるかに覚えやすく、連想も働くため、極めて思い出しやすいのである。
例えば、『女の一生』を書いたのは「モーパッサン」だということを覚える際に、丸暗記だとすぐに忘れてしまうだろうが、2つの情報をつないで意味付けし、「女の一生、もう婆さん」とでもすれば、大袈裟ではなくそれこそ”一生”覚えていられるに違いない。
▲完顔阿骨打
●東アジア(金)
Jin dynasty is founded in China, ruling over land seized from the Liao empire.
ベック式!ゴロ合わせ
人々(ひとびと)以後は もう近所。
1115年 完顔阿骨打 猛安・謀克 金 女真族
女真文字
中国東北地方で半農半猟の生活を営んでいた女真族は、契丹の支配下にあったが、1115年に完顔阿骨打(太祖)のもとで独立し、金と称した。金は、宋と結んで遼を攻撃し、1125年に遼を滅ぼすと、さらに宋をも滅ぼして華北を支配下においた。金は猛安・謀克という独自の軍事・行政組織を整備して国力を伸ばし、契丹文字と漢字をもとにした女真文字も作成した。
▲ヴォルムス協約原本
●教会(中世カトリック教会)
Pope and emperor end 50-year dispute over power of Church.
ベック式!ゴロ合わせ
人々(ひとびと)叙任 ヴォルムスで。
1122年 聖職叙任権 ヴォルムス協約
カノッサの屈辱以後も教皇と皇帝の争いは続いたが、十字軍の遠征を通じて教皇権は次第に高まり、1122年ヴォルムス協約が結ばれる。
聖職者の叙任権は教皇にありとする内容の協約である。
グレゴリウス7世が始めた叙任権闘争はハインリヒ5世(カノッサの屈辱で教皇に屈したハインリヒ4世の子)のときに教皇側の勝利で終息したのである。
この後、教皇権は13世紀に全盛期を迎えた。
ベック式!中学生の暗記術
別宮孝司
「暗記する」ことの意味と認識
勉強を進めていくうえで、暗記は欠かせないものです。単語を覚えることなく語学を修得することは不可能ですし、人名を用いずに歴史を語ることはできません。そもそも語彙なくしては考えを言葉にすることすらできないのです。
それほど重要なものであるにもかかわらず、暗記に関する技術的な側面が語られることはほとんどありません。
その理由は多くの人たちが記憶力を天性のものと信じて疑わず、それゆえその改善や向上など不可能だと思い込んでしまっているからです。学生諸君はおろか、勉強を教える教師たちまでもがそう思い込んでしまっているからやっかいです。その結果、覚える事に対しては何の工夫もなされず、がむしゃらに繰り返すしかないと誰もが漠然と考えてしまっているのです。
しかしながら他人と比較して「覚えられない、記憶力が悪い」と考えている人は、単に覚え方が悪いだけなのです。
覚える際に、覚えるべき事柄にほんの少しの加工を施すことによって記憶力は格段に上昇します。驚異的にと表現しても大げさではないでしょう。
学習する上で最も重要な認識は、暗記は勉強でも何でもないが、暗記すべき事柄は勉強を進めていく上において非常に重要な要素であるということです。
暗記は目的ではなく手段なのです。あるいは道具と表現した方が分かりやすいかも知れません。勉強における暗記は画家にとっての絵の具であり、演奏家にとっての楽器なのです。
ゴッホが絵の具を自ら作ることから始めていたら、あるいはモーツァルトがピアノ作りにエネルギーを費やしていたなら、かれらは作品の中でその天才を発揮することはなかったでしょう。
持てる力を最大限に活用するためには、その力を真に有意義な目的に注ぐ必要があります。勉強でもない暗記にエネルギーを費やしてしまい、創造的な思考や独創的な発想から遠ざかってしまってはまったくの本末転倒ではないでしょうか。
「ベック式!中学生の暗記術」は修行を経なければできないような難行や苦行ではありません。立ち位置を少し変えるだけで大きく視野が開けるように、視点をほんの少し変化させることによって大きな効果があらわれる、そんな取り組みなのです。
例えば、英単語の意味を問われて答えられないとき、皆さんは「忘れた」、あるいは「覚えていない」などと答えることでしょう。そして正解を示されて「あぁそうだった。そういう意味だった」などと言います。
覚えているではないですか。
「そういう意味だった」と言えるということは、忘れてなどいないのです。それは思い出せなかっただけなのです。「忘れる」ことと「思い出せない」ことは全くの別物です。このことを認識しないままに学習を進めることは、サッカーの試合に向けて野球のバットを素振りするようなものなのです。
逆に言えば、思い出しやすいように覚えることで、記憶の想起においても大きな成果が得られることになります。
それでは、どのような情報が思い出しやすく、どのような情報が思い出しにくいのでしょうか?このことを理解していれば暗記がずっと簡単に行えるはずです。
歴史年代から出来事を、英単語からその意味を、あるいは言葉からそれを表す漢字など、複数の情報を結びつける際に橋渡しをするもの、それは「連想」です。
記憶の容量は無限大であるというのが研究者たちのほぼ一致した見解です。そしてその無限大のアーカイブにアクセスするための鍵が連想なのです。連想を確かなものにし、記憶力を向上させるための基本となる原理は5つあります。それは「意味付けする」「関連付ける」「組織化する」「視覚化する」「音声化する」という5つです。
「意味づけする」ことの意味
まずはじめに、「意味付けする」ことの意味について述べていきたいと思います。
「いい国つくろう鎌倉幕府」という有名なゴロ合わせがあります。この暗記術によって、とっくの昔に歴史の勉強から離れた人たちでさえ、鎌倉幕府が成立した年代をしっかりと覚えています。この事実は、記憶におけるゴロ合わせの効果の大きさと持続性の高さを裏付けているといえるでしょう。
次の例を見て下さい。
A. てのんだおはかこかろどおさい
B. おおさかはてんかのだいどころ
これら2つの文字列には同じひらがなが同じ個数だけ用いられていますが、どちらが覚えやすいかは一目瞭然でしょう。Aの方は一旦丸暗記できたとしてもすぐに忘れてしまうでしょうが、Bの方は簡単に頭に入って数日後でも思い出すことができるはずです。
この差はAが単なるひらがなの羅列であるのに対して、Bの方は具体的な意味を持った文章になっているという違いから生じています。
意味を持った情報は無意味なものを覚える場合と比較してずっと覚えやすく、連想が働くため、はるかに思い出しやすいのです。
そして、意味付け暗記術の最も有名な例が歴史の年代暗記などに用いられるゴロ合わせでしょう。冒頭の例で言えば、「1192年」という、それ自体は何の意味もなさない単純な数字の羅列を「いい国」という、政治体制を連想させる言葉に置き換えることで「幕府」という概念との架け橋にして「鎌倉幕府」を導いているのです。
私はこれだけ効果の高い方法を単なる年代の暗記だけに用いるのはもったいないと思い、年代のみならず、人名や地名などの重要事項も網羅し、それでいて通常のゴロ合わせよりも覚えやすい、そんなゴロ合わせはできないだろうかと考えました。その結果生まれたベック式!年代暗記法では、「1560年に」「織田信長」が「今川義元」を「桶狭間の戦い」で破ったことを「日頃おだてて今オッケー!」という奇襲攻撃をイメージするゴロ合わせとし、「1789年」、「バスティーユ牢獄襲撃」をきっかけに「フランス革命」が起こり、「人権宣言」が出されたことを、「非難爆発フランス人」と覚えることにしました。こうすることで、年代と重要事項を一緒に思い出すことができるのです。
関連付けて覚えよう
「ドイツの形を思い浮かべてみてください」といわれても、思い出せる人はそれほど多くはないかもしれません。
それではイタリアの形はどうでしょう。
遥かに多くの人がその形を思い浮かべることができるのではないでしょうか。
これはイタリアの形が長靴の形に似ていて、身近にある長靴の形に結びつけて覚えることができるためであり、実際多くの人がそうしてイタリアの形を思い出しているようです(あなたもそうだったのではないですか?)
自分にとって身近なもの、よく知っている事柄に、覚えようとするものを結びつけて記憶していけば、それが記憶を導き出すためのタグとなって、思い出すことがいとも簡単になります。
例えば「源氏物語」が「紫式部」によって書かれたことを覚える際、最もイメージが鮮やかな語は「紫」である。
色を意味するこの語に「源氏物語」を関連付けて、「原色の紫 一部濃く。」とでもすれば、「源氏物語」「紫式部」という2つの情報が連想によって繋ぎ合わさり、容易に思い出せることをおわかりいただけるであろう。
このように複数の情報を関連付けることによって情報は格段に取り出しやすくなる。関連付けられ、連想を引き出しやすくなった情報は実際の試験の場で大きな威力を発揮するのである。
例えば、高校入試の本番当日こんな問題が出たとします。
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【設問】
金属のマグネシウムリボンに薄い塩酸をかけたときに発生する気体は?
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「あー。確かにやったよな。塾で冬のワークに出てた。何だっけ。え~っと。え~っと」と考えているうちに時間が来てしまい、テストが終わって近くの友達に聞いたら、「水素でしょ」と言われて、ああそうだったと思い出す。
これでは、まったく意味がないのですが、ほとんどの生徒がこのような結果になってしまっているのもまた事実です。
「ベック式!暗記術」ではこの内容を、「禁煙しても吸いそうだ」と喫煙のイメージにからめて覚えるのだ。
こうすることで、
禁煙の「きん」・・・・・・金属
禁煙の「えん」・・・・・・塩酸
吸いそうだの「すいそ」・・・水素
から
「金属に塩酸を加えると水素を発生する」
という得点ポイントをいとも簡単に思い出すことができるのである。
組織化を試みる
略語や頭文字は長ったらしい情報を短くするテクニックとして使われます。言葉でも名前でもグループ化することによって大量の情報が遥かに覚えやすくなるのです。
例えば、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道からなる五街道を覚える場合、「途中に置こう、東海道」(「途(東海道)中(中山道)に(日光街道)置(奥州街道)こう(甲州街道)、東海道」)と組織化することで、複数の内容を一挙に覚えることができるのです。しかもそうする方がかえって覚えやすいほどなのです。
また、漢字は同音の文字が非常に多い言葉です。それをそのまま覚えるのは、似たものは混乱しやすいという、記憶の干渉が起こるため、なかなか大変なことです。
例えば、「カンゲイ会を開く」「カンコウ名所」「新聞のカンユウ」を書き分ける際、「カンゲイ」の「カン」は「歓」、「カンコウ」の「カン」は「観」などと覚えるのは非常に記憶効率の悪いやり方です。なぜならそれらは読み方が同じなのですから。
そこで、組織化によって、「歓迎会を欠席し、観光名所見て回る。勧誘するとき力づく」などと覚えれば、「カン」の識別ではなく、「見る」と「力」の区別になるので、思い出すのが驚くほど容易になるのである。この方法をもってすれば、一つの漢字を覚えるよりも複数同時に覚える方が簡単なほどなのである。
覚えたい事柄をピックアップし、その頭文字を並べてつなぎあわせ、リズミカルなフレーズにすることで数やアルファベット、あるいは漢字の羅列がどんどん頭に入り、さらに思い出す際にひとまとまりになって、簡単に思い出すことができる。
頭出し記憶法ともいうべきこの暗記法は、記憶の想起を助ける手がかりを得るための暗記術です。
たった一文字や二文字のヒントで記憶は復元できるのだろうかとお疑いの方もおられるだろうが、それは心配ありません。
例えば、誰かの名前が思い出せなくて、「何という名前だったかなぁ、喉もとまで出かかっているんだけどなぁ」というような場合、最初の文字は「な」などのヒントが与えられれば、「あっ、中村さんだ!」という具合にその名前が自然に思い出せることは誰しも経験することでしょう。最初の文字が与えられることによって、情報の選択肢が五十音の一つに限定されるため、単純計算でも記憶力は50倍になるのです。
関連付けにせよ組織化にせよ、複数の情報をひとまとめにして覚える方法ですが、複数の情報を比較することではじめて見えてくるものがあります。こういった試みによって暗記すべき対象に対する観察力も備わってくるというものです。
視覚化することで記憶を鮮明に
文字は象形文字に限らず何らかの形をもっている。その形を利用して単語の意味や結びつけるべき重要事項を思い出すことができます。
例えば、Novemberの「N」にある二本の縦線を「11」に見立てて11月を覚え、Octoberの「O」を数字のゼロに見立てることで10月を忘れないようにすれば効果は抜群で、一度見たらそれらの意味を二度と忘れることはないでしょう。
この文字型活用暗記術は漢字で書かれた内容を覚える際にも大いに利用できるのです。
例えば、「本居宣長」が『古事記伝』を著したことを覚える際には「本居」の「居」の字にある〈古〉の形に着目し、これを著書の「古事記伝」に結びつけて覚えるとよいです。これだけで記憶の復元率ははるかに高いものになるはずです。
視覚化して何かを覚える際に必要な心がけは、想起をもたらすヒントを探し、そのヒントを意識して記銘を試みることである。どう覚えれば思い出しやすいかを考え、覚えることなのである。
音声化して脳裏に定着させる
覚えることがらを音声化することも暗記術の重要な原理です。
歌手の人たちはどうしてあんなに多くの曲の歌詞を覚えていられるのでしょうか。持ち歌は言うまでもなく、コンサートなどで披露するカバー曲も含めれば、並の歌い手でさえ、そのレパートリーは100曲を下ることはないでしょう。
あるいは私たち自身童謡やマンガの主題歌など、小さい頃に覚えた歌でさえ鮮明に覚えていたりします。
その秘密はメロディーにあるのです。
覚える対象がメロディーのない、ただの詩なんかだったらああはいかないでしょう。100も200もの散文を暗記することなど不可能でしょうから。
記憶すべき内容をメロディーにのせることによって声に出す効果と聴覚を刺激する効果があるだけでなく、骨伝導によって情報がダイレクトに脳に入る。また、記憶容量が格段に大きな右脳の助けを借りることができるため、多くのことがらを正確に覚えることができるのです。
メロディーにのるからにはゴロもいいわけで、ゴロ合わせの効果もあります。したがって、聴覚を通して入ってきた情報は長期記憶として非常に定着しやすいのです。
例えば、日本の時代の変遷を覚えるなら、「もしもし亀よ」のメロディーにのせて
「旧縄弥生、古墳飛鳥
奈良平鎌倉南北朝~
室戦安土~、江戸明治~
大正、昭和に平成です~、」
という具合に歌うことで驚くほどすぐに覚えてしまい、忘れることはなくなるでしょう。
あるいは、
「殷・周・東周、春秋・戦国、秦・前漢・新・後漢・魏蜀呉・西晋・東晋・宋・斉・梁・陳。
五胡十六・北魏・東魏・西魏・北斉・北周、隋・唐・五代十国、宋・金・南宋・元・明・清」
という中国の歴代王朝をこのまま「アルプス一万尺」のメロディーにのせて歌ってみれば、高校生をも悩ませる複雑な流れを小学生ですら簡単に頭に入れることも可能です。
暗記は楽しみながら
心理学者のフロイトは「快い体験はよく記憶され、不快な体験は忘れやすい」と言っています。
その実際的効果もさることながら、暗記術によって本来退屈な暗記という作業が楽しくなるという面においても、その効果は絶大です。記憶をつかさどる脳の部位である扁桃体は、楽しいか楽しくないか、有意義か有意義でないかを情報選別の基準にするのです。
すなわち、楽しみながら覚えることができれば、情報はどんどん頭に入ってくるのです。
ある研究によると、愉快な記憶がおよそ50%の割合で思い出されるのに対し、不快な記憶は20%程度しか思い出されなかったといいます。脳の中で好き嫌いを識別する扁桃体と情報の必要性を認識する海馬は隣り合っていて、情報交換が行われているのです。
このように記憶と感情には密接な関係があります。自発性や興味は記憶力を決定する重要な条件である。「好きこそものの上手なれ」と言われる通り、人は自分の好きなこと、興味のあることには熱中できるのです。
好きなことなら覚えていられる
記憶力に自信がないという女の子たちも、好きなアイドルグループのメンバーに関してなら名前どころか、生年月日をはじめとする詳細なデータを記憶しています。
単語が覚えられないと嘆く男の子たちも、好きな女性歌手の曲なら英語で歌うことさえできます。
悪いどころか抜群の記憶力です。この結果は、対象に対するイメージが違うだけなのです。
私たちは興味のあることに没頭する力を持っています。したがって、試験のために仕方なく覚えるようなことに対しても、興味を持とうと心がけることが重要です。
そうすることによって、何かしら興味を引かれる部分を見つけることができるはずです。対象に踏み込めば踏み込むほど、その面白さを見つける事ができるのですから。
すなわち、暗記のための作業をただ単調に繰り返すのではなく、覚えることに関心を持ち、その成果を楽しみながら取り組むことが出来れば、記憶力は確実に、自然に、そして飛躍的に強化されてゆくのです。
●中国(宋)
The Jin dynasty forces the Song to move their capital Kaifeng to Hangzhou.
日々(ひび)に虚しき 成功期。
1126~27年 金 靖康の変 徽宗 欽宗
北宋と同盟して遼を滅ぼした金は、1126年宋の首都開封(汴京)を占領。翌27年、上皇の徽宗(きそう)、皇帝の欽宗をはじめ、皇族・重臣多数を北方に連行した。かつて経済的繁栄を誇った宋も、この靖康の変によって滅び、皇帝の弟高宗は江南に逃れ、臨安(杭州)《「臨安」は〈安心〉に〈臨む〉ことのできた都市と考えると、覚えやすい!》を都とする南宋を建てた。
▲濃色の部分が両シチリア王国の領土
●イタリア(両シチリア王国)
Roger II of Sicily becomes King of Sicily.
ベック式!ゴロ合わせ
人々(ひとびと)去れば 領地有る。
1130年 パレルモ 両シチリア王国
ルッジェーロ2世
ノルマンディー公国から進出したノルマン人、ロベール=ギスカールは南イタリアに、ルッジェーロ1世はシチリアに公国を建てた。
1130年、ルッジェーロ2世は両方をあわせ両シチリア王国とした(「両シチリア」とは、シチリア王国とナポリ王国の2つの国を指す)。諸勢力の干渉も多く、政情は不安定であった。
都のパレルモを中心に、ノルマン、ビザンツ、イスラムの要素が混在する独自の文化が花開いた。
▼シチリア王国の繁栄。ノルマン人の王ルッジェーロ2世を描いたパレルモのマルトラーナ教会の壁画
両シチリア王国は1860年、イタリア統一運動(リソルジメント)の最終局面でガリバルディは千人隊をひきいてシチリア島に上陸し、最終的には南イタリアの両シチリア王国を征服した。
ガリバルディは占領地をサルデーニャ王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世に献上し、翌1861年にイタリア王国が成立した。
●マグリブ地方(ムワッヒド朝)
The Almoravid emperor is dead, following the fall of its capital, Marrakesh, to the Almohads.
ベック式!ゴロ合わせ
人々(ひとびと)去れと まぁ酷(ひど)い!
1130年 マラケシュ
ムワッヒド イブン=ルシュド
1130年、ベルベル人のムワッヒド朝が建てられ、イベリア半島にも進出、1147年にはマラケシュを占領してムラービト朝を滅ぼした。
マラケシュに置いた都を、1170年セビリャに移し、13世紀にはイベリアから後退し再びマラケシュに戻した。
哲学者・医者で有名なイブン=ルシュド(アヴェロエス)はムワッヒド朝のスルタンの侍医としてマラケシュの宮廷に仕えた《「ルシュド」の〈シュ〉を「マラケシュ」の〈シュ〉につなげておこう!》。
ムワッヒド朝はその名称のスペイン語訛りから、ヨーロッパではアルモハード朝という名前で知られている。
地図問題1
……1~10の中からムワッヒド朝の位置を答えよ。
地図問題2.● a ~ k の中からマラケシュの位置を選べ。
地図問題1 解答 7.
解説 1.はクシュ王国 2.はアクスム王国 3.はガーナ王国 5.はソンガイ王国 6.はムラービト朝 8.はチャド湖周辺の黒人王国であるカネム=ボルヌー王国 9.はベニン王国 (12世紀から1897年までナイジェリア南部の海岸地帯に存在した王国。首都は現在のベニンシティ)10.
地図問題2 解答 k. (ムラービト朝・ムワッヒド朝の都)
解説. a はメロエ
▲1200年頃の西遼の支配領域
●中央アジア(カラ=キタイ)
Western Liao is founded by Yelü Dashi, who led the remnants of the Chinese Liao Dynasty to Central Asia after fleeing from the Jurchen conquest.
ベック式!ゴロ合わせ
人々(ひとびと)見に来い カラ=キタイ。
1132年 カラ=キタイ 耶律大石
1125年、金と結んだ宋によって遼は滅ぼされた。
東西トルキスタンを支配していたカラ=ハン朝は、11世紀半ば東西に分裂していたが、1132年、遼の王族耶律大石は、東カラ=ハン朝を滅ぼし、カラ=キタイ(西遼)を建国した。
耶律大石は遼の文化を持ち込み、中継貿易で栄えたが、チンギス=ハンに追われてきたナイマンに王位を奪われ、モンゴル軍に滅ぼされた。
ニカラグアではソモサ一族による親米独裁政権が続いていた。
この政権は1979年に起こったニカラグア革命でサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)によって追放された。
1984年にはFSLNのオルテガ議長がニカラグア大統領に就任した。
ベック式!ゴロ合わせ
引(ひ)く泣くソモサ ニカラグア。
1979年 ソモサ サンディニスタ民族解放戦線
▲ヘンリ2世
●イギリス(プランタジネット朝)
Plantagenet dynasty is founded by Henry Ⅱ.
ベック式!ゴロ合わせ
いい腰(こし)変に フラダンス。
1154年 ヘンリ2世 プランタジネット朝
ノルマン朝断絶後の1154年、血縁関係からフランス南西部の大諸侯アンジュー伯がイギリス王ヘンリ2世となってプランタジネット朝を創始、フランスにも広大な領土をもった。
この王朝下で憲政が発達し、1215年ヘンリ2世の子、ジョン王の元で大憲章(マグナ=カルタ)の承認へ至った。
《プランタジネット朝》
1154年、ヘンリ2世がプランタジネット朝を創始。
第3代ジョンは仏領をフランス王フィリップ2世に奪われ、国内では大憲章を承認せざるをえなくなった。
第5代エドワード1世のとき、模範議会が成立。
第7代のエドワード3世は百年戦争を始める。
前100~前44
古代ローマの将軍・政治家。名門の出身。
1世紀後半、平民派を地盤として政界で地位を築いた。
前69年、財務官(クアエストル)前63年、最高神祇官、前62年、法務官(プラエトル)に就任。
前60年、第1回三頭政治を始め、ポンペイウスはイベリア半島を、クラッススは地中海東岸のシリアを、カエサルは未平定のガリア(フランス)を勢力圏とする協定を結んだ。
前59年、執政官(コンスル)として国有地分配法案を提出した。
前58年から前51年にかけてガリアに遠征してケルト人を平定し、アルプスの北をローマの版図に入れ、西欧内陸部のローマ化の基礎を固めた。
この間、ライン川を渡ってゲルマニア地方のゲルマン人を征討し、ブリタニアにも遠征した。
クラッスス戦死ののち、元老院と結んだポンペイウスと対立して前49年、元老院会議が軍隊の解散とガリアからの召喚を決議すると、カエサルは「賽は投げられた」の言葉とともに任地とイタリア本土との境界であるルビコン川を渡河、全イタリアを収め、前48年ポンペイウスをファルサロスの戦いで破った。
敗走するポンペイウスを追ってエジプトに入り、クレオパトラ(7世)を国王の地位に就けローマに迎えた。
▼絨毯の中からカエサルの前へ現れるクレオパトラ
前46年、天下を平定。独裁官(ディクタトル)となり、さらに前44年には終身ディクタトルとなって、文武の大権を握った。属州の徴税請負人の廃止、ユリウス暦の採用などの諸改革を実施したが、ブルートゥス、カッシウスらの共和主義者によって暗殺された。
▼カエサル暗殺
カエサルの開拓した道を養子オクタヴィアヌスが受け継いで帝政を開いた。
文人としても優れ、『ガリア戦記』は紀元1世紀にタキトゥスによって記された『ゲルマニア』とともに原始ゲルマン研究上の重要史料となっている。
ポンペイウスとの戦いを記した『内乱記』も平明簡素な文体で知られる。
●第1回三頭政治
ベック式!ゴロ合わせ
群れ成す保革 三人が。
前60年 ポンペイウス
カエサル
クラッスス
三頭政治
●平安時代(六条天皇 後白河上皇)
1177(治承元)年 〈鹿ケ谷の陰謀〉★
Conspiracy is debunked at Shishigatani.
人々(ひとびと)斜め 鹿ケ谷。
1177年 成親 鹿ケ谷の陰謀 俊寛
1177年、後白河上皇の近臣である藤原成親らが鹿ケ谷にあった僧俊寛の山荘で平氏打倒を計画。この計画は露見し、成親らは処罰された。この出来事を鹿ケ谷の陰謀という。