
前100~前44
古代ローマの将軍・政治家。名門の出身。
1世紀後半、平民派を地盤として政界で地位を築いた。
前69年、財務官(クアエストル)前63年、最高神祇官、前62年、法務官(プラエトル)に就任。
前60年、第1回三頭政治を始め、ポンペイウスはイベリア半島を、クラッススは地中海東岸のシリアを、カエサルは未平定のガリア(フランス)を勢力圏とする協定を結んだ。
前59年、執政官(コンスル)として国有地分配法案を提出した。
前58年から前51年にかけてガリアに遠征してケルト人を平定し、アルプスの北をローマの版図に入れ、西欧内陸部のローマ化の基礎を固めた。
この間、ライン川を渡ってゲルマニア地方のゲルマン人を征討し、ブリタニアにも遠征した。
クラッスス戦死ののち、元老院と結んだポンペイウスと対立して前49年、元老院会議が軍隊の解散とガリアからの召喚を決議すると、カエサルは「賽は投げられた」の言葉とともに任地とイタリア本土との境界であるルビコン川を渡河、全イタリアを収め、前48年ポンペイウスをファルサロスの戦いで破った。
敗走するポンペイウスを追ってエジプトに入り、クレオパトラ(7世)を国王の地位に就けローマに迎えた。
▼絨毯の中からカエサルの前へ現れるクレオパトラ
前46年、天下を平定。独裁官(ディクタトル)となり、さらに前44年には終身ディクタトルとなって、文武の大権を握った。属州の徴税請負人の廃止、ユリウス暦の採用などの諸改革を実施したが、ブルートゥス、カッシウスらの共和主義者によって暗殺された。
▼カエサル暗殺
カエサルの開拓した道を養子オクタヴィアヌスが受け継いで帝政を開いた。
文人としても優れ、『ガリア戦記』は紀元1世紀にタキトゥスによって記された『ゲルマニア』とともに原始ゲルマン研究上の重要史料となっている。
ポンペイウスとの戦いを記した『内乱記』も平明簡素な文体で知られる。
●第1回三頭政治
ベック式!ゴロ合わせ
群れ成す保革 三人が。
前60年 ポンペイウス
カエサル
クラッスス
三頭政治
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