ベック式!難単語暗記法ブログ

質の高い暗記法、芸術的なゴロ合わせ、感動の記憶法をあなたに!抜群に効果的な実例満載!

4世紀 〈王羲之・「蘭亭序」〉★★

2014-05-21 | 『新日本史頻出年代暗記』

 「蘭亭序」 

 

●魏晋南北朝の文化

奥義(おうぎ)知らんで 女生徒死。

    王羲之   「蘭亭序」   書聖 東晋

東晋の書家羲之(おうぎし)は筆勢にすぐれた端正な書風で楷書・行書・草書の3書体の芸術性を飛躍的に向上させ、後世〈書聖〉と称えられた。353年頃に書かれた「蘭亭序(らんていじょ)」は書道史上最も有名な作品であるが、原本は残されていない。

〈中国の書家〉 

王羲之の子、王献之も東晋の時代に活躍し、父とあわせて二王と呼ばれた。

さらに、隋の煬帝から唐の高祖へと仕え、「芸文類聚」を編纂し欧陽詢、太宗の宰相で「大唐三蔵聖教序」を書いた褚遂良、同じく太宗に仕官し孔子廟堂碑や「北堂書鈔」を書いた虞世南の3人を初唐の三大書と呼ぶ。

また、盛唐期、安史の乱にも義勇軍として参加した顔真卿は王羲之流の書風を一変した。そして、明末の文人画家でもあった董其昌は行草を得意とし、董風と呼ばれる書を開拓した。

▼王羲之


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”意味づけ”をして覚える!

2014-05-21 | 〈超〉暗記法のススメ

 前項で「思い出しやすいように情報を加工する」ことが大切であると述べた。それでは具体的に、覚えるべき内容にどのように手を加えれば思い出しやすいのであろうか。
 次の例を見ていただきたい。

 A.てのんだおはかこかろどおさい
 B.おおさかはてんかのだいどころ

 これら2つの言葉には同じひらがなが同じ個数だけ用いられているが、どちらが覚えやすいかは一目瞭然だろう。
 Aの方はいったんは丸暗記できたとしてもすぐに忘れてしまうだろうが、Bの方は簡単に頭に入り、数日後でも思い出すことができる筈だ。
 この差はAが単なるひらがなの羅列であるのに対して、Bの方は意味を持った文章になっているという違いから生じている。

 意味があるものは無意味なものを記憶する場合と比較してはるかに覚えやすく、連想も働くため、極めて思い出しやすいのである。

 例えば、『女の一生』を書いたのは「モーパッサン」だということを覚える際に、丸暗記だとすぐに忘れてしまうだろうが、2つの情報をつないで意味付けし、「女の一生、もう婆さん」とでもすれば、大袈裟ではなくそれこそ”一生”覚えていられるに違いない。

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1115年 〈金の独立(~1234年)〉★★

2014-05-21 | Weblog

 

 

 

 


 ▲完顔阿骨打

●東アジア(金)

Jin dynasty is founded in China, ruling over land seized from the Liao empire.

ベック式!ゴロ合わせ

人々(ひとびと)以後は もう近所。

1115年                         完顔阿骨打 猛安・謀克 金 女真族 

女真文字

 

中国東北地方で半農半猟の生活を営んでいた女真族は、契丹の支配下にあったが、1115年に完顔阿骨打(太祖)のもとで独立し、と称した。金は、と結んで遼を攻撃し、1125年に遼を滅ぼすと、さらに宋をも滅ぼして華北を支配下においた。金は猛安・謀克という独自の軍事・行政組織を整備して国力を伸ばし、契丹文字と漢字をもとにした女真文字も作成した。

 

 


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1122年 〈ヴォルムス協約〉★

2014-05-21 | Weblog

▲ヴォルムス協約原本

●教会(中世カトリック教会)

Pope and emperor end 50-year dispute over power of Church.

ベック式!ゴロ合わせ

人々(ひとびと)叙任 ヴォルムスで。

1122年 聖職叙任権 ヴォルムス協約

 

カノッサの屈辱以後も教皇と皇帝の争いは続いたが、十字軍の遠征を通じて教皇権は次第に高まり、1122年ヴォルムス協約が結ばれる。

聖職者の叙任権は教皇にありとする内容の協約である。

グレゴリウス7が始めた叙任権闘争はハインリヒ5世(カノッサの屈辱で教皇に屈したハインリヒ4世の子)のときに教皇側の勝利で終息したのである。

この後、教皇権は13世紀に全盛期を迎えた。 


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