1536年(天文5年)7月 天文法華の乱:延暦寺の宗徒、京都の法華寺院を焼き信徒を追放。
以後見ろ天も 法華去れ。
1536年 天文法華の乱 法華寺院を焼く 堺
細川 晴元は天文5年(1536年)には京都で勢力を伸ばした法華衆に対し、比叡山延暦寺・六角氏と連合して壊滅させた(天文法華の乱)。
In 1536, he killed all the believers of the Hokke sect, which was growing in influence in Kyoto allied
with the Rokkaku clan of Enryaku-ji Temple on Mt. Hiei (Tenmon-Hokke Rebellion).
[ポイント]
1.京都の日蓮宗は、延暦寺による天文法華の乱で滅ぼされた。
[解説]
1.京都の日蓮宗は、法華一揆で浄土真宗(一向宗)を駆逐して以後、約5年間隆盛を迎えた。
2.かわって対立を深めた延暦寺の僧兵など約6万が、1536(天文5)年、法華一揆勢の撲滅をめざし京都へ侵攻、多くの日蓮宗(法華宗)寺院を焼き払った(天文法華の乱)。天文法乱ともいう。
3.この事件で隆盛を誇った日蓮教団は壊滅し、日蓮宗は京都での布教を禁止された。
〈2013早大・国際教養
問8 下線部g日蓮宗はその後、戦国時代の京都で急速に普及したに関連して、15~16世紀における日蓮宗(法華宗)の動向について記した説明として誤っているものはどれか。1つ選べ。
ア 日親による布教により京都の町衆の間に日蓮宗が広まっていた。
イ 法華宗を信仰する京都の町衆が一揆を結んでいた。
ウ 法華一揆の勢力が一向宗の拠点である山科本願寺を焼き払った。
エ 延暦寺の僧兵が京都の日蓮宗寺院を焼き払った。
オ 天文法華の乱により法華宗の信者たちが一向一揆勢を追放した。
(答:オ ※天文法華の乱は延暦寺と衝突した法華一揆(日蓮宗信徒の団結した集団)で、一向一揆(浄土真宗)と対立した法華一揆と混同しないこと)〉