51-60
吉田は母胃 危機いい胃、(五つ(いつつ)の「いい」のあるこの行は50代)
吉田(5) 鳩山(1) 鳩山(2) 鳩山(3) 石橋 岸(1) 岸(2) 池田(1) 池田(2) 池田(3)
[point]
1.戦後歴代内閣52代~60代は、鳩山一郎→石橋湛山→岸信介→池田勇人。
[解説]
1.鳩山一郎内閣(1954.12~56.12)は、最初は日本民主党の内閣。この内閣の時、保守合同がなり、自由民主党の内閣に。吉田茂の親米政策を軌道修正、内政では自衛力漸増・憲法改正を唱え、また外交では自主外交をうたって日ソ国交回復・国連加盟を実現した。
2.石橋湛山内閣(1956.12~57.2)は、自由民主党内閣。戦前は『東洋経済新報』の記者として植民地放棄論の小日本主義を主張。その識見を期待されたが病気のため2ヵ月で退陣。
3.岸信介内閣(1957.2~60.7)は、自由民主党内閣。経済力・自衛力の強化につとめると共に「日米新時代」を唱えた。1960年日米安全保障条約の批准成立直後に総辞職。同条約の改定では革新勢力との激しい対立(安保闘争)をまねき、日本の政治体制を動揺させた。
4.池田勇人内閣は(1960.7~64.11)は、自由民主党内閣。「所得倍増」を唱えて高度経済成長政策を推進。安保闘争による政治対立からの脱却を訴え、「寛容と忍耐」を唱えて革新勢力との対立を避けつつ経済的発展を目指した。IMF8条国への移行、OECDへの加盟など、貿易の自由化を推進した。
〈2017立命館大・全学部
〔3〕
一、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の戦争状態は、この宣言が効力を生ずる日に終了し、両国の間に平和及び友好善隣関係が回復される。
四、ソヴィエト社会主義共和国連邦は、4)国際連合への加入に関する日本国の申請を支持するものとする。
(『日本外交主要文書・年表』)
問j 史料〔3〕を調印したときの日本の首相は誰か。もっとも適当な人名を答えよ。
問k 下線部4)に関連して、この結果、日本の国際連合加入が実現したのはいつか。西暦年で答えよ。
問l 史料〔3〕の第九条では、日ソ間で平和条約が締結されたのちに、歯舞群島と「ある島」が日本に返還されることが定められている。この「ある島」の名を答えよ。」
(答:問j鳩山一郎、問k1956年、問l色丹島)
1956年10月 日ソ共同宣言に調印:日ソ国交回復。
1956年12月 国連加盟決定。
解くころ日ソ 国連は。
1956年 日ソ国交回復 国連加盟 (第3次)鳩山一郎内閣
〈2017関西大・全学部
1957年に成立した(9){(ア)池田勇人(イ)鳩山一郎(ウ)岸信介}内閣は「日米新時代」を唱え、日米関係の強化と安保条約改定による日米の対等な関係をめざした。1960年には日米相互協力及び安全保障条約が調印され、アメリカの日本防衛義務が明文化された。これに対して、革新勢力側は安保改定反対運動を組織した。」
(答:9ウ)〉
〈2017関西学院大・全学部
その後政権に復帰した吉田茂のもとで与党勢力は総選挙に大勝し。政権は安定化したかにみえたものの、k)公職追放解除により有力保守政治家たちが政界に復帰して吉田に対抗する勢力を形成していった。こうした中で、左右に分裂していた日本社会党が1955年2月の総選挙において議席を伸ばし、同年10月に再統一された。これに対して保守陣営は、財界に促されたこともあり、同年10月に自由民主党を結党し保守合同が成立した。
問9.下線部kに関連する出来事のうち、時系列で3番目に起こったものを下記より選びなさい。
ア.サンフランシスコ平和条約が調印された。
イ.鳩山一郎ら反吉田派により日本民主党が結党された。
ウ.破壊活動防止法が成立した。
エ.自由民主党が結党された。
(答:イ ※ア1951年、イ1954年、ウ1952年、エ1955年)〉
〈2017早大・教育
A 昭和二十一年四月の総選挙で、私は落選したが、自由党は第一党になった。どういう事情であったか、真相は知らぬが、幣原首相が、後継首相の推薦に非常に手間取り、政界は混雑した。しかし、結局、自由党の[ 1 ]氏が大命を拝受するということにきまった瞬間、同氏は五月四日a.公職追放を受けた。
問1 A・B・Cは同一人物が書いた文章であり、Aは1951年に刊行された回想記、B・Cはその当時の或る新聞の社説である。筆者の氏名を漢字で記せ(注:B・Cは略)。
問2 空欄[ 1 ]に該当する人物の氏名を漢字で記せ。
問3 下線部a公職追放に関することがらの説明として、誤っているものはどれか。
ア 公職追放は、GHQの指令にもとづいて実施された。
イ 公職追放によって公職から排除された人は、約20万人におよんだ。
ウ 公職追放とは別に、多くの教員を追放の対象とする教職追放がおこなわれた。
エ 岸信介はA級戦犯容疑者にはならなかったが、公職追放となった。
オ 大日本言論報国会の会長を務めた徳富蘇峰は、公職追放となった。」
(答:問1石橋湛山、問2鳩山一郎、問3エ× ※岸はA級戦犯)〉
〈2017青山学院大・全(理工を除く)
問14.下線部n鳩山一郎に関連して、鳩山一郎について述べた以下の文の中から、誤っているものを一つ選びなさい。
① 自由主義的刑法学説を唱えていた京都帝国大学教授の滝川幸辰は、鳩山一郎文部大臣の圧力で休職処分となった。
② 戦時中に翼賛選挙に抵抗したことで、戦後は公職追放の対象を免れた。
③ 自由民主党の初代総裁を務めた。
④ 日ソ国交回復の際に首相を務めていた。」
(答:②× ※公職追放された)〉
〈2016明大・政経
1945年、日本はポツダム宣言を受諾し、降伏文書の調印を経てGHQの間接統治下におかれた。敗戦直後、臨時軍事費の大量支払いや日本銀行の対民間貸出しの増加などによって通貨が増発されたため、猛烈なインフレーションが発生した。[ 1 ]内閣はこれに対処するため新円を発行し、旧円の預金を封鎖して新円の引き出し額を一定額とし、通貨量の縮減をはかったが、効果は一時的であった。次の内閣の大蔵大臣に就任した[ 2 ]は、大胆に資金を散布して生産を刺激するべきだと考え、復興金融金庫(復金)を創設して電力・海運などの基幹産業に資金を供給し始めた。この政策は設備復興に貢献したが、一方では復金インフレを誘発した。
問8 空欄[ 1 ]と空欄[ 2 ]に入る人名の組み合わせとして正しいものはどれか。A~Eから一つ選べ。
A 1幣原喜重郎 2渋沢敬三
B 1幣原喜重郎 2石橋湛山
C 1吉田茂 2渋沢敬三
D 1吉田茂 2石橋湛山
E 1東久邇宮稔彦 2渋沢敬三」
(答:B)〉
〈2016慶大・経済B方式
問18 下線部C高度経済成長に関連する次の1~4の文章の中から、誤りを含むものを1つ選べ。
1.池田勇人内閣は、「国民所得倍増計画」を立てて、経済の高度成長を促進する政策を進めた。
2.日本のGNPが世界第2位になったことから、経済企画庁が『経済白書』において初めて「もはや戦後ではない」と記した。.
3.田中角栄内閣は、工業の地方分散や交通ネットワークの整備などの列島改造政策を打ち出し、公共投資を拡大した。
4.高度経済成長が進むなかで、就業人口に占める農業人口の割合は低下し、1970年には20%を下回っていた。」
(答:問18→2 ※農地改革で農業生産が回復、1955年以後、米の大豊作が続いて食糧不足は解消され、朝鮮戦争を契機に消費も上昇に転じたため、1956(昭和31)年の政府の『経済白書』は「もはや戦後ではない」としるした)
1968(昭和43)年 国民総生産、西ドイツを抜き自由世界第2位となる。
一苦労やで 世界2位。
1968年 世界第2位 西ドイツを抜く