兵庫無効で勅許した。
(孝明天皇)(1865年・兵庫開港無し・条約勅許)
[句意]孝明天皇の勅許は無港で勅許した、という句。「無港」は19「65」年のゴロも兼ねている。
[point]
1.1865年、孝明天皇は兵庫開港を勅許しないまま条約は勅許した。
[解説]
1.1865(慶応元)年10月、日米修好通商条約を勅許、兵庫開港は不許可とした。
(1)英・米・蘭・仏の四カ国は条約勅許と兵庫開港等を求め、京都朝廷へ圧力をかけるため連合艦隊を大阪湾に進入させ、兵庫(現神戸)沖に停泊した。外圧を直接受けるにおよび、頑迷な攘夷主義者の孝明天皇はようやく条約の勅許を認めた。
(2)兵庫港の開港勅許は、孝明天皇急死の翌1867年5月に明治天皇によってなる。
(3)1865年は幕府の長州再征計画が遅々として進まず、大事件はなかった。
〈2012法政大学・文経営人間環境
問12 「孝明天皇」について、正しいものを以下のa~dのなかから一つ選べ。
a 1860年に妹和宮と江戸幕府の将軍徳川家茂の結婚を勅許した。
b 1865年に江戸幕府が要請した条約勅許を拒絶した。
c 1866年に結ばれた薩摩藩と長州藩の軍事同盟の密約(薩長同盟)を勅許した。
d 1868年に兵庫開港を勅許した。」
(答:a ※b×1858年、c×秘密同盟であり薩長は勅許を求めていない、d×勅許したのは明治天皇。孝明天皇は1866年7月に没し、兵庫開港は明治天皇の名で1867年に勅許。)