中村正直の「頑張れプロ野球」

ベテラン野球記者の本音ブログです。

有馬で聞いた悲報

2008-01-21 23:21:00 | Weblog
 思わず聞き返した。「誰が亡くなったって?」。冷たい雨が降り続ける中、携帯電話を耳にくっつけ、プロ野球デスクの声を確認した。間違いなかった。「加藤博一さんが、肺ガンで亡くなりました」。ところは神戸の北に位置する有馬温泉。時間は午後5時を少し回り、寒さが一段と身に染みる。そんなとき、携帯が鳴った。というより、震えた。マナーモードの電話に出ると、悲報が待っていた。

 阪神・岡田監督が「天地会」(吉田義男会長)の親睦会に出席するというので、有馬に向かった。電車に揺られ、当地に着くと、あたりは前夜に降り積もった雪一色。この日ももう少し気温が低ければ、雪になっていただろ。神戸から約40分という場所なのに、山を挟むとこうも天候が違う。北の秘境にやってきた気分で、温泉でも入ってやろうか、などと思っていたのだが…。

 加藤さんの話をする前に、まず「天地会」の説明が必要か。古い阪神ファンはご存じだろうが、若い方は案外知らないかもしれない。1985年の日本一と、87年の最下位を経験した阪神OBによって構成されている会。要するに、日本一という「天」と、最下位という「地」を味わった同志の集い、と言えばいいか。この会が発足して今年で20年という。その親睦会が、独創的な日本料理で人気の高い料理旅館「旅篭(はたご)」で行われたのだ。

 本題に入る。阪神と大洋のOBだった加藤さんの姿は、主に横浜スタジアムでよく見た。闊達な方で、必ず阪神ベンチに来ては、関係者と楽しくおしゃべりをしていた。病気とは無縁のような、いつも元気ハツラツ、というイメージだっただけに、2年前から肺ガンを患っていたとは本当に驚きというしかない。昨年12月中旬に亡くなった島野前特命コーチといい、ガンがまた阪神にゆかりの深い人を天に召した。56歳。岡田監督ではないが「早いよな」である。

 強じんな肉体と精神力でハードなプレーを続けてきた元野球選手とはいえ、病だけはどうしようもない。まして、我々のような会社務めのサラリーマンとは違って、定期的な人間ドックも受けないだろうし「危険信号」を見落としやすいと思う。加藤さんの場合も、2年前に見つかった時点で、もしかすると手遅れだったのかもしれない。
 
 「天地会」の親睦会。宴会の冒頭、吉田会長がこうあいさつするのが聞こえてきた。「来年も健康でこの会ができますように…」。確かにな。何をするにも、まず健康でなければ始まらない。自分の体を過信しないこと。肝に命じ、有馬から戻ってきた。