中村正直の「頑張れプロ野球」

ベテラン野球記者の本音ブログです。

あの日の記憶

2008-01-17 17:05:00 | Weblog
 1月17日。大阪、神戸、いや、関西圏に暮らす人々にとって決して忘れられない日である。この日がやって来るたびに、当時の状況を思い出す。あれからもう、13年が経つ。「阪神・淡路大震災」の日が、また今年も来た。

 記者自身、直接体験はしていない。当時は転勤で東京暮らし。2年間の巨人担当から外れ、遊軍をしていた。近鉄・野茂がメジャーに行くと言いだし、プロ野球界の耳目は彼の動向に注がれていたのだが、こちらも代理人・ダン野村氏が東京にいたせいで騒動に巻き込まれた。そんな状況の中、あの日は巨人・原の自主トレを取材する予定で、朝目覚めてみると…。

 午前7時。寝ぼけ眼でテレビをつけると、神戸が燃えていた。ボーボー、燃えて燃えて燃え盛っていた。当時、神戸・三宮の中心地にあったデイリースポーツ本社は、外郭だけを残し、崩れ落ちた。「先輩や後輩は大丈夫か?」という心配とともに「失業だ」と思った。茫然自失の中、多摩川の自主トレ現場に行った。

 幸い、知り合いで亡くなった人はいなかったが、多くの一般の方が犠牲になった。親を亡くした子供、子供を亡くした親。生き残った代わりに「二重債務」を背負うはめになった方たち…。震災から1カ月後、休暇を利用して帰阪し、西宮から三宮まで歩いた。あちこちの仮設住宅から、悲鳴が聞こえてくる気がした。

 被災した我が社は何とか立ち直ったが、今なお苦しんでいる方たちがたくさんいる。昨年大きな地震に見舞われた能登や新潟も、まだ完全には復興していない。地震大国の日本に住む以上、誰しもが被災する可能性がある。今朝、目覚めて以降、携帯ラジオを聞きながらすっとそんなことを考えていた。そして、会社まで歩いてみるか…と思い立った。

 大阪・吹田市から神戸まで。多くの方はわからないだろが、とんでもない距離である。荷物を持って約2時間歩いたところで、力尽きた。場所は尼崎。冬の夜、大震災級の地震に遭って交通の便が断たれたら…。無茶なことをやってみて、改めてあの日被災された方たちの苦労を痛感する。

 プロ野球とは全く関係のない、個人的なことを延々と書いたが、この日だけは真面目に「命の尊さ」を考えてもいい。このブログが来年も続いていれば、また同じようなことを書くだろう。