大事小事―米島勉日記

日常起きる小さな出来事は,ひょっとして大きな出来事の前兆かも知れません。小さな出来事に目を配ることが大切と思います。

日本は京都議定書から離脱せよ―やっと日本の本音が出た

2009年03月18日 19時49分57秒 | 地球環境

 3月17日の読売新聞朝刊7面に全面広告が出ました。多分他の全国紙も同じでしょう。「意見広告」とあり,経団連(日本経済団体連合会)をはじめとして,石油および化学業界,運輸業界,建築業界,海運業界,不動産業界,百貨店業界,貿易業界,電力業界,ホテル業界,などなど,見あたらないのは金融業界だけというように,日本経済を支えるほとんどすべての業界が連名で出した広告です。
 その内容は,日本政府が京都議定書に続く2013年以降の地球温暖化対策の新たな取り組みに向けた二酸化炭素削減の中期的な目標を6月までに決定することについて,日本は石油危機以降,家庭も産業も最大限の省エネルギー努力を推進してきた結果,日本はすでに世界トップレベルの低炭素社会となっており,「裏付けのない」過大な二酸化炭素削減には国民全体に大変な痛みが伴う。また,日本がいくら二酸化炭素削減努力をしても,主要二酸化炭素排出国(アメリカ・中国・インドなど)の参加がなければ地球温暖化問題は解決しない。次期国際枠組みには主要二酸化炭素排出国すべての参加が必須である,というものです。
 「裏付けのない」とわざわざカギ括弧を付けましたが,これは私が付けたもので,意見広告原文ではカッコはありません。
 しかし,日本の経済団体がこぞって意見広告をする中で「裏付けのない」と断じているのです。これを重視しなければなりません。
 我々は裏付けのない数字に踊らされている,ということを日本の経済団体のほとんどすべてが認めているのです。この広告の紙面にはその根拠となる数字もグラフで示されています。
 現下の地球温暖化の人為的二酸化炭素主因説には数々の疑念があることは,すでに多くの書籍,ネット上のサイトやブログなどで表明されてきました。しかし,IPCCに主導された人為的二酸化炭素主因説を金科玉条のように信奉する,いやおそらくは利用する集団は,過大な二酸化炭素削減を国民に強制しようとしてきました。
 NHKは,まるで全体主義国家のように「明日のエコでは間に合わない」と連日くりかえしています。ジョージ・オーウェルの「1984年」のように。(最近では,茂木健一郎氏までが「明日のエコでは...」と囁いています。脳科学者が洗脳されたのではシャレにもなりませんが。)
 恐ろしいことです。エコは結構です。しかし,国民に過大な負担を強いるエコなぞ健全なエコではありません。
 現に,昨年後半以降の世界的経済危機は,望まずして産業を衰退させて,結果として人為的二酸化炭素排出量を間違いなく減らしているはずです。つまり見方を変えれば,これ以上無理を重ねて人為的二酸化炭素を減らそうとすれば,産業を衰退させるよりほかないのです。
 しかも,この意見広告にあるように,国民一人ひとりに大変な負担を強いることになるのです。
 現在の日本の人為的二酸化炭素排出量は京都議定書の基準となった1990年に比べてプラス6%だそうです。京都議定書をベースにしても削減どころか増加しているのです。
 ということは,京都議定書に定められて日本が批准した削減目標自体が実現不可能だったのです。しかも,京都議定書の批准国で唯一削減義務を負わされたのが日本なのです。
 いまさら手遅れかも知れませんが,今からでも京都議定書の枠組みから離脱するべきではありませんか。
 すでに毎年数兆円のエコ予算がほとんど意味のない使い方をされています。先日打ち上げられた二酸化炭素観測衛星“いぶき“(たしか300億円以上)なぞ全く意味のない無駄遣いです。なぜなら大気中の二酸化炭素なぞわずか0.03~0.04%に過ぎず,しかも大気中を自由に移動しているのです。
 こうした無駄遣いを,環境予算を喰い荒らすシロアリどもが我が物顔に連日行っているのです。「そこのけ,そこのけ,エコが通る」です。
 つぎの枠組みなぞおそらく成立しないでしょう。世界各国がIPCCの欺瞞―一部の国の策謀によると見られています―に気付き始めており,日本のように国益を犠牲にしてでも世界に尽くそうなどというナイーブな感覚,あるいは単に自分がよく見られようという貧しい発想から自国民を平気で犠牲にする政治家は世界でも稀(まれ)です。したたかな各国政治家にいいようにあしらわれて,日本は衰退させられるのがオチです。
 すみやかに京都議定書から離脱しましょう。