『十二夜』(本編)
近藤@マルヴォーリオ
実は、この作品の主役なのか、この役。
オリヴィアの忠実な執事、でも、白塗り(笑)
傲慢では無いが、気位の高い執事。
物語における道化役。
役として、ハマっているけど、
造りすぎる事はなく(串田氏・吉田氏比較)
結果として”道化”としての位置に。
今回はこの後がある、という期待感からか、
それほど、大きい役という印象は無い。
森@ヴァイオラ(シザーリオ)
女性が男装している設定を男性が演じる。
(大変にややこしい)
そのため裏声を使い、あくまで、男装の女性。
このカンパニー内の知名度としては、一番。
(映像露出割合的に)
そんな人が女装役なので、
話題性はあるが、如何せん、地方のみ公演。
でも、台詞廻し(裏声)に違和感が無いので、
それなりに舞台経験者なのかも。
水木@オーシーノ
男性の役を女性が演じる。
(ある意味、シンプル)
こちらは男装の麗人。
ただ、ヅカの男役ではない。あくまで、男装レベル。
こうやって、観ると、ヅカの男役の
発声というのは、独特なんだな、と実感。
どちらかというと、映像畑な経歴。
でも、男装演出なため、台詞廻しは気にならず。
澤田@オリヴィア
オリヴィアは男性。
終始、裏声でシザーリオに迫る姿は滑稽。
ここで、ACM劇団員が入る。
ヒロイン役を演じる人は誰かな、と思ったら沢田氏か。
田中@トービー
飲んだくれ。言っている内容は、
グダグダなのに、その声は通る。
このカンパニーで、一番のベテラン枠。
声質が好みかどうかは別問題として、
通る声だし、喜劇役でも浮かない。
ま、そもそも、ここまでフザケた役なのかどうかは知らないが。
遠島@フェステ
多分、この作品の道化ポジション。
ラストの語りは台詞なのかと思っていたら歌だった。
その歌は微妙に外すけど、それがある意味、この作品の道化。
道化になる、でなく、道化として存在。
シェイクスピア作品の場合、
たいてい、道化の役が出てくるけど、
今回はその道化としての役割が劇中で説明される。
そのために、余計に、この役が気になる。
小林@マライア
マライアは男性。
あからさまな女装で出落ちな役。
そして、それが成立する客席の認知度。
客席における地元民の多さよ。
桐島@セバスチャン
セバスチャンは女性。
そのため、この双子も性別逆転。
(ヴァイオラとオーシーノも性別逆転という意味で)
で、ヅカの男役風味ではなく、男装。
川崎@アントーニオ
ムダにイケメン。
なぜに、脱ぐというシーンはあるが、
それを抜きにしても、通る声。
ヴァイオラとセバスチャンが別人。
最近、観た串田版・AUN版だと、同一人物だったので、
普通に両者が居るシーンは見せ場の一つだったが、
今回は普通に対面。
ヴァイオラとセバスチャンともに同じ服なので、
遠目に見ていると、どっちがどっちだか。
声を聞いて初めて、判別。
5重(色)のブレヒト幕を使い、
一部を途中まで引き、セットとして使用。
ただ、それが効果的がどうかは微妙。
最初は、その色が時間経過を表すのかと思ったら、そうではない。
小道具を隠す役割くらいしか、利点が。
で、その対面シーンで、ブレヒト幕を使うのかと思いきや、
そのラストシーンでは、五枚の幕が全開。
音楽の生演奏が、
ギターの弾き語りで、ベネチア風。
舞台設定はドコだったかは忘れたけど。
一部、台本上の性別と役者の性別が入れ替え。
男性が女性はどの役も効果的。
しかし、女性が男性に意味があるのだろうか?
森演出。
シェイクスピア作品とはいえ、
特に、珍しい演出はなく、特色はなんだろう?
酔っぱらい演技は、なんか真に迫っていた。
最近、映像でみた『ビックフェラー』を思い出したり。
『わたくし、マルヴォーリオはー』
上映前に、
『人知れぬ いとしき方へ、心をこめて
神、我が恋いを知りたもう
その人は誰
唇よ ぬらすまじ
何人も知る人なかれ
愛する人を召し使うこの身
沈黙はルークリースの短剣にも似て
血は流さずとも我が胸をえぐる。
MOAIこそ我が命』
という、マライアがマルヴォーリオ宛
に書いた、偽の手紙が投影し続ける。
まず、この手紙を朗読するマルヴォーリオ。
そして、牡の七面鳥姿で、ひたすら客席を愚弄。
そのまま、客いじり。
その後、『出ていっても、変わらずに』と言い退場。
その後、戻ってきてから、台本がスタート?
顔の化粧を一旦、取り、七面鳥の衣装を外す。
首吊り用のロープを持って、再登場。
一度、首を吊ろうとするが、断念。
そして、マルヴォーリオの衣装を着つつ、
先代(オリヴィアの父、兄)に、使えたこと、
兄の死後、トビーが葬儀の後に居ついたこと、
そして、本編の件。
本編のマルヴォーリオの衣装になり、
再び、『出ていっても、変わらずに』と言い退場、幕。
こちらは打って変わって、不条理な一人芝居。
冒頭はマルヴォーリオによる客いじりで、
相手や行動は基本的にアドリブっぽい。
ただ、背中の張り紙(うぬぼれ屋)をめくらせる、
めくると、(蹴って)とあり、客に蹴らせる。
また、自殺では先ほどのブレヒト幕のカーテンレールに、
縄をかけ、引く人で三人、椅子を蹴る人、脈を取る人を
それぞれ一人舞台上にあげる、が途中で止める。
この辺が客席参加型。
後は、本編の裏設定を語っていくが、
その中で、笑い物にされる不条理さを訴え、
観客に同情というか、無慈悲さをアピール。
そして、客席にもそういう感覚を伝えるため、
マルヴォーリオが舞台から居なくなっても、
客席に居続けるように、話すという、
自分が体験した不条理さを客席に求める
若干、メタ的展開で〆。
特に、スピンオフな理由は見つからないけど、
マルヴォーリオ本人が悪くないという印象を、
与えることが出来る役者でないと成立しない。
そういう意味では舞台に居るだけで、
『可哀想』オーラを発する近藤氏ありきな舞台かも。
で、泣き言を言っているシーンで、
なぜか仲代氏を彷彿したのだが、何故だろう。
声のトーンが似ているのだろうか。
近藤@マルヴォーリオ
実は、この作品の主役なのか、この役。
オリヴィアの忠実な執事、でも、白塗り(笑)
傲慢では無いが、気位の高い執事。
物語における道化役。
役として、ハマっているけど、
造りすぎる事はなく(串田氏・吉田氏比較)
結果として”道化”としての位置に。
今回はこの後がある、という期待感からか、
それほど、大きい役という印象は無い。
森@ヴァイオラ(シザーリオ)
女性が男装している設定を男性が演じる。
(大変にややこしい)
そのため裏声を使い、あくまで、男装の女性。
このカンパニー内の知名度としては、一番。
(映像露出割合的に)
そんな人が女装役なので、
話題性はあるが、如何せん、地方のみ公演。
でも、台詞廻し(裏声)に違和感が無いので、
それなりに舞台経験者なのかも。
水木@オーシーノ
男性の役を女性が演じる。
(ある意味、シンプル)
こちらは男装の麗人。
ただ、ヅカの男役ではない。あくまで、男装レベル。
こうやって、観ると、ヅカの男役の
発声というのは、独特なんだな、と実感。
どちらかというと、映像畑な経歴。
でも、男装演出なため、台詞廻しは気にならず。
澤田@オリヴィア
オリヴィアは男性。
終始、裏声でシザーリオに迫る姿は滑稽。
ここで、ACM劇団員が入る。
ヒロイン役を演じる人は誰かな、と思ったら沢田氏か。
田中@トービー
飲んだくれ。言っている内容は、
グダグダなのに、その声は通る。
このカンパニーで、一番のベテラン枠。
声質が好みかどうかは別問題として、
通る声だし、喜劇役でも浮かない。
ま、そもそも、ここまでフザケた役なのかどうかは知らないが。
遠島@フェステ
多分、この作品の道化ポジション。
ラストの語りは台詞なのかと思っていたら歌だった。
その歌は微妙に外すけど、それがある意味、この作品の道化。
道化になる、でなく、道化として存在。
シェイクスピア作品の場合、
たいてい、道化の役が出てくるけど、
今回はその道化としての役割が劇中で説明される。
そのために、余計に、この役が気になる。
小林@マライア
マライアは男性。
あからさまな女装で出落ちな役。
そして、それが成立する客席の認知度。
客席における地元民の多さよ。
桐島@セバスチャン
セバスチャンは女性。
そのため、この双子も性別逆転。
(ヴァイオラとオーシーノも性別逆転という意味で)
で、ヅカの男役風味ではなく、男装。
川崎@アントーニオ
ムダにイケメン。
なぜに、脱ぐというシーンはあるが、
それを抜きにしても、通る声。
ヴァイオラとセバスチャンが別人。
最近、観た串田版・AUN版だと、同一人物だったので、
普通に両者が居るシーンは見せ場の一つだったが、
今回は普通に対面。
ヴァイオラとセバスチャンともに同じ服なので、
遠目に見ていると、どっちがどっちだか。
声を聞いて初めて、判別。
5重(色)のブレヒト幕を使い、
一部を途中まで引き、セットとして使用。
ただ、それが効果的がどうかは微妙。
最初は、その色が時間経過を表すのかと思ったら、そうではない。
小道具を隠す役割くらいしか、利点が。
で、その対面シーンで、ブレヒト幕を使うのかと思いきや、
そのラストシーンでは、五枚の幕が全開。
音楽の生演奏が、
ギターの弾き語りで、ベネチア風。
舞台設定はドコだったかは忘れたけど。
一部、台本上の性別と役者の性別が入れ替え。
男性が女性はどの役も効果的。
しかし、女性が男性に意味があるのだろうか?
森演出。
シェイクスピア作品とはいえ、
特に、珍しい演出はなく、特色はなんだろう?
酔っぱらい演技は、なんか真に迫っていた。
最近、映像でみた『ビックフェラー』を思い出したり。
『わたくし、マルヴォーリオはー』
上映前に、
『人知れぬ いとしき方へ、心をこめて
神、我が恋いを知りたもう
その人は誰
唇よ ぬらすまじ
何人も知る人なかれ
愛する人を召し使うこの身
沈黙はルークリースの短剣にも似て
血は流さずとも我が胸をえぐる。
MOAIこそ我が命』
という、マライアがマルヴォーリオ宛
に書いた、偽の手紙が投影し続ける。
まず、この手紙を朗読するマルヴォーリオ。
そして、牡の七面鳥姿で、ひたすら客席を愚弄。
そのまま、客いじり。
その後、『出ていっても、変わらずに』と言い退場。
その後、戻ってきてから、台本がスタート?
顔の化粧を一旦、取り、七面鳥の衣装を外す。
首吊り用のロープを持って、再登場。
一度、首を吊ろうとするが、断念。
そして、マルヴォーリオの衣装を着つつ、
先代(オリヴィアの父、兄)に、使えたこと、
兄の死後、トビーが葬儀の後に居ついたこと、
そして、本編の件。
本編のマルヴォーリオの衣装になり、
再び、『出ていっても、変わらずに』と言い退場、幕。
こちらは打って変わって、不条理な一人芝居。
冒頭はマルヴォーリオによる客いじりで、
相手や行動は基本的にアドリブっぽい。
ただ、背中の張り紙(うぬぼれ屋)をめくらせる、
めくると、(蹴って)とあり、客に蹴らせる。
また、自殺では先ほどのブレヒト幕のカーテンレールに、
縄をかけ、引く人で三人、椅子を蹴る人、脈を取る人を
それぞれ一人舞台上にあげる、が途中で止める。
この辺が客席参加型。
後は、本編の裏設定を語っていくが、
その中で、笑い物にされる不条理さを訴え、
観客に同情というか、無慈悲さをアピール。
そして、客席にもそういう感覚を伝えるため、
マルヴォーリオが舞台から居なくなっても、
客席に居続けるように、話すという、
自分が体験した不条理さを客席に求める
若干、メタ的展開で〆。
特に、スピンオフな理由は見つからないけど、
マルヴォーリオ本人が悪くないという印象を、
与えることが出来る役者でないと成立しない。
そういう意味では舞台に居るだけで、
『可哀想』オーラを発する近藤氏ありきな舞台かも。
で、泣き言を言っているシーンで、
なぜか仲代氏を彷彿したのだが、何故だろう。
声のトーンが似ているのだろうか。