
10月28日付の新聞報道は「2歳男児4日ぶり救出」の大きな見出しで始まった。現場は、かつて小千谷に勤務先があった時の通勤ルートである。道幅も広く、信濃川河畔を通るということで、景色もなかなかの通勤路であった。年越し前の忘年会の帰りにタクシーを拾いそびれ、雪の中を長岡の自宅まで16Km、歩いた思い出もある道だ。道路に面した崖の部分はしっかりと手の入ったものであった。しかし、今回の地震で牙をむいた。
夕方、楽しい日中の出来事を胸に帰途につく親子を地震による崖崩れが襲った。お母さんがかつて勤務したというところは、私も勤務したことのある場所である。現場をともにすることはなかったが、何か無縁ではないような気がする。そんな親子の救出現場の風景を我々だけでなく、全国の皆さんも固唾をのんで見守ったと思う。結果はレスキュー隊の大勝利で始まったものの、以後は悲しい結果を聞かされることになった。
さて、今日はそんな現場を望む信濃川対岸に行くことにした。天気は皮肉にも雲のない秋晴れである。
写真でもわかると思うが、景色のよいところである。ここは、戊辰戦争で長岡藩の軍と官軍の戦った榎峠古戦場の麓である。かつては大勢の志ある若者たちが戦い命を落とした現場だ。あの崖近くの急斜面を、息を切らしながら上ったことを思い出す。だが、この地の悲しい歴史にまた新たな歴史を積み重ねるのか...。
いろいろな思いをめぐらし、自分は対岸からただため息をつくばかりである。崩れたがけの下の方にブルーシートがかぶせてある。今回の現場であることはそれで十分わかる。この後ここはどうなるのだろうか..。いつか、道路が復活することを祈る。そして、皆川さん親子のご冥福を祈るとともに、その記憶をとどめたいと願うばかりである。
この様な現場の写真を掲載するのは非常に気が引ける。やめようと思ったが、一方あえて掲載したのはこれを見る皆さんに、現場は震災前までは自然豊かで、のどかな所であったということだけ知っていただきたいからである。
今日29日は、夜明け前から見ても長岡は大きな余震はない。おかげで久しぶりにゆっくり寝ることができた。今でも避難所・車中泊の方々には申し訳ないが、震災発生直後から考えると今日はそういう日になった。今晩も、地域みんなにとってそうであってほしいと願う。
2004.12.24訂正
さて、今日はそんな現場を望む信濃川対岸に行くことにした。天気は皮肉にも雲のない秋晴れである。
写真でもわかると思うが、景色のよいところである。ここは、戊辰戦争で長岡藩の軍と官軍の戦った朝日山古戦場の麓である。かつては大勢の志ある若者たちが戦い命を落とした現場だ。あの崖近くの急斜面を、息を切らしながら上ったことを思い出す。だが、この地の悲しい歴史にまた新たな歴史を積み重ねるのか...。
上記文中の朝日山古戦場を榎峠古戦場に訂正。
夕方、楽しい日中の出来事を胸に帰途につく親子を地震による崖崩れが襲った。お母さんがかつて勤務したというところは、私も勤務したことのある場所である。現場をともにすることはなかったが、何か無縁ではないような気がする。そんな親子の救出現場の風景を我々だけでなく、全国の皆さんも固唾をのんで見守ったと思う。結果はレスキュー隊の大勝利で始まったものの、以後は悲しい結果を聞かされることになった。
さて、今日はそんな現場を望む信濃川対岸に行くことにした。天気は皮肉にも雲のない秋晴れである。
写真でもわかると思うが、景色のよいところである。ここは、戊辰戦争で長岡藩の軍と官軍の戦った榎峠古戦場の麓である。かつては大勢の志ある若者たちが戦い命を落とした現場だ。あの崖近くの急斜面を、息を切らしながら上ったことを思い出す。だが、この地の悲しい歴史にまた新たな歴史を積み重ねるのか...。
いろいろな思いをめぐらし、自分は対岸からただため息をつくばかりである。崩れたがけの下の方にブルーシートがかぶせてある。今回の現場であることはそれで十分わかる。この後ここはどうなるのだろうか..。いつか、道路が復活することを祈る。そして、皆川さん親子のご冥福を祈るとともに、その記憶をとどめたいと願うばかりである。
この様な現場の写真を掲載するのは非常に気が引ける。やめようと思ったが、一方あえて掲載したのはこれを見る皆さんに、現場は震災前までは自然豊かで、のどかな所であったということだけ知っていただきたいからである。
今日29日は、夜明け前から見ても長岡は大きな余震はない。おかげで久しぶりにゆっくり寝ることができた。今でも避難所・車中泊の方々には申し訳ないが、震災発生直後から考えると今日はそういう日になった。今晩も、地域みんなにとってそうであってほしいと願う。
2004.12.24訂正
さて、今日はそんな現場を望む信濃川対岸に行くことにした。天気は皮肉にも雲のない秋晴れである。
写真でもわかると思うが、景色のよいところである。ここは、戊辰戦争で長岡藩の軍と官軍の戦った朝日山古戦場の麓である。かつては大勢の志ある若者たちが戦い命を落とした現場だ。あの崖近くの急斜面を、息を切らしながら上ったことを思い出す。だが、この地の悲しい歴史にまた新たな歴史を積み重ねるのか...。
上記文中の朝日山古戦場を榎峠古戦場に訂正。