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地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

10.23新潟県中越地震7

2004年10月29日 08時11分44秒 | 新潟県中越地震
 とりあえず職場に向かった私だが、国道8号はまず小千谷市方面へは立ち入り禁止であった。また、国道8号を新潟方面へでては見たもののすぐに次の長倉ICの先は通行止め。困ったものだ、出たかと思うとすぐに進路変更。これではいつになったら見附に着くかが思いやられた。

 長岡市街に再度入り、別のルートで8号に出た。町内にいただけではわからなかったが、あちこち電信柱が大きく傾いていたり、塀が倒れたりしているのがわかる。よくみると古い家屋であろうか、倒壊しているものもあちこちで見かけられた。特にひどいのは高畑地区か。その後詳細がわかることになるが、郊外の丘陵地の麓はおしなべて被害が大きいようだ。考えてみれば震源に近いからだ。

 国道8号は、刈谷田川に架かる橋がずれていて通行禁止である。そのためいったん国道8号を離れ、7.13水害で堤防が切れた中之島町市街を経由してのルートを余儀なくされた。渋滞している。しようがない、国道8号だけでなく、高速道も使えない状況であるから混雑するのは当たり前だ。しかし、渋滞で車中にいる間にも時折大きな余震だ。震度4か?いや5か?ラジオはすぐに今の余震についての情報を流す。
 家が心配なので携帯をかけてみるが、すぐにはかからない。家族の安否を気にしながらもとにかく行くしかない。やがて職場に着くが、建物に大きな被害はないとのこと。ただ、避難所になっていて、見附市内の職場近隣の人たちが来ていた。その辺の対応の早い上司には少し感心した。昨晩は泊まったそうである。
 これは長期戦になるぞ、何度も自分に言い聞かせては来ていたが、職場の様を見て再認識した。24日は日曜日なので、職場の状況を確認しただけで、上司に挨拶して帰宅することにした。とにかく明日25日は安全な状況であれば職場集合であるという。もとより、休みのこの日に来ているわけであるから、よほどのことがない限りは来ますと返答した。
 帰りは、丘陵の麓の田井~椿沢~浦瀬~乙吉~片貝地区を通るルートをたどった。道はひどいが渋滞がない分思いの外スムーズに動く。明日はこのルートだなと思いつつ、被災地の写真を撮影しながら帰宅となった。

写真は、後日撮影したものであるが、家屋は大丈夫でも屋根瓦は跳ね上がっている。25日からの雨のせいで、被害のあった家は写真のようにブルーシートを屋根にかぶせている。続く余震の中で高所の作業をしたのであろう。あちこち同様の風景が見られ、被害が多岐にわたっていることを理解させられた。

今後の報告について。
以上7号までは、地震発生からの流れを思いつくまま書きつづってきたが、発生から日もたち正確な記憶が薄らいでいる。今後は、断片的な記憶をたどってもたいした記録にならないので、ライフラインや被害状況等、個々の事象についての記録を中心に構成していくつもりである。
写真もその都度アップしたいと思うが、何分家屋の倒壊現場等は被害者のことを考えると載せづらい。ショッキングな写真も多少は撮影されているが、極力個人を特定できないものを選んで掲載するつもりである。



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