陽だまりのように

ぼちぼちですが、気ままに日々の事を・・・

待ってました

2015年07月31日 18時13分08秒 | 文鳥
今日は金曜日でっす~~~今回はスルーせずに拝読



我が家の初代は5月に迎え、問題なくすくすくと育ってくれたっけ
秋が深まった時期に迎えた子は、育たたなかった子もおりました
温度調整が上手くいかず苦労したけれど、脚とお腹が弱いにも拘らず我が家一番のご長寿さんは、10月後半でしたね

その失敗を繰り返さないようにと、寒中に我が家へ迎えてしまったかのんは、温度湿度にとても気をつかいました
沢山の雛をみても相性が合わなかったのか?これはわかりませんが、たった一羽でいた子に一目惚れして、避けたかった冬真っ只中に挿餌して育てました
その為か、かなりの我儘娘に育ってしまいましたが・・・(苦笑)



大好きな粟穂を新しく替えたのに、落穂ひろいしておりますw

ところで、これは私の経験ですが、記事の①②を選ぶと高確率で男の子になるように思うのですが・・・(笑)

文鳥といえば、桜文鳥と白文鳥が日本で生まれた品種
現在いろいろな品種が売られていますが、白文鳥でも雛時期に灰色の甲羅のある日本生まれの白文鳥が大好きでっすw

それにしても今日も暑かったね!!!

おひさしぶり

2015年07月27日 18時34分36秒 | 文鳥
私用でいろいろありご無沙汰しておりましたぁ・・・
久し振りに勝手に師匠と呼ばせて頂いているお方のブログを訪問したら、新聞に連載開始の記事を発見!



見過ごしていた24日夕刊を物置から探し出しました(大汗)
そうそう・・・飼ってみなくちゃわからない文鳥の良さが~~思わず笑顔になっておりますw



7月19日
パパさんの肩の上でくつろぐかのん



7月20日(私的に特別の日)
かのんからの癒しのプレゼント♪



そして、猛暑日の昨日のかのんは、かなりやんちゃでした~
でも、飼い主との関係は最高でっす♪

とっても貴重な体験

2015年07月15日 21時50分55秒 | 日記
「まあ~こんな記録はなかなかないからね~取りあえず行ってみない?」
こんな具合に誘われた観劇だったが、まさか早朝からTVのニュースになるなんて!





貴重なチケットの入手は一年も前から?
映画も観たことがないビギナーさんが観賞するのは如何なものか?

友は通路側で鑑賞して欲しいと言っていたが、成程、通路も舞台に早変わりする演出になっていた。
同行したもう一人の友が通路側で私はその隣で堪能して来た。
観劇大好き友の粋な計らいに感謝している。

オリジナル俳優さんも出演していて、元気を貰える内容に大満足している。
でも、友とは「私達の年代はジャングル大帝なんだよね」と。
劇場を出たところで、TVのインタビューに捕まりそうになり、こんな初見の身には言葉がみつからないので、お断りして劇場を後にした。



記念に頂いたストラップ
16年7ヶ月=1万回、これは通過点だという。

暑い!

2015年07月13日 16時28分13秒 | 文鳥
当地強風が吹いているからか、その風が熱風になり猛暑にあと一歩だということに気付かされたのですが・・・
日本中で猛暑になっているようですね

何度放鳥してもここに来たがる



床のラグがヒンヤリして気持ち良いのでしょうか?
扇風機の風がこちらの方向から当たるのも関係するのかな?

でもね~~そこは



ママさんの大根足の下!(こちらからは見えないのでとっても危険地帯)



本鳥はそんなことはお構いなしですが・・・
床に座り続ける文鳥って、なんだか変な感じがするの
だって、文鳥は飛ぶ鳥、上にいるのが本来の姿でしょう?

エアコンで冷えた空気は床に溜まるから、かのんもそれがわかるのかな?

梅雨明けはまだ先のようですが、この強烈な蒸し暑さは苦手だな(汗)

規格外

2015年07月12日 19時46分08秒 | 日記
昨日から気温がぐんぐん上昇、今日は路上温度35℃!
今までが涼しかったから、急に暑くなると身体が慣れずぐったり(汗)



そんな日、掌の中は相乗効果でかなりの高温になるので、かのんも開口呼吸に!
実は、こうして傍らにいても先程までは笹かま状態だったのです(大汗)

さて、今日は旦那からサプライズがあった。
規格外の私は、簡単にフィットする靴を得られない。
買い物先で試履きしては、ぶかぶかの靴にがっかりするのが常でした。
最近の靴のサイズは3~4Eばかり!
足のサイズも小さい上に幅もゆったりになり、履ける靴が見つからないのだ。(日本人の足の幅ってこんなに広かったっけ?)
来週に迫ってしまった○○歳の誕生日プレゼントに靴を買ってくれると言うが、果たして規格外の私に合う靴が見つかるだろうか?
以前訪れた事のある小さな靴屋(足に合わせてくれる)へ直行、事情を話して、薦めてくれたのがコレ



マジックテープで自分の足に合わせることが出来るタイプのサンダルで、ぴったり合ったサンダルはとても軽く感じたが、実際に手にしたら意外に重くびっくり!
それに整形外科医が考えたという靴は健康志向?



意外にも東洋的なツボ押しの中敷きが付いていた。
しかし、この中敷きの長時間の使用は控えた方が良いようで、自宅のスリッパでの使用を勧められた。
ドイツ製の高級サンダルは、がっちりタイプでお洒落ではないが、底の張り替えも可能で長期間履ける優れものだとのこと。
以前この店で購入した日本製のウォーキングシューズは、何年も履き続けているが、未だに現役なので嘘はないだろう。

今年の夏は、つま先が飛び出し危険な為に、長いこと履けなかったサンダルを履いて外出が出来そうだ。ありがとう♪

お一人様デビュー

2015年07月08日 19時02分20秒 | 日記
何時もは友の金魚の糞の観劇。
今日はおひとり様なので、豪華なランチもなし。
ほど良い時間に到着し、現地で持参したパンと野菜ジュースの昼食を予定していた。
最寄駅近くの屋外でランチしている人達を発見し、その中で食べ始めたら、天気予報より早めに雨が降り出した。
昼食途中で、劇場へ向かい、インする前に地下を下見しトイレの位置を確認した。
劇場の中に入ると御婦人方で一杯だったが、立って飲食している人を見かけて、私も残りを慌てて口の中に押し込んだ。



予習は効果抜群で、音楽はわかっているので、衣装や舞台、ダンサーやアンサンブルにも目を向けることが出来た。
「死を擬人化した暗いお話」と、聞いていたが、照明が明るく、豪華な衣装と黒いダンサーの対比が絶妙だった。
う~~ん、これぞ少女マンガの世界!
劇場内は、予備席も満席、ほぼ女性が占めているのも納得できる。

友の忠告通り、休憩時間のトイレダッシュは争奪戦に!
早めに友の指摘通り地下のトイレへ並んだので、長蛇の列を横目にしながら余裕の休憩時間を過ごせた。

終了後、外はすっかり雨降りになっていた。
一度友と地下連絡通路を通ったけれど、記憶が定かではない(汗)
しかし、東京の地下はとても親切、案内板を見ながら進んだら、駅に最短の出口へ出れた。
直通列車には乗れたが、バスはなく、雨の中を徒歩で帰宅した。
おしゃべりもランチもない観劇だったが大満足している。

新しい仲間

2015年07月05日 19時35分55秒 | 文鳥
昨日発見したガチャガチャは、ネット上で購入可能品ですが、やはりこれは回してナンボのブツ



何が出て来るかワクワクドキドキ♪
気持ちだけはすっかり童心に帰っておりますw
かなりくたびれた夫婦が座り込んで回す様は、かなり滑稽に見えただろうな(苦笑)
シークレットを含めて12種類コンプは、さすがにねぇ・・・
取りあえずシークレット以外のクリーム、白、並文鳥のストラップと+αをゲット出来たところでストップ!



戦利品を前に、臆することなく近寄り、先ずは紐を攻めるかのん
あれ?並文鳥さんが餌食に!



あっという間に、倒されてしまった並文鳥さん
かのんは、まめちゃん色のこの色合いに反応するようでっすw
(亡きまめちゃんは、シークレットの桜文鳥さんですが)



パパさんの肩の上でも、どや顔(恐)
何故か強気のお嬢さまでした

そして本日



またママさんとふたりになったら、穏やかかのんに戻りましたとさ

備忘録(我が家の戦後70年)

2015年07月03日 15時31分20秒 | 日記
父から聞けた伯父の最後を書き留めておく。

多摩 (軽巡洋艦)
ウィキペディアより(転記)

レイテ沖海戦

1944年10月20日からのレイテ沖海戦で、多摩は小沢治三郎中将率いる囮艦隊に加えられた。10月25日のエンガノ岬沖海戦で、小沢囮艦隊は空母エンタープライズ・エセックス・イントレピッド・フランクリン・レキシントン・インディペンデンス・ベロー・ウッド・ラングレー・カボット・サン・ジャシントからなる第38任務部隊の攻撃を受けた。多摩はベロー・ウッドのVT-21、サン・ジャシントのVT-51の雷撃機TBF アヴェンジャーによる攻撃をうけ、Mk13魚雷が第2機関室を直撃して大破した。多摩は応急修理を受け、軽巡洋艦五十鈴に護衛されて戦線を離脱した。しかし、五十鈴は被弾した空母千代田の掩護を要請されたため、多摩は駆逐艦霜月の護衛を受けた。その霜月も空母瑞鳳の掩護に回る事になったため、多摩は単独で14ノットで沖縄へ向けて航行した。[5]

ルソン島の北西で、多摩はアメリカ海軍の潜水艦「ジャラオ」 (USS Jallao, SS-368) のレーダーに捉えられた。ジャラオはこれが初の哨戒であった。距離1000ヤード(910m)で艦首から発射した3発の魚雷は全て外れたが、距離800ヤード(730m)で艦尾から放った4発の魚雷のうち3発が多摩に当たり、2発が爆発した。それから数分後、多摩は北緯21度23分 東経127度19分の地点で2つに折れて沈没した。多摩の艦長以下総員が未帰還となった。

多摩は1944年12月20日に除籍された。

多摩の沈没から70年を経た2014年、10月25日に東京都府中市の大国魂神社にて初めて多摩乗員の戦没者慰霊式が執り行われた[6]。

追記
戦後70年、幸いなことに我が家の戦死者はこの伯父ただ一人だけだ。
この事実を知ったのは、もう随分以前(私が高校時代)の時だった。
父の兄が当時の私達姉弟に語ってくれたのは、被弾し海の藻屑となった伯父の生々しい最後だった。
その父の兄も戦死した伯父と同じ海戦で、違う船(五十鈴)からその一部始終を見ていたのだ。
やっと今日、父が教えてくれた船名からこの事実に辿り着いた。
この事実を忘れてはならないので、メモしておく。