四万十川レコード 公式ブログ

四万十と言う小さな町に生まれ、思春期に音楽に目覚めそして今も、長い長い音楽の旅をしています。

オカリナ奏者、ホンヤミカコさんのプロモーション・ブログ始めました

2012-07-08 23:31:19 | ホンヤミカコ
さて突然ですがオカリナ奏者、ホンヤミカコさんのプロモーション・ブログを始めました。
こんな感じです、時々見に来てくれると嬉しいです。
--------------------------------------------------------------------------------

初めまして!オカリナ奏者~ホンヤミカコ~さんのプロモーション・ブログです。
私、文章とプロモーションを担当しているCUROと言います、飼い猫の名前です(笑)
先ずはオカリナ奏者、ホンヤミカコさんの簡単なプロフィールを。


Profaile
北海道帯広市出身。実力、人気ともに日本を代表するオカリナ奏者。
国内外でのコンサートの他、テレビやラジオ等メディアでも活躍。
1994年東芝EMIよりCD『Ocarina』でメジャーデビュー。自作曲を中心とするCDをこれまでに11枚リリース。
サントリー“続・のほほん茶”テレビCM曲「たんぽぽぽ」をはじめ、多くの楽曲がメディアに取り上げられている。

--------------------------------------------------------------------------------

さてこのブログの主旨はホンヤさんの音楽活動と近況、及び本人からの生メールを
綴って作るブログ、と言う感じで考えています。
現在ホンヤさんはコンサートを終えて移動中かと‥
今日のホンヤさんは、

2012/7/8 「第6回 NIGHTオカリナフェスタ!in 掛川」 ゲスト出演
会場:掛川市生涯学習センター ホール (静岡県掛川市) 
伴奏:竹内永和 (ギター)、吉田水子 (コントラバス)

のお仕事をしていました。
内容はどうだったのか?お客さんの反応は?皆さんの気になる様な事は聴きません(笑)
だって疲れているでしょうホンヤさんも、静岡まで行って帰って来る訳だしね。
で私は唯今ホンヤさんからのMica Rina Mailを待っているのです(笑)
ホンヤさんの名前のミカコからMicaを頂いてOcarinaのRinaをくっ付けた
ベタベタのネーミングです。スイマセン親父なもんで(笑)




--------------------------------------------------------------------------------
はじめまして、ホンヤミカコです。
ミカさんって呼んでください!ミカちゃんでもいいです(笑)
身長 158センチ
体重 43キロ
好きな色 白
好きな食べもの 桃
最近気に入っているもの マッコリ
よろしくお願いしまーす♪
_______

バカ過ぎますか?
ホンヤミカコ
--------------------------------------------------------------------------------
いや~ホンヤさん最高ですこの最後のコメントが(笑)
待った甲斐がありました、コンサートお疲れ様です!
これ以上書くと怒られそうなので止めます(笑)

さてと、今日は初めてのブログなのでサクッと終わろうかな?
おっといかん告知ね、このブログはプロモーション・ブログだから宣伝しないと。
近々のホンヤさんのコンサートスケジュールは北だ!ホンヤさんは北海道出身です。

2012/7/15 “北海道ガーデンショー”(6月2日~10月8日開催)
     「森の音楽会」
日時:2012年7月15日(日) 開演13:00、14:30
会場:北海道十勝清水町「十勝千年の森」
伴奏:曽山良一 (ギター)

入場料:前売り券 大人1000円 当日1500円 中高生(当日前売り同額)500円 小学生以下無料

お問合せ:開催地事務局
  〒089-0356 北海道清水町羽帯南10線 十勝千年の森内
  TEL:(0156)63-3000

--------------------------------------------------------------------------------

さて最後はYouTubeにあった「Uploaded by OcarinaArts on 29 Sep 2009 」から
動画を共有させて頂きます御覧下さい!では、又!! 文責:CURO(責任は取れ無いかもなぁ‥)


朝から「田んぼ」かよっ(笑)

2012-07-08 09:01:44 | コラム
雨あとの残る日曜日の町並みを見ながら珈琲を飲んで
少し仕事の整理と手をつける順番を考えないとな?
なんて煙草を吹かしていると携帯に着信履歴が‥
「んっ?松田?」
僕はこのブログでやたら松田や橋田、田んぼの事を書いているので
少し後ろめたい‥しかも松田から直電がある事は先ずない。
そう言う時は何かブログに書き間違いを書いた時が多い。
「ありゃ、朝から説教かよ‥」と電話してみると何の事はない。
「昨夜田んぼの練習の後で酒を呑んでいて、橋田が話をしたい言うけんかけた」と。
そう言えば携帯を変えてから橋田に知らせていない‥
橋田昭和は律義な性格なのでこの間の帰省で奥さんのMAMIちゃんと
橋田にお土産をあげたからお礼の電話が来るのは分っていたけれど
「まっ、いいか橋田やし」と新しい携帯番号を教えて無かった(笑)
この辺が僕の好い加減な所です、反省します(笑)で橋田に電話しました。




橋田は最初から怒っています(笑)
「わりゃ何回電話しても出んやいか!(うん、その番号はもうない)」
「ほんで浩二らと昨日呑みよって聞いたら、お前電話変えたろ?(うん!)」
「なああし連絡して来んがぞ!(面倒臭かった‥)」
あっ心の中の声ですね、これは流石に橋田に言ったら更に怒らせますから(笑)
「で、話したい事はなんぞ?」と僕が聞くと
「女房のMAMIがYouTubeで橋田昭和で検索をかけたら昔四万十川の河原でやった
コンサートの映像があった」と、ほ~それは俺も気が着かんかった。
「窓を開けて」や「アメリカンサマー」とかがのっちょうと橋田。
へ~下北沢時代の橋田か‥バンドの頃だ。
「誰が投稿しているか分るか?」と聞くと「銀ちゃんじゃないか?」と。
おお、懐かしい名前だ、ドラマーの銀ちゃんね。
「音はどうぞ?」と聞くと「音は悪いけんど聞けん事はない」と橋田。
「分った、じゃ早速この後YouTubeで調べて見る」と電話を切りました。
で、橋田昭和で検索をかけたら確かにある、25歳の頃の橋田昭和です。




この頃橋田は田舎の後輩でベースの刈谷とギターの谷本っちゃんと
一緒に音楽活動をしていました。
で、僕と下北沢駅で奇跡の最会?をしたんですね(笑)
女子高生の残り香を駅のホームで堪能している橋田を僕が見つけた訳です。
僕が先に気が付いたけど変態のお楽しみを奪うのは悪いので声をかけませんでした(笑)
女子高生の一群が通り過ぎてやっと橋田は僕に気が付きます。
「ユタカや無いか?(そうだよ‥)」
「わりゃなああし此処に居るがぞ?(それはこっちのセリフじゃ!)」
「そりゃ下北に住んじょうけんよ」「ほ~かよ(笑)」
やっと都会の生活に慣れて洗練された?都会人なっている僕に
剥き出しの幡多弁で話しかけて来ます。
幡多ルールと言う暗黙のルールがありまして、どんなに都会で暮らしていても
地元の友人と話す時は都会の言葉では喋ってはいけないのです。
下手に都会の言葉で話すと「わりゃなにネっちょらや!」と怒りだします。
ネルとは格好をつけている、スカしていると言う様な意味です。
で、この日から橋田との縁が復活しまして橋田に詞を提供したり
下北沢の居酒屋「ぴあぴあ」で狂った酒を呑む橋田にお付き合いするようになります(笑)
で、当時僕が詞を提供していた東京の友人のバンドのドラマーが「銀ちゃん」なんです。
ちなみに松田の曲「星空とフランケンシュタイン」の詞を書いてくれた
作詞家の小林まさみさんはこのバンドのベースを担当していた人で橋田も知っています。
銀ちゃんと橋田はどう言う訳か気があってINOVAと言うバンドを組んで
橋田の曲をライブでやるようになる訳です、その延長が四万十川でのINOVAのライブ映像ですね。




銀ちゃんは元々デザイン関係の仕事をしていた人で無口な人です。
何で橋田が気に言ったのかは分りませんが、その銀ちゃんがYouTubeに
動画を投稿していた訳です‥
橋田以外の友達のすっげー懐かしい映像も投稿しています。
いずれこのブログで紹介する事もあるかと思いますが‥
で、僕は今回の帰省あたりから覚醒して来てると言うか繋がって来たというか
思った事や感じた事が実現するようになって来ています。
これは説明仕様が無いのですがようは「これをやりたな?」と
思ったり「あの人に会いたいな?」と思えば会えるようになって来ました。
これが本当のプロデューサーの能力で、これを取り戻すのにこの一年苦労した訳です。
実は橋田のこの曲「窓を開けて」は僕は名曲だと思っています。
当時から好きな曲です、「あれが残っていないかな~っ」とこの所頭の中で思っていました。
で、会えた訳です、YouTubeで橋田昭和で検索をした事が無かったので気が付きませんでした。
森秀一で検索した事はあります、映像はあったけど音が‥
とても使えるレベルのものではありませんでした。




今回のこの動画は流石に映像も音もあの時代なので
今から見ると辛い所はありますが資料としては十分使える筈です。
僕の知っているのはこの橋田昭和でこの間一緒に呑んだり今朝
電話で話した橋田昭和は僕の「知らんおんちゃん」です(笑)
「顔を出したらいかんにや」と言うブログを書いたばかりですが
今日は橋田の顔を初めて出します。
この頃の橋田昭和はもういない?ので逆に出してあげます(笑)
銀ちゃんにはYouTube内でコンタクトを送りました。
銀ちゃんや刈谷や谷本っちゃんにも近々、会えるでしょう‥
僕が捜していた曲と映像です、橋田昭和の「窓を開けて」をどうぞ。


顔は‥出されんにや(笑)

2012-07-07 15:52:53 | コラム
僕のブログに心温まるコメントを頂きました。

ありがとうございました  (kabu)2012-07-07 01:56:32

こんばんは。

田んぼさんを探していた訳ではないのですが、
偶然こちらのブログに出会いました。
時よとまれ。。。なつかしい。

当時、中学生だったのですが、毎回、文化センターに通っていました。
とっても懐かしく聞かせていただきました。

今、県外に住んでいますが、明日ちょうどお墓参りに帰るんです。
懐かしい風景や、海、川、山・・・目の前に広がります。。。

数十年ぶりに聞かせていただきました。
ありがとうございました。

--------------------------------------------------------------------------------

kabuさん勝手に掲載してごめんなさい!
そうですか貴方は中学の頃に田んぼのステージを見てくれていますか‥
あの頃の松田の甘いルックスと鳥の様に細い橋田と
パンチパーマの山崎活史を知っているのですね(笑)
覚えておいてあげて下さい、あの頃の姿を‥
そして今日は現在の田んぼの話、kabuさん、吃驚するぜ(笑)




さて田んぼの松田の家での呑みけの話の続きです。
先ずは橋田が「八月の蜃気楼」を歌ったと書いています。
凄く良かったですよ声は‥
目をつぶって聴いているとあの頃のままの橋田です。
でもね、目を開けて歌っているその姿を見ると‥
「お前誰ぞ?」と思わず言いたくなるほどの変わり様でね橋田さんは(笑)
松田がスリーフィンガーで桜桃忌を歌ってくれています。
「‥誰ぞ?あの坊主頭の恐いおんちゃんは?」あっこれは僕の心の声です。
活史はね体型的には昔のまんまです、でも御髪が‥
パンチやリーゼントはとても髪を傷めるのですよ(笑)
でも人の事は笑っていられません。
カメラに映った僕のおでこと頭の上は‥なあああし?と言うほど薄くなってる(笑)
「橋田よ、お前はYoutubeの中では声だけやけん、そりゃ外人に受けらァえ」
「浩二もまさかこんな恐いおんちゃんがあの細雪を作った人とは思うてくれんろ‥」
「やけんお前らは顔出しはいかんねぇ‥」僕はしみじみとそう言いました。
橋田も「ホンマよ(笑)」と此処は素直です‥
「時よ止まれ」の橋田さん役の見知らぬ外人を見て
「おらぁこんなにハンサムやないねぇ‥」と正直な感想を言う方です(笑)
「当たり前じゃ!誰もお前と思うかよ!!」と僕に電話で突っ込まれ
「そうやろか?」と言った素朴な方です(笑)




‥しかし時の流れとは残酷なものですなぁ、親父だ(笑)
ちなみに他の同級生達は白髪等の違いはあるにせよ殆んど変りないです‥
しいて言えば僕と橋田と松田が傷んでいます
腐ってはいないけどかなり傷んでいます‥かなり(笑)
高校の卒業以来に初めて高知市内で会った中高のマブダチの達っちゃんは
もう5歳の孫がいるそうです‥ちなみに奥さんも良く知っています。
僕等中高の仲良し3人組、達っちゃん、完ちゃんと僕(ゆー君)は
ひとつ年下の他校の3人組の女の子と付き合っていた時期がありました。
最初に完ちゃんが別れて、次に達っちゃんが別れて僕は最後まで付き合っていて
高校を卒業しても付き合っていたのですが19歳の時に別れました。
田んぼにはシークレットのお付き合いです(笑)僕等3人だけの秘密でした‥
でも達ちゃんはその子とヨリが戻って結局結婚しました。
「そうか‥もう5歳の孫がおるかえ?孫は可愛いか?」と言うと
「責任が無い分だけ可愛い」と達ちゃんは言いました。
「そんなもんかんなぁ?」と僕は心の中で思いました。
達ちゃんはずっと会いたかった友達なのに中々縁が無くて‥
KHKのウマ君、現在はトド君(笑)が、あっトド君は岡村さんが自分で
言っていたので僕が言った訳ではないですが‥
そのトド君、もといウマ君が「ド○モの高知の支店長がユタカの同級生言いよったが?」
と言うので「名前は?」と聞いて「えっ達ちゃん??会いたい!電話して!!」と
すぐに電話して貰いました(笑)
帰省の帰りに高知駅で待ち合わせた達ちゃんは少し太ったけれどやっぱ達ちゃんで‥
「達ちゃん!!」と思わず高知駅のどまん前で抱きついてしまいました(笑)
当然彼の事は田んぼの連中も知っています。
本当に今回の帰省は懐かしい人との再会や良い先輩との交流が生まれた実りある帰京でした‥




しかし僕の田舎の友人達は皆さん優秀です‥
まっちゃんは校長先生、橋田はJAのお偉いさん、ウマ君は地元の名士‥
そして達ちゃんは高知には自分以上の上司がいないそうです‥
景子やトシミチやバンツーも皆自分の居場所で最高の仕事をしています。
おっそう言えば松田、お前何時の間に地元のロータリークラブの会長に?
そんな事は一言もひけらかさない事が松田なのですが‥
僕は本当に友人に恵まれた人生です、東京でもね‥
僕が一番大人になれていない(笑)でも今回の帰省で少し自慢出来る事があります。
このブログで書いた何時か叶えたい夢、それが実現します(笑)
自分が考えていた時期よりもずっと早くにそれが実現します。
と言うか実現させます、以外な所からとんとん拍子に決まってしまいました。
おかげで僕はこの一週間殆んどまともに眠っていないですが(笑)
10月の風はロマンスブルー、僕のゴーストライターの松田さんの曲のワンフレーズです。
10月の風が吹く頃に四万十の町に、僕の田舎町に今まで流れた事のない音色が流れます。
そしてその夢は多くの偶然と多くの友人達の手によって叶えられようとしています‥
皆さんに話すのはもう少し後でね(笑)
何しろいっぱいいっぱいの状態です、同時進行の仕事が重なってしまって‥
でもこう言う時が一番楽しいです、忙しいのもある意味幸せですね。
では最後に外人の「橋田」さんを、時よ止まれ‥


おおっ橋田‥??

2012-07-05 16:03:13 | コラム
いや~キツかった(笑)
こんなに忙しい帰省のスケジュールになるとは自分でも思いませんでした。
さて楽しみにしていた田んぼの松田の家での飲み会で
久し振りに田んぼのVoの橋田さんと再会しました。
何時ぐらい振りだろうか?十数年振りか?
ベースの山崎活史と一緒に松田宅に登場した
橋田を見て思わず「橋田‥??」と言ってしましました(笑)
う~ん太ったのもあるけれど全然想像していたイメージではありませんでした。
しかも鼻の下には髭まで蓄えていたし(笑)
活史も何故か髭を生やしていました、アリス?思わぬチンペイさんでした(笑)




橋田は相変わらずのマイペース振りで人が幼馴染と話しているのに
挨拶が終わるとすぐに「んじゃ、呑もうかねや」と
さっさと庭に用意したバーベキューの場所まで行ってしまいました(笑)
僕は無視して友達のまっちゃんやトシミチと話し込んでいたら
短気でせっかちの橋田は待てないのか「はよ来いや!!」とせかします。
流石に「やかましい!」とは言わず「おうっ、すまんすまん」と
僕もバーベキューの場所まで行きました。
皆にビールが行き渡る間もなく先にビールを注いだ橋田は
もうビールに口をつけて呑んでいます(笑)
「少しは待てや(笑)」と言いながら僕も乾杯もせずにビールを飲み始めました。
う~んどう言えば良いのかな久し振りの橋田昭和の印象は‥
頬がねふっくらとした上に少したるんでいる、マーロンブランド?
良く言えばゴッドファーザーの時のマーロンブランドみたいな頬をしている。
ドン・ブンタンバターケ・橋田さんです(笑)貫禄がありました。




焼き肉を食べて鯛のカルパッチョを食べて‥
鯛のカルパッチョは僕が作る筈だったのに
僕が鯛を3枚におろす事が出来なくて結局田んぼの松田さんが全部作りました。
お魚って切り身では売っていないんですね(笑)
乙女の様な事を言ったら松田に苦笑いされてしまいました。
面白かった事は皆、焼き肉はガンガン焼くのですが減らない。
食べる速度が遅いからすぐに取り皿に山盛りになってしまう。
思わず「ちょっと焼くペースが早いぜ」と焼くのを止めてしまいました。
皆若い頃の様にガツガツとは食べないんですね、年取ったから(笑)
酒はがぶがぶ飲むのですが呑みだすと余り食べなくなってしまう。
意外な所で自分達が年齢を重ねた事に気が付いてしまいました‥
ビールに飽きたら後は各自好きな酒になって、殆んどが焼酎です。
僕は幼馴染の景子が美味しいスペインのワインを持って来てくれていたのでそれを頂きました。
橋田が「俺にもワインをくれ」言うので「ええ?お前はワインは要らんろ」と言ったら
「何言いよらや、オラもワインは好きぜ」と言います。
僕はワインの味がとても良かったのでもったいなくて少しだけ橋田に注いだら
「もっと注がんかい!」と怒ります、イヤもったいないってお前には(笑)
その証拠にワインを飲んだらすぐに焼酎を飲んでいました(笑)




人通り落ちついたらいよいよ部屋の中で田んぼのライブです。
久し振りに山崎活史の生音(これは高校以来だなぁ)を聴きました。
うん、相変わらず良いセンスしています活史のベースは。
「八月の蜃気楼」を歌ってくれて‥いや~、やっぱ橋田の声は良いです。
松田は「桜桃忌」をやってくれました、これも生音は高校の時以来だなぁ‥
僕が聴きたかった橋田の曲「青のビオラ」と言う曲をリクエストして。
うん、良い曲です、橋田の声が良く生かされていていました、ぜひ録音したいですねこの曲は。
僕も高校の高校の時以来の曲「花火」と言う曲をVoのまっちゃんと弾きました。
僕の組んでいた「風車」のVoの前田君は今では小学校の校長先生になっています。
音楽の方もまだ続けている様で松田や橋田とギターの話で盛り上がっています。
橋田はギブソンを持っていますし松田はギルドやYAMAHAの高級ギター
その上12弦ギターまで買っていました。
12弦ギターはチューニングと演奏が凄く難しいギターです。
でも上手く弾けるととても綺麗な音色がします。
イーグルスの名曲「ホテル・カリフォルニア」のイントロは有名ですね。




僕も最後の方はへべれけになってしまい、所々記憶が飛んでいます。
何故か田んぼのメンバーと一緒に「カラス」を弾いている動画がありました。
僕が撮影用に持って行ったカメラを翌日に見ていたら
田んぼの連中と楽しそうにギターを弾いている画像が入っていました。
???記憶にない、もったいないなぁ、せっかく田んぼと演奏したのに(笑)
活史も真面目?に演奏してくれているのに。
でもへべれけになった煮え煮えの頭でまっちゃんとトシミチに
「音楽をやっていて良かった?」と聞いたのを覚えています。
この二人は僕が田んぼの人気にあやかって作ったグループにスカウトした人だからです。
別に音楽をやりたかった訳ではありせん、トシミチなんかは此処で初めてベースに触りました。
この二人を僕が選んだのはスポーツ万能で顔が良かったからです。
演奏力や歌では到底「田んぼ」には勝てませんので「顔」で勝負しました。
本当にこの頃からプロデュース業をやっていた訳です。
曲は全部田んぼの松田がゴーストライターだったし(笑)




僕の「音楽をやっていて良かった?」の問いかけに2人とも「うん!」と
頷いてくれました「音楽って良いよね」と言うとそれも頷いていました。
僕は自分の思いつきで音楽に引っ張りこんだこの二人の答えを実はずっと気にしていました。
理数クラスにいたまっちゃんには音楽活動が妨げになるのを知っていましたので。
でも二人とも音楽が好きになってくれていて良かった、少し安心しました。
僕が「俺らは顔では顔では田んぼに勝っていた」と言うと橋田さんは
「何言いよらぁ、俺はファンレターが300通来たぞ!」と自慢していました。
橋田さん貴方とは本当に長い付き合いだけどその話は初耳です。
「そんなにもてたがやったら、なあしお前の歌は女に振られた歌ばっかりながぞ?」
僕がそう言うと橋田さんは「オラが好きやったがはあの娘だけやけん‥」と言いました。
ああ、橋田らしい言葉だなぁと思いながら僕はワインに口をつけていました‥


僕のブログで毎日読まれているブログ達その6、徳永英明さんともやもや病とVOCALIST

2012-07-03 00:05:00 | コラム
さて僕のサボりブログ?も今日で終わりです(笑)
明日からは土佐での思い出話ブログ?に暫くはなるかも(笑)
他人の褌で相撲を取った訳じゃないですが僕は結構
「徳永人気」に助けられています(笑)
彼の事を書くとブログの閲覧数が凄く増えるのでチョッと甘えてしまいました。
悪いなぁとは思うのですが、同い年の徳永さんが大人の歌を歌い続けてくれている事は
僕等の世代には有難い事だと思いますし尊敬します、うん。
最近の髪型と髭は少し意味不明ですが(笑)
もうこの病気の心配は無いのでしょうか?
徳永さんはずっと歌い続けて欲しい貴重なシンガーだと思います。
でもこれも結局は徳ちゃん頼り?のブログなのかも知れません(笑)

--------------------------------------------------------------------------------

徳永英明さんとの事を以前にブログで少々触れたのでのでその続きです。

僕は昔所属していたライブハウス「新宿ルイード」の事を書こうと思ったのですが
とんだ浦島太郎は「新宿ルイード4」として現存している事を知りませんでした。
当然知り合いの方や僕が昔所属していた組織もあるはずなので、少し躊躇して
タイトルに使いませんでした。
迷惑をかける様な事は有りませんが何分にも浦島太郎の身としては配慮が必要だと考えたからです。



徳永英明さんとはデビュー曲「レイ二ーブルー」の発売以前からのお付き合いです。

徳永さんは新宿ルイードで「マンスリー・ライブ」をやっていました。
尾崎豊や、山下久美子等も皆「マンスリーーライブ」を経てブレイクして行った方々です。

彼は福岡は柳川市の出身で、僕と初めての出会いはライブの打ち合わせに御本人が
直接1人でルイードの事務所に来られた時の事です。
僕は徳永さんの顔を知らずに彼をマネージャーかスタッフの方だと思い込み
「徳永さんは何時来ますか?」と聞いてしまいました、彼は苦い顔で「僕です‥」と答えてくれました。
彼がまだルイードの上の階の居酒屋「水滸伝」でアルバイトをしていた時期です。

余り印象の良くない出会いだったのですが、ライブを重ねるうちに彼と気が合い良く話をする様に
なりました、同じ南の男同士でウマがあった事と、彼の当時所属した音楽事務所は
「新宿ルイード」と同じ企業の傘下にあった事も互いに親近感を持てた理由でしょう?




徳永さんは2001年5月にもやもや病(脳血管障害の一種)の為コンサートを中断します。
厚生省の難病指定にあたる脳血管障害の一種の病気です。
当時のこの情報には治療法がない病気と書いてあって僕は徳永さんの事を心配しました。

翌年には彼はこの難病を克服しステージの上に戻ってきます。
そして2006年に発売された女性ボーカルの楽曲を集めたアルバム「VOCALIST」は
ロングセラーとなり徳永さんのライフワークとも言えるアルバム集に育ちました。

徳永さんは難病と闘いながら自分が「歌手」としての顔を持つ事に気が付いたのでしょう。
自分の死やアーティストとしての自分の事を見つめていたと思います。
このアルバムの表情はそんな大人になった彼の表情を捉えたものだと思います。


僕のブログで毎日読まれているブログ達その5、Arranger

2012-07-02 00:05:00 | コラム
さて僕もそろそ田舎での生活に退屈している頃かな?
明日は帰京です、今日は特に予定は無い、ぼけ~っと海でも眺めるか(笑)
「Arranger」と言うブログで初めて単独のブログ
1本だけの投稿で閲覧数が600Pvを越えました。
正直何でそなに読まれたのか今でも良く分かりません。
そんなに瀬尾さんの顔が珍しかったのかなぁ?なんて思いました。
でもまだこの頃でもレイアウトや構成が甘いな
丁度書き始めて半年位のものですね。
んじゃ最近は上手くなったのか?と言うとそんな事は無いです。
ただ長文にしても構成がブレなくなったなぁ、とは思います。
少しは文章的な体力が付いた?んでしょうか(笑)、ではどうぞ!

--------------------------------------------------------------------------------

アレンジャーと言う言葉は
皆さんも耳にした事があると思います。
では具体的にどう言う仕事かと言うと
楽曲の編曲ですね。
出来あがった楽曲にメロディーや楽器を足して
音楽をデコレーションする仕事、これがアレンジャーです。


 By:Maschinenraum

何で僕がアレンジャーの事を取り上げようかと思ったかと言うと
吉田拓郎さんが中島みゆきさんの曲「永遠の嘘をついてくれ」を
歌っている動画の中にアレンジャーの瀬尾一三(せお いちぞう)
さんの姿を見つけたからです。



中島みゆきさんのカットになった時に後ろのスクリーンに大きく映る
眼鏡の白オジサンがでバンドの指揮をしている人が瀬尾さんです。
アレンジャーの顔や映像が単独で取り上げられる事は殆んどありません。
アーティストのライブ映像に移るケースもまれです、レアな事です。
瀬尾さんのアレンジャーとしての歴史は凄いですよ。
中島みゆき、長渕剛、吉田拓郎、かぐや姫、風、伊勢正三とね
僕等の世代なら必ず瀬尾さんのアレンジを耳にしています。
徳永英明さんも瀬尾さんのアレンジですね。
徳ちゃんは世代的に僕等の世代なので瀬尾さんのアレンジが好きで
瀬尾さんに自分の曲のアレンジを頼んでいるのだと思います。



吉田拓郎さんのツアーで瀬尾さんが楽曲の総指揮を
する事があるのは知っていました。
でも全てのツアーに瀬尾さんが噛む訳ではありません。
ある程度の予算と冠(スポンサー)がついたツアーですね。
昨日の映像を見て貰えば分かるけどこれはツアーもしくは
TVのオンエアー用の編成ですね、かなり凄いですよこの楽器編成は。
通常のコンサートでは予算的に無理な編成です。
では何を基準に僕が予算が高いとか言っているかと言うとですね
バックバンドの編成とメンバーです。


By:Brian McGuffog's photostream

通常のレコーディングでアレンジャーを起用する場合は1本幾らの契約になります。
僕は、僕が現役当時の瀬尾さんの契約金額を知っていますが
さすがにそれをここで書く事はマナーと言うかルール違反ですので差し控えます。
僕は瀬尾さんの価値が理解出来るのでそんなに高いとは思いませんが。

でもアルバム全ての編曲を瀬尾さんに発注すると結構な金額になります。
では何故アレンジャーの曲単価が割高になるのでしょう。
理由は著作権にあります、何故なら日本の著作権法では
アレンジャー、編曲者に対しての著作権印税は認められていないからです。
それ故に印税分の前渡し的にギャラが設定されています。

アレンジャーを使う必要のある人達は、シンガーソングライター
もしくは余り音の種類を持ち合わせていない編成の人達です。
バンドは余りアレンジャーを起用しません。
起用する場合は「サウンドプロデューサー」と言う形で参加します。
カステラのラストアルバム「新世界」のサウンドプロデューサーは
ホッピー神山さんでした。


By:Brian McGuffog's photostream

で、アレンジャーとスタジオミュージシャン。
彼等は1曲幾らの契約でレコーディングに参加しますので
通常のコンサートでレコーディングメンバーを連れ歩く事は
予算的に不可能です。
だから通常はツアーミュージシャンと言う形でチームを組みます。
ツアー用のバックバンド、それをグロスで雇います。
井上揚水さんのツアーバンドが「安全地帯」だったのは有名な話です。
柳ジョージさんのツアーバンドはJ‐walkでしたね。
話を戻しますがそう言う意味で瀬尾さんクラスのアレンジャーを
ツアーで連れ歩く事は通常無理です、1本幾らの拘束料は支払えないので。
だから僕は映像をみて瀬尾さんの姿を見つけた瞬間に「高い」と分るのです。
そしてそんな瀬尾さんを当たり前のように起用する拓郎さんは
やっぱりフォークの王様だなぁ、なんて思っています‥

僕のブログで毎日読まれているブログ達その4、祭りの準備は出来ましたか?

2012-07-01 00:05:00 | コラム
さてさて今日も僕は帰省中です。
そしてこのブログの撮影場所となった四万十市は下田にいます。
若い頃の原田義雄さんが喋っている方言は本当に僕の町の人の様です。
出演している人達の演技も皆凄いなぁ。
いかんのはこの映画でデビューした新人の竹下某さんか
一人だけ学芸会みたいなお芝居です(笑)
機会があればぜひこのDVDを見て下さい、
色んな意味で吃驚する筈です(笑)
でも僕も人の事は言えません。
何故ならこのブログを書けた時に
自分で「おおっ!」と思った事を覚えている。
まだ文章の構成や場面転換が分ら無い頃に
初めて自分で納得出来たブログ?だったのです(笑)
さて一連のブログで気が付いている人もいるでしょうが此処までは
全部無くなった個人に対するオマージュの追悼文です。
それが毎日読まれているのがホント嬉しいです
書いた甲斐があると言うものです、では本文を‥

--------------------------------------------------------------------------------

祭りの季節です、日本中で様々な祭り開催されます。

特に今年は震災の影響で日本の祭りまで揺れていました。
皆さんの地域の祭りが、無事に終わると良いですね。

僕の田舎の祭りは「太鼓台」と呼ばれるものですが過疎化の影響で
年々担ぎ手が減り開催にも苦労するようになっているみたいです。
中学の先輩が保存会を作って頑張ってくれているようです。
頭が下がります、何もお手伝いしていなくて恐縮ですが頑張って欲しいと思います。



北の祭りの花火を友人が送ってくれました。
携帯の画像だそうですが携帯でこれを撮れる事に感動します。
シルエットの親子が美しいです、良い思い出になった事だと思います。

「祭りの準備」と言うATG(アート・シアター・ギルド)の邦画があります。
1975年製作、黒木和雄監督、江藤潤主演、そして脚本の中島 丈博(なかじま たけひろ)さんは
僕等の中学、そして僕には高校の先輩にあたります、中村高校を卒業されています。
中島さんのお父さんは日本画家の中島敬朝さんで、太平洋戦争の影響で京都から
僕の生まれた小さな港町に疎開されて来られたようです。
そしてあの町の持つ底抜けに明るい陽気さ、エネルギーに驚かれたそうです。
良く分かります、独特のエネルギーがあの町にはあります。



準主演の原田芳雄さんが先日お亡くなりになりました。
どの映画にも出てる、と言うほど映画を愛した俳優さんです。
原田さんは良くライブをやられていた時期があって、片手にバーボンを持ちながら
楽しそうにブルースを唄っていました、僕も何回か一緒にお仕事させて頂きました。
淋しがり屋の原田さんは何時も自宅に友人を招待してお酒を楽しまれた方です。
まるで土佐人の酒の飲み方です、御冥福をお祈りします。