さて僕のサボりブログ?も今日で終わりです(笑)
明日からは土佐での思い出話ブログ?に暫くはなるかも(笑)
他人の褌で相撲を取った訳じゃないですが僕は結構
「徳永人気」に助けられています(笑)
彼の事を書くとブログの閲覧数が凄く増えるのでチョッと甘えてしまいました。
悪いなぁとは思うのですが、同い年の徳永さんが大人の歌を歌い続けてくれている事は
僕等の世代には有難い事だと思いますし尊敬します、うん。
最近の髪型と髭は少し意味不明ですが(笑)
もうこの病気の心配は無いのでしょうか?
徳永さんはずっと歌い続けて欲しい貴重なシンガーだと思います。
でもこれも結局は徳ちゃん頼り?のブログなのかも知れません(笑)
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徳永英明さんとの事を以前にブログで少々触れたのでのでその続きです。
僕は昔所属していたライブハウス「新宿ルイード」の事を書こうと思ったのですが
とんだ浦島太郎は「新宿ルイード4」として現存している事を知りませんでした。
当然知り合いの方や僕が昔所属していた組織もあるはずなので、少し躊躇して
タイトルに使いませんでした。
迷惑をかける様な事は有りませんが何分にも浦島太郎の身としては配慮が必要だと考えたからです。
徳永英明さんとはデビュー曲「レイ二ーブルー」の発売以前からのお付き合いです。
徳永さんは新宿ルイードで「マンスリー・ライブ」をやっていました。
尾崎豊や、山下久美子等も皆「マンスリーーライブ」を経てブレイクして行った方々です。
彼は福岡は柳川市の出身で、僕と初めての出会いはライブの打ち合わせに御本人が
直接1人でルイードの事務所に来られた時の事です。
僕は徳永さんの顔を知らずに彼をマネージャーかスタッフの方だと思い込み
「徳永さんは何時来ますか?」と聞いてしまいました、彼は苦い顔で「僕です‥」と答えてくれました。
彼がまだルイードの上の階の居酒屋「水滸伝」でアルバイトをしていた時期です。
余り印象の良くない出会いだったのですが、ライブを重ねるうちに彼と気が合い良く話をする様に
なりました、同じ南の男同士でウマがあった事と、彼の当時所属した音楽事務所は
「新宿ルイード」と同じ企業の傘下にあった事も互いに親近感を持てた理由でしょう?
徳永さんは2001年5月にもやもや病(脳血管障害の一種)の為コンサートを中断します。
厚生省の難病指定にあたる脳血管障害の一種の病気です。
当時のこの情報には治療法がない病気と書いてあって僕は徳永さんの事を心配しました。
翌年には彼はこの難病を克服しステージの上に戻ってきます。
そして2006年に発売された女性ボーカルの楽曲を集めたアルバム「VOCALIST」は
ロングセラーとなり徳永さんのライフワークとも言えるアルバム集に育ちました。
徳永さんは難病と闘いながら自分が「歌手」としての顔を持つ事に気が付いたのでしょう。
自分の死やアーティストとしての自分の事を見つめていたと思います。
このアルバムの表情はそんな大人になった彼の表情を捉えたものだと思います。
明日からは土佐での思い出話ブログ?に暫くはなるかも(笑)
他人の褌で相撲を取った訳じゃないですが僕は結構
「徳永人気」に助けられています(笑)
彼の事を書くとブログの閲覧数が凄く増えるのでチョッと甘えてしまいました。
悪いなぁとは思うのですが、同い年の徳永さんが大人の歌を歌い続けてくれている事は
僕等の世代には有難い事だと思いますし尊敬します、うん。
最近の髪型と髭は少し意味不明ですが(笑)
もうこの病気の心配は無いのでしょうか?
徳永さんはずっと歌い続けて欲しい貴重なシンガーだと思います。
でもこれも結局は徳ちゃん頼り?のブログなのかも知れません(笑)
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徳永英明さんとの事を以前にブログで少々触れたのでのでその続きです。
僕は昔所属していたライブハウス「新宿ルイード」の事を書こうと思ったのですが
とんだ浦島太郎は「新宿ルイード4」として現存している事を知りませんでした。
当然知り合いの方や僕が昔所属していた組織もあるはずなので、少し躊躇して
タイトルに使いませんでした。
迷惑をかける様な事は有りませんが何分にも浦島太郎の身としては配慮が必要だと考えたからです。
徳永英明さんとはデビュー曲「レイ二ーブルー」の発売以前からのお付き合いです。
徳永さんは新宿ルイードで「マンスリー・ライブ」をやっていました。
尾崎豊や、山下久美子等も皆「マンスリーーライブ」を経てブレイクして行った方々です。
彼は福岡は柳川市の出身で、僕と初めての出会いはライブの打ち合わせに御本人が
直接1人でルイードの事務所に来られた時の事です。
僕は徳永さんの顔を知らずに彼をマネージャーかスタッフの方だと思い込み
「徳永さんは何時来ますか?」と聞いてしまいました、彼は苦い顔で「僕です‥」と答えてくれました。
彼がまだルイードの上の階の居酒屋「水滸伝」でアルバイトをしていた時期です。
余り印象の良くない出会いだったのですが、ライブを重ねるうちに彼と気が合い良く話をする様に
なりました、同じ南の男同士でウマがあった事と、彼の当時所属した音楽事務所は
「新宿ルイード」と同じ企業の傘下にあった事も互いに親近感を持てた理由でしょう?
徳永さんは2001年5月にもやもや病(脳血管障害の一種)の為コンサートを中断します。
厚生省の難病指定にあたる脳血管障害の一種の病気です。
当時のこの情報には治療法がない病気と書いてあって僕は徳永さんの事を心配しました。
翌年には彼はこの難病を克服しステージの上に戻ってきます。
そして2006年に発売された女性ボーカルの楽曲を集めたアルバム「VOCALIST」は
ロングセラーとなり徳永さんのライフワークとも言えるアルバム集に育ちました。
徳永さんは難病と闘いながら自分が「歌手」としての顔を持つ事に気が付いたのでしょう。
自分の死やアーティストとしての自分の事を見つめていたと思います。
このアルバムの表情はそんな大人になった彼の表情を捉えたものだと思います。