四万十川レコード 公式ブログ

四万十と言う小さな町に生まれ、思春期に音楽に目覚めそして今も、長い長い音楽の旅をしています。

東池4丁目、1979年の大勝軒

2012-02-20 11:51:06 | 食べ物
う~ん、これは書き方が難しいな‥
食べ物のブログなら普通は「味がどうのこうの‥」
を書くんだろうけど、僕は正直余り食べる事に拘りが無い。
従って並んでまで食べ物を食べる事なんてあり得ない。
もちろんこれは僕個人の性格ですからそう言う人達の事を
とやかく言う気は全くありません、てな事を御承知の上本文に‥


Photo by:danielle bigtooth.

僕が高校を出て上京したのが1979年だったと思います。
そして初めて東京で住んだ街が東池袋4丁目でした。
池袋と言う街は新宿と同じ様なダーティーなイメージがありますが
この街は学生の街でもあります、近郊の大学生達の遊び場です。
僕の息子の大学もこの街の近く文京区は白山にありますので
愚息が友人と遊んでいるのもこの街です。



さて本題です。
僕の住んでいた下宿の目と鼻の先に
「大勝軒」と言うラーメン屋がありました。
元祖つけ麺のこの店の事はラーメン通の間では
もはや神話化されているので少し書き辛かったのです。
もう30年以上も前の事です。
今のラーメンがどうのこうの言う人達は
まだ生れていないかも知れません。
そしてこの店が神話になる遥か昔、僕はこの店の
ラーメンとつけ麺を食べていました。
愛想のいい店主と明るい奥さんと二人三脚で
頑張っていたこの店はすでに「つけ麺」のファンがいて
お昼時には行列が出来る程でした。


Photo by:danielle bigtooth

本当に普通のラーメンやでしたよ。
出前を取れば奥さんや旦那さんがすぐに届けてくれました。
味は醤油味の出汁系のスープ、正直特筆するような
味ではありませんでした。
ただ、麺は「つけ麺と」と同じ平打ちのチジレ麺、
つけ麺と同じ麺をラーメンにも使っていました。
「つけ麺」は学生向けに麺のボリュームがあったし
やはりこの頃から人気店だったのは間違いないです。


Photo by:danielle bigtooth

大勝軒が一時期クローズ、閉店していたのは
明るい奥さんに先立たれた店主の岸さんが気落ちして
商売をやる気にならなくなった為ですが後に神話にまで
なったのはその大将を励まして大勝軒の味を守ろうとした
お弟子さん達の力ですね。
そのパワーが今日の「大勝軒神話」を作って行ったのです。
僕は混んでいる時間に並んでまで食いたいとは思いませんでしたが
僕の兄貴は我慢強いので昼時に並んで食っていました。
僕と兄貴は同じ下宿に居ましたので大勝軒を教えてくれたのは兄貴です。


Photo by:danielle bigtooth

あれから数十年、大勝軒は神話になりました。
でも、あの奥さんの笑顔と明るさを見た事のある人間は
あの時の大勝軒のつけ麺を食べた事のある人間は今は
少数派なのは間違いないですね。
でも叱責覚悟でハッキリ言うと、ラーメンはそんなに
有難がって食べる様な物ではありません。
僕は環七の「なんでんかんでん」の近くにも住んでいました。
神宮のホープ軒のラーメンも良く食べました。
ラーメン屋は近くにあって思い出した頃に、暇な時刻を見て
食べるのが丁度良いです。
ラーメン文化?にケチつける気はないですが店主に気兼ねしたり
食べ方にとやかく言われてまで食べる必要はないです。
あの頃の大勝軒は決して特別な店では無く何時行っても
明るく「いらっしゃいませ~っ!」と迎えてくれる町のラーメン屋さんでしたよ。

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