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映画鑑賞

昔の名画から最近上映の映画まで、国内外を問わず幅広く楽しんでいます。別世界へ連れて行ってくれる作品が好み(本棚6)。

羊飼いと風船(2019年、チベット映画)

2021-09-13 22:11:16 | TV放映
チベット映画を観たのは、おそらく初めて。
草原で放牧している民の、日々の暮らしを綴った作品です。

伝統的な仏教国の慣習を興味深く拝見しました。
祖父が亡くなると、すぐに複数の僧侶が集まり、お経を唱えます。
土葬ではなく火葬。

そして“転生”が信じられている世界。
高僧に尋ねると、
「祖父はすぐに転生する」
と預言され、そして妻の妊娠が判明しました。

祖父(夫にとっては父)が転生して生まれてくる・・・
夫は喜び、妻に産むよう促します。

しかし現在の生活に疲れている妻は堕胎を希望します。
子どもがすでに3人、まだ小さい。
女手は自分一人、とてもやっていけない・・・
女性たちが“子育て”に苦しめられている様が描かれています。

アフリカのある民族を思い出しました。
そこでは母親達が集団で子育てをします。
母親が出かける用事があると、母乳が出る他の女性からのもらい乳が当たり前。
女性が集まっている中、悩みも共有できます。
それを紹介した番組では、
「このような集団子育てが、人間の子育ての本来の姿」
と解説していました。

しかしチベットの牧畜民は家族単位で独立して生活しています。
当然、女達の集まりが日常的に持てません。
母親達は孤立無援の子育てに追い詰められているように描かれていました。

女性が幸せに暮らす世界はないのでしょうか。
女性の幸せとは何でしょうか。
女性が求める幸せとは何でしょうか。

そんなエンドレスの疑問が、
頭の中をグルグル回り続けています。



<解説>(映画.com
チベット映画の先駆者ペマ・ツェテン監督が、大草原に生きる羊飼い家族の日常と葛藤を描いた作品。チベットの大草原で牧畜を営む祖父・若夫婦・子どもたちの3世代家族。昔ながらの素朴で穏やかな暮らしを送る彼らだったが、受け継がれてきた伝統や価値観は近代化によって変化しつつあった。そんなある日、子どもたちのいたずらをきっかけに、家族の間にさざなみが起こり始める。ペマ・ツェテン監督の前作「轢き殺された羊」で主演を務めたジンパが父親を演じる。2019年・第20回東京フィルメックスのコンペティション部門で「気球」のタイトルで上映され、最優秀作品賞を受賞。

<スタッフ・キャスト>
監督:ペマ・ツェテン
脚本:ペマ・ツェテン
撮影:リュー・ソンイエ
美術:タクツェ・トンドゥプ
編集:リアオ・チンスン ジン・ディー
音楽:ペイマン・ヤズダニアン

★ 5点満点で3.5点

「ジョーカー」(2019年、アメリカ映画)

2021-09-09 21:25:38 | TV放映
ジョーカーの狂気はジャック・ニコルソンくらいしか演じられないと思っていましたが、
トッド・フィリップスは見事&不気味に演じきっていると思いました。

幼少期に父親と母親から虐待を受け、
それでも笑っていたので「ハッピー」と呼ばれていたジョーカー。

一種の離人症・二重人格現象なのでしょう。
現実があまりにもつらいので、別の人格を作って逃避する人間の本能。

エリートが支配する社会、虐げられる人々はジョーカーの行動に共感し、
社会全体に共振現象が広がり、都市を破壊する行動に出ます。

狂気が市民権を得た瞬間に妙に合点がゆきました。

★ 5点満点で4点。



<解説>(映画.com
「バットマン」の悪役として広く知られるジョーカーの誕生秘話を、ホアキン・フェニックス主演&トッド・フィリップス監督で映画化。道化師のメイクを施し、恐るべき狂気で人々を恐怖に陥れる悪のカリスマが、いかにして誕生したのか。原作のDCコミックスにはない映画オリジナルのストーリーで描く。第79回ベネチア国際映画祭で、DCコミックスの映画作品としては史上初めて最高賞の金獅子賞を受賞して大きな注目を集め、第92回アカデミー賞でも作品賞ほか11部門でノミネートされ、主演男優賞と作曲賞を受賞した。「どんな時でも笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸に、大都会で大道芸人として生きるアーサー。しかし、コメディアンとして世界に笑顔を届けようとしていたはずのひとりの男は、やがて狂気あふれる悪へと変貌していく。これまでジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、ジャレット・レトが演じてきたジョーカーを、「ザ・マスター」のホアキン・フェニックスが新たに演じ、名優ロバート・デ・ニーロが共演。「ハングオーバー!」シリーズなどコメディ作品で手腕を発揮してきたトッド・フィリップスがメガホンをとった。
2019年製作/122分/R15+/アメリカ
原題:Joker
配給:ワーナー・ブラザース映画

<スタッフ・キャスト>
監督:トッド・フィリップス
製作:トッド・フィリップス ブラッドリー・クーパー エマ・ティリンジャー・コスコフ
製作総指揮:マイケル・E・ウスラン ウォルター・ハマダ アーロン・L・ギルバート ジョセフ・ガーナー リチャード・バラッタ ブルース・バーマン
脚本:トッド・フィリップス スコット・シルバー
撮影:ローレンス・シャー
美術:マーク・フリードバーグ
衣装:マーク・ブリッジス
編集:ジェフ・グロス
音楽:ヒドゥル・グドナドッティル
音楽監修:ランドール・ポスター ジョージ・ドレイコリアス
  • アーサー・フレック/ジョーカーホアキン・フェニックス
  • マレー・フランクリン/ロバート・デ・ニーロ
  • ソフィー・デュモンド/ザジー・ビーツ
  • ペニー・フレック/フランセス・コンロイ
  • ギャリティ刑事/ビル・キャンプ
  • バーク刑事/シェー・ウィガム
  • トーマス・ウェイン/ブレット・カレン
  • ランドル/グレン・フレシュラー
  • ゲイリー/リー・ギル
  • アルフレッド・ペニーワース/ダグラス・ホッジ
  • ブルース・ウェイン/ダンテ・ペレイラ=オルソン
  • ジーン/マーク・マロン
  • ホイト/ジョシュ・パイス
  • 社会福祉士/シャロン・ワシントン
  • カール/ブライアン・タイリー・ヘンリー
  • ジジ・デュモンド/ロッコ・ルナ
  • サリー博士/ソンドラ・ジェームズ
  • 若き日のペニー/ハンナ・グロス
  • 精神科医/エイプリル・グレイス


余命一ヶ月の花嫁(2009年、日本映画)

2021-09-04 23:27:34 | TV放映


<解説>(映画.comより
2007年、がんのため24歳6カ月で生涯を閉じた女性の最後の1カ月間をカメラに収めて話題となったTBS系ドキュメンタリー番組「余命1ヶ月の花嫁/乳がんと闘った24歳 最後のメッセージ」を映画化。主演は榮倉奈々と瑛太。監督は「ヴァイブレータ」の廣木隆一。乳がんに冒され、余命1カ月を宣告された千恵の夢は「ウェディングドレスを着ること」。その夢を叶えようと、友人たちは彼女の恋人・太郎とともに結婚式の準備を進める。
2009年製作/129分/日本
配給:東宝

実話を元にTVドラマ化し、評判がよく映画化されたと聞きました。
分かり易すぎる設定ですが、小細工することなく王道で描ききっていると感じました。

乳がんが判明し、その闘病生活中にテレビの取材を受けるヒロイン。
彼が反対するけど、
「若くして乳がんを発症した人たちの役に立ちたい」
と考えを曲げません。
さらし者になりつらい思いをするのではないか、との彼は心配します。
でも家族が
「あの子は(もうすぐ自分が死ぬことを)すべてわかってやってるんだよ」
と説得されるところが印象的でした。

中でも、最後の花嫁から新郎へのビデオレターが秀逸です。
彼女の死後に新郎の元に届くという遺言。

ビデオの中の彼女は、演技とは思えないリアリティがありました。

★ 5点満点で4点。

監督:廣木隆一
プロデューサー:平野隆
脚本:斉藤ひろし
撮影:斉藤幸一
照明:豊見山明長
美術:丸尾知行
録音:井家眞紀夫
音楽:大橋好規

長島千恵:榮倉奈々
赤須太郎:瑛太
加代子:手塚理美
花子:安田美沙子
赤須敏郎:大杉漣
岡田:津田寛治
奥野:田口トモロヲ
長島貞士:柄本明



アオハライド(2014年、日本映画)

2021-09-03 23:13:56 | TV放映
【ストーリー】
中1の頃、お互いに淡い想いを抱きつつ、離ればなれになってしまった双葉(本田翼)と洸(東出昌大)。 高2の春に再会するも、どこか人が変わってしまったような洸に双葉は戸惑う。 だが、そっけない言動に隠された洸の優しさは昔のままだった。そんな洸に惹かれてしまう双葉。 ふたりと仲良くなるクラスメイトの修子(新川優愛)と小湊(吉沢亮)と悠里(藤本泉)。 双葉に好意を寄せる冬馬(千葉雄大)。双葉と洸の間に立ちはだかる唯(高畑充希)の存在。 徐々に明らかになっていく空白の4年間に隠された洸の秘密。 青春のやるせなさにもがきながらも、双葉と洸の恋が再び大きく動き出していく――。


〔出演〕
本田 翼 東出昌大 新川優愛 吉沢 亮 藤本 泉 高畑充希 千葉雄大 小柳 友 岡江久美子

監督:三木孝浩
原作:咲坂伊緒「アオハライド」(集英社「別冊マーガレット」連載)
脚本:吉田智子
音楽:林ゆうき
音楽:山下康介
主題歌:いきものがかり「キラリ」(EPIC レコードジャパン)

バリバリの青春映画ですね。
アラ還の私ですが、懐かしく昔を思い出しながら見させていただきました。

人生の中で、思春期の始まり、つまり中学生時代に好きになった異性って特別な存在だと思います。
まだお互いに何者でもない二人が、磁石のように自然の引力で惹かれ合う奇跡。

多感な時期を見つめ合って過ごし、大人になっていきます。
人間って他人でもこんなに近い存在になれるんだ。

お互いを目で追い、視線が合うとはにかんだり笑ったり・・・
というシーンが出てきますが、私にも覚えがあります。
恥ずかしさと嬉しさが混在する、何とも言えない気持ち。

しかし日々の学校生活は、お互いの良いところも悪いところもさらけ出します。
でもそんなことは何のその。

10代の恋の愛すべき特徴は、相手のよくないところも認めて受け止められることかな、
と今になって思います。

例えば二十歳前後になると、
“結婚相手”として異性を見る癖が出てきます。
就職すると、その肩書きで判断する癖も出てくるのが人間の性(さが)。

人生の中で、自分の弱みを受け止めてくれる存在は大切です。
いや、むしろそんな存在に出会うことができれば、
その人は幸せな人生を歩むことができるでしょう。


野火(2014年、日本映画)

2021-03-19 14:04:06 | TV放映
2014年、日本映画。

まさに地獄絵図です。

戦争は敵を殺すことが正義。
日常とは真逆の論理がまかり通る極限状況です。

しかし人間はそれをなかなか受け入れることができません。
ただ、一線を越えるとその矛盾を飲み込んでしまう。

それは
「目の前にいる敵を殺さなければ自分が殺される」
「目の前にいる敵を殺さなければ家族が殺される」
という状況であると耳にしたことがあります。





解説
 1959年に市川崑により映画化された大岡昇平の同名小説を塚本晋也の監督、脚本、製作、主演により再び映画化。日本軍の敗北が濃厚となった第二次世界大戦末期のフィリピン戦線。結核を患った田村一等兵は部隊を追放され、野戦病院へと送られる。しかし、野戦病院では食糧不足を理由に田村の入院を拒絶。再び舞い戻った部隊からも入隊を拒否されてしまう。空腹と孤独と戦いながら、レイテ島の暑さの中をさまよい続ける田村は、かつての仲間たちと再会する。戦場という異常な空間で極限状態に追い込まれた人間たちが描かれる。共演にリリー・フランキー、俳優デビュー作の「バレット・バレエ」以来の塚本監督作品への参加となるドラマーの中村達也。
2014年製作/87分/PG12/日本
配給:海獣シアター

塚本晋也監督「野火」に込めた切実な願い
 安保関連法案が与党の強行採決によって衆院を通過した。これまでの憲法解釈では認められていなかった集団的自衛権の行使が盛り込まれており、多くの批判が広がっている。その不穏な流れにくさびを打ち込むべく公開されるのが「野火」だ。日本の安保政策が大きな転換期を迎える戦後70年。かねて日本が戦争に向かっていると懸念を抱いていた塚本晋也監督は、「そういう時代になるのを、何とか食い止めるひとつの行為になれば」と切実に願っている。(取材・文・写真/鈴木元)
 夏目漱石、太宰治ら文豪たちの日本文学を読みふけっていた高校時代、塚本監督が大きな衝撃を受け深く心に刻まれたのが大岡昇平の「野火」だった。
 「本当に戦争を体験しているような小説だったんです。戦争ものの小説は世の中にたくさんあるけれど、昔のことだったんだろうなと感じてしまうんです。でも『野火』は戦争が今起こっていて、自分がその中にいるようなリアルな感じがしたんです。それで心にずっと残り続けたんですね」
 第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本の敗色が濃厚となる中、結核にかかった田村一等兵は部隊からも野戦病院からも追い出されてしまう。食料もほとんどなく、もうろうとしたまま島内をさまよう田村は周囲の兵士たち同様、徐々に精神の均衡を保てなくなっていく。14歳から8ミリカメラを手にしていただけに、脳裏にははっきり映像が浮かんでいたという。
 「大自然の美しい描写と、その中で土色のドロドロとした愚かしい動きをしている人間の対比が、すごくくっきりと印象に残りました」
 そのイメージを具現化させようと動き出したのは20年前。企画書を作成して海外に出資を募ったが、作品規模の大きさもあって思うように集まらなかった。10年前には、レイテに派兵された戦争体験者が85歳になっていたことからインタビューを始め、脚本も執筆して奔走したが実現には至らなかった。だが、その意欲が衰えることはなかった。
 「20年もやろうと思っていた映画なのに、今は時世というか機運的に作りづらい状況になっている。下手をしたら社会全体がこういう映画を受け入れない世の中に変わってしまうんじゃないかという恐怖と危機感ですね。今作っておかないと作品自体も生まれないし、自分が望んでいない時代になる前にぶつけて、何とか食い止める行為にならないかという気がしました」
 雌伏の期間にも日本が戦争容認に進んでいるのではという危惧は常に抱いていた。2011年の東日本大震災によって、その思いはさらに強くなる。年々少なくなっていく戦争体験者の言葉にも背中を押された。
 「新聞を読んだり勉強熱心な方ではなかったんですけれど、そんな臭いがプンプン感じ取れていて、映画にしたいと思ってからちょっと意識的に勉強すると、間違いなく戦争の方に向かっていると。そして、震災で放射能が漏れたことで、日本のからくりみたいなものが見えてきた時に、水面下で戦争をしたいという大きな動きがある気がしてならなかった。戦争は圧倒的な暴力でとても大きな苦痛を伴うことですし、戦争に実際に行った人たちは2度とするべきじゃないと口をそろえて言う。そういう痛みを知っている戦争体験者がいることで、食い止めていたのかもしれないとも感じました」
 もう待ったなし。大岡昇平の親族に手紙をしたためて映画化権を得たことで、一筋の光が射す。かねて想定していた資金はなかったため、監督・脚本・編集・撮影・製作を兼ねる塚本流の自主映画としてのスタート。田村一等兵も自ら演じた。
 「許可を頂いてからは、やれるということで突き進むのみという感じでした。自分で演じるのは最後の選択肢で、独りで小さなカメラを持ってフィリピンに行って演じようかというところから始めているんです。一番下のところから始めればそれ以下の映画にはならないという読みでしたが、作ることがとにかく大事で、お金がないからできないって逃げることは許されない状況になっていました」
 田村のみのシーンや実景のほとんどは、カメラマンら最小限の人数でフィリピン・ロケを敢行。異常なほどにやせ細った田村が、生き残ることに執着する姿は鬼気迫るものがあり、まばたきすることも許されないほどの迫力だ。
 「やっぱり、きつかったですね。やせて出演をして、カメラや全体的なことも考えるのは体力的にもたなかった。それでもやらなきゃいけないので、けっこう危険な感じでした。カメラマンを1人連れて行けたので“自撮り”じゃなくてすんだんですけれど、走っているシーンで崖みたいな所に落っこちそうになったり。今だから笑って言えることですけれどね。でも、絶対に必要な絵(映像)はフィリピンで撮れています」
 リリー・フランキー、森優作らと群像、戦闘シーンなどは沖縄、埼玉・深谷などで撮影し、「今までの映画で一番難しかった」という編集で融合させ、完成にこぎつけた。公開が戦後70年という節目、安保法案に対する議論が活発化しているこの時期になったのは必定だったのかもしれない。
 「戦争体験者がだいぶ少なくなっていることに強く関係していますから、お客さんに何とか肉体的な痛みを感じてもらいたい。戦争を体験した人の声を聞いて引き継いでいくという意味合いもあるので、ちょうどいいポイントになるんじゃないかって気がします。地震の後で(戦争容認の風潮が)さらに加速している感じがして、その時期に作ろうと思ったのである意味、間に合って良かった。若い人はぎゃふんってなると思うんですけれど、ちょっとトラウマにしてもらって体にしみ込ませてくれればいいなと思いますね」
 決して戦争反対をメッセージとして声高に叫んでいるわけではない。塚本監督も口調は終始穏やかだが、かつて日本人が戦争によって強いられた苦難を忘れてはいけないという思いが痛切に伝わってきた。我々も真正面から受け止め、苛烈な歴史から目を背けてはならないと強く感じた。


在りし日の歌(2019年、中国映画)

2021-03-14 14:09:56 | TV放映
日本にいると、中国のよいニュースはあまり耳にしません。
まあ、日本は西側諸国ですから、共産主義圏からのニュースは多少ゆがめられて入ってくることでしょう。

中国は強権的な姿勢で世界に挑んでいます。
思うに、外国人に対して強権的に出る国は、自国民の弱い者も同様に虐げているのではないかと常々感じています。
NHKのドキュメンタリーなどを見ていると、ますますその感が強まります。

この映画は、題名が中原中也の詩集と同じであり、気になって録画&視聴してみました。

ふつうの人々が激動の時代を生き抜くストーリー。

子どもを事故で亡くした夫婦を中心に、
その近い親戚でこの夫婦に拭いがたい罪の意識を抱く母子、
なくした子どもの代わりに養子に入った子どもの苦悩、
それらが複雑に絡み合って大きな流れをつくっています。

死亡事故の被害者家族も加害者家族も、苦しみ抜いた10数年。
つらい思いは消えないけど、もう十分苦しんだからいいんじゃないか・・・
お互いに許し合い抱き合う姿が忘れられません。




<解説>
「北京の自転車」「我らが愛にゆれる時」で知られる中国第6世代の名匠ワン・シャオシュアイが、「薄氷の殺人」のワン・ジンチュンと「黒衣の刺客」のヨン・メイを主演に迎えて描き、第69回ベルリン国際映画祭で最優秀男優賞と最優秀女優賞をダブル受賞したヒューマンドラマ。国有企業の工場に勤めるヤオジュンとリーユン夫婦は、中国の地方都市で幸せに暮らしていたが、大切なひとり息子シンシンを事故で亡くしてしまう。悲しみに暮れるふたりは住み慣れた故郷を捨て、親しい友人とも距離を置き、誰も自分たちのことを知らない町へと移り住む。そして時は流れ……。1980年代から2000年代の激動の中国を背景に、喜びと悲しみ、出会いと別れを繰り返しながらも共に生きていく夫婦の姿を映し出す。
2019年製作/185分/G/中国
原題:地久天長 So Long, My Son
配給:ビターズ・エンド

<評論>
「激動の中国近現代を生きる人々の喜びと悲しみ。中国映画史において重要な一本」
(徐昊辰)
 中国では誰もが知っている曲のタイトル「友誼地久天長」。これは中国語で「友情は天地の如く永久に変わらない」という意味。その中の「地久天長」は「在りし日の歌」の中国語原題である。また、この曲は映画の中でその時代を象徴するシンボルでもある。商業映画とアート映画の間で揺れているワン・シャオシュアイ監督は本作で原点回帰を果たし、あの時代、あの場所、そしてあの人々の喜びと悲しみを甦えらせた。
 「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」のビー・ガン監督をはじめ、中国映画界はすでに新しい時代に進み始めた。一方、ジャ・ジャンクーやロウ・イエ、そしてワン・シャオシュアイ監督といった中国第六世代の監督はすでに最前線から退き、「過去」の人になりつつあると言われている。ただ、中国第六世代の名匠たちは、まるで約束をしたように、皆この改革開放の30年間の中国を背景に、続々と集大成の作品を発表した。しかも軌跡もほぼ同じで、ジャ・ジャンクーは「一瞬の夢」から「山河ノスタルジア」、「帰れない二人」、ロウ・イエも「ふたりの人魚」から「シャドウプレイ」、そしてワン・シャオシュアイは「冬春的日子」から「在りし日の歌」。人と社会の関係性から、人と社会、そして時間との関係性まで、物語が進化している。
 改革開放の30年間は、間違いなく歴史の中でも激動の時代として人々の記憶に残されるだろう。ベルリン国際映画祭をはじめ、多くの観客が一人っ子政策についての描写に注目した。確かに、今回の「在りし日の歌」のように、“時間”という重要な要素を使い、真正面から一人っ子政策を描くのは中国映画史の中でもめったにないことであり、中国映画史においても非常に重要な一本になると思う。ただ、やはり「在りし日の歌」は“時間”の映画なので、一人っ子政策だけでなく、この30年間の中国の変化をごく普通の夫婦を通して多彩に描いている。体制改革、大量のリストラ時期、南への移住、不動産ブーム、海外移住ブーム。まさに中国近現代史の絵巻と言えるだろう。そして、何よりそこに生きている人々の絆は叙情詩のように人々に感動を与え、それは「友誼地久天長」の証でもある。

★ 5点満点で4点
私は父親に注目しました。
一見、ふつうのおじさんなのですが、
子どもをかわいがり、
妻を愛しいたわり、
しかし不倫もしてしまう、
時にカッコよくて、時にだらしなくみっともなくて・・・
あ、やっぱりふつうのおじさんだ。
よい面も悪い面もさらけ出す映像に感銘を抱きました。

桜花抄

2020-09-19 21:49:16 | TV放映
「秒速5センチメートル」の第一章。
久しぶりに観てみました。
これで4回目でしょうか。


小学校時代にお互い転校生で体が弱いという共通点から仲良くなった男子(遠野貴樹)と女子(篠原明里)。
中学校は別々になり、さらに男子は遠くへ転居することになってしまう。
中学1年生の終わりに会う約束をした二人。

しかし二人の間に豪雪が立ちはだかる。
待ち合わせの場所である岩舟駅(栃木県)に向かう電車は雪のために遅れに遅れ、
夜7時の待ち合わせが、到着したのは11時過ぎ。

駅の待合室で再開を喜び、
雪の降る深夜、大きな桜の木の下で口づけを交わす二人。
離ればなれになる不安も同居する、
至福のひととき。


・・・私にもそんな中学生時代がありました。
付き合い始めは彼女からの、
「好きです。この気持ちは一生変わりません。」
という手紙でした。

交換日記をして、とりとめの無いことを書き綴る日々。
いくら書いても、伝えたいことが尽きません。

二人が出会った奇跡。
彼女との初めてのキスは中学二年生の時。
人間同士って、こんなに近くなれるんだ。

中学高校時代は彼女しか目に入りませんでした。
高校は別だったけど、二人が通学に使った両毛線の511系。
映画ではそれが細部にまで再現されていて懐かしすぎます。

この先もずっと一緒に過ごしていくことを信じて疑いませんでした。

でも、高校卒業後に彼女は就職し、私は遠くの大学へ入学しました。
彼女の気持ちを考えず、なぜ遠くの大学を選んでしまったんだろう。

その頃流行った曲はオフコースの「さよなら」。
だんだん二人の距離は開いていって、いつか修復できないほどになり、
気がついたら別の人生を歩きはじめていました。

彼女の最後の手紙には、
「あなたは私の青春でした。」
と一言。

今振り返ると、
見事な“はじまり”と“おわり”です。

その頃、福田章二の「喪失」という小説にはまりました。
文字通りもぬけの殻になった私。
体の8割が無くなってしまったようで、
3日間、何も食べられませんでした。

それから何年かは、女性とつき合うのが怖くて臆病になっていました。
「結婚が考えられない人とつき合ってはいけないんだ。」
と、いつの間にか自分に言い聞かせてブレーキをかけていたのでしょう。

作品の中の貴樹は、この後どんな人生を送ることになるんだろう。

私の場合は、時間がゆっくりと凍った心を少しずつ溶かしてくれました。
私は女性と恋に落ち、別れることを繰り返し、
何回目かの出会いで、
「この人と一緒に生きていこう」
と決心させてくれた女性と結婚し、今に至っています。
子ども達は成人し、自立もそう遠くありません。

あれから45年が経ち、アラ還になった今でもあの胸のうずきは忘れられない。
人生の黄金時代、宝物をくれた彼女に感謝したい。


5回も観てしまった「キミスイ」

2018-11-14 12:51:51 | TV放映
 ふと、桜良と春樹に会いたくなって、録画してあるこの映画を観てしまう。
 気がつくと、もう5回目。

 受け狙い見え見えの青春ラブストーリーに、なぜこんなに惹きつけられるのだろう。
 私はもう、50歳半ばのおじさんなのに。
 
 前々回、この映画を取りあげて感想を書いたとき、桜良より春樹に注目したと書きました。
 観る度に、その思いが強くなってきます。

 一般的には、不治の病を抱えたヒロインである桜良が小悪魔的に明るく振る舞い、涙を誘うストーリーと見なされるでしょう。

 ふとしたキッカケから言葉を交わすようになり「仲良し」になった二人。
 しかし、他人と関わらないことで自分を守ってきた彼の牙城は硬く、「ぼくは他人に興味がない」と断言してはばからない。
 その素っ気なさが不治の病を抱えた桜良には「得がたい日常」と映り、彼に俄然興味が湧いてちょっかいを出し始める。
 無口な彼の口から意外にすてきな言葉が出てくるたびに、惹きつけられていく。

「同級生の重病を知って、どうして平気でいられるの?」
「一番つらい本人が明るく振る舞っているのに、他人が泣いたりするのはお門違いだから」

「初恋の人を好きになった理由は?」
「何にでも “さん” を付ける人で、ぼくはそれを“何に対しても敬意を忘れないこと”だと思えたから」

 とくに断る理由もない春樹は、桜良と一緒に過ごす時間が増え、強引に九州一泊旅行にかり出されてしまう。
 桜良は自分の命が残り少ないことを自覚し、もともとの明るさに加え、“開き直り”の勢いで春樹に猛烈にアタック。
 すると、誘惑には流されないものの、氷のように固く閉じていた彼の心が、少しずつ解け出していく。

 「人と触れあうのも悪くないもんだな」

 と彼は感じ始める。


 彼の氷の心は、生まれつきなのか、ポリシーなのか、以前何かがあってそうなったのかは、触れられていません。
 以前はふつうの子どもだったのかもしれない。
 それが、「人と仲良くなって傷つくくらいなら、自分1人でいる方がいい」と選択したのかも。
 その割には対人関係を単純に遮断して、ひとと関わることをおびえているわけではなく・・・不思議です。

 ・・・私にも経験があるので、なんとなくうがった見方をしてしまいました。
 友達は数人いれば人生を全うできる、とは初期三部作(「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」)の頃の村上春樹から学んだことです。

 春樹の氷の心を溶かすには、桜良くらいのエネルギーが必要なのでしょう。
 桜良のペースに巻き込まれつつ、次第に春樹は彼女に惹かれていきます。
 それは “恋心” というより、自分とは違う価値観を持つ彼女への “敬意” に近い思い。
 やはり彼は “敬意” を払える女性に惹きつけられる運命なのかな。

 私がこの映画のベストシーンを選ぶとしたら、深夜の病院に忍び込んだ春樹と桜良の会話。
 トランプゲーム “真実と挑戦”で春樹が勝ち、桜良は “真実” を選択。
 彼が問います;

「君にとってぼくは・・・いや、君にとって生きるってどういうこと?」

「まじめかよ〜」と桜良は一旦は茶化すものの、しばらく考えてから答えます;

「う〜ん・・・

 誰かと心を通わせること、かな

 誰かを認める
 好きになる
 嫌いになる

 誰かと一緒にいて
 手をつなぐ
 ハグをする
 すれ違う

 それが “生きる”

 自分ひとりじゃ 生きてるってわからない

 そう、

 好きなのに嫌い
 楽しいのにうっとうしい

 そういうまどろっこしさが
 ひととの関わりが
 わたしが “生きてる” って証明だと思う」


 珠玉の言葉が並びます。
 この瞬間、桜良は春樹にとってかけがえのない存在になったのでした。

 もし春樹が、「君にとってぼくは、どんな存在なの?」と聞いてしまったら、
 この映画はよくある“青春ラブストーリー”の範疇にとどまったことでしょう。
 でも春樹は、「君にとって、生きるってどういうこと?」と言い直します。
 この言葉の選択一つで、テーマが“恋愛”の枠を飛び越えたのです。

 この映画でいくつか残念に思ったこと。

 映画の中では半分悪役になっているクラス委員長の存在が気になります。
 桜良に元彼である委員長は「細かいことですぐ怒る」「粘着質」の “イヤな奴” なのでしょうか?

 私が思うに、このような子どもは、そのように育てられてきたケースが多いのではないか、と。
 つまり、彼は親から細かいことですぐに注意され、成績優秀であることをしつこく期待され続けてきたのでしょう。
 すると、他人にも自分がされたのと同じように振る舞ってしまうのです。

 相田みつをさんと佐々木正美先生の共著に「育てたように子は育つ」という本がありますね。

 あと、繰り返し観たことで気づいた心憎い演出。
 
 雨の降る午後、桜良の家で、桜良が春樹に迫るシーン。

「彼氏でない男の子と、いけないことをしたい」

 まあ、桜良は(迫りくる死以外)恐いものなしですから・・・
 でも春樹にはその気はない。
 ただ、かわいい女の子に迫られてドキドキしない男子高校生なんていない。
 真顔になって見つめる春樹を前に、

「冗談だよう〜」

 と茶化す桜良。


 いや、彼女は本気だった。
 その証拠に、彼に迫る直前、両親と写っている写真をそっと伏せたのです。
 「お父さんお母さん、ちょっとの間、眼をつぶっててね」と言わんばかりに。
 ここ、私は見逃しませんでした。

 この映画の仕掛け人(プロデューサー)は臼井央・春名慶の二人で「世界の中心で愛を叫ぶ」と同じなんですね。
 私は「セカチュー」も観ましたが、あまり感動しませんでした。
 でも「キミスイ」には、どっぷりはまりました。

 なぜだろう?
 純粋青春ラブストーリーより、思春期の心の微妙な揺らぎにひかれたのでしょうか。

 やはり、前回も触れましたが、“知性と愛の共鳴”ではないかと思います。
 人間関係よりストイックな知性を求める修行僧のような春樹は“知性”のシンボル。
 人とのふれあい・関わりを大切にする天真爛漫な桜良は“愛”のシンボル。

 得てして対局で語られる“知性”と“愛”ですが、この映画のストーリーの中では見事に“共鳴”しているのです。
 春樹は桜良に惹かれ、あこがれる。
 桜良は春樹に惹かれ、あこがれる。
 その惹きつける力は、強力な磁石のようにぐいぐいと二人の距離を縮めていく。
 映画の題名「君の膵臓をたべたい」とは、“体の一部をたべることにより君になりたい”という究極の言葉、なのでした。

 というわけで“恋愛”の域を超えた、人間賛歌の映画に拍手。
 褒めすぎかな?

 最後に、突っ込み所を2つ;

1.春樹が深夜の病院に忍び込んだ:
 現在の病院はセキュリティ対策が施されているので、映画のように深夜の病院に忍び込むことは困難です。

2.春樹は桜良の膵臓をたべられるか?
 人間は死ぬと膵臓は自己融解作用があるので、速やかに消えてなくなるそうです。
 そのため、漢方医学では膵臓という概念がありません。
 外科手術が行われなかった昔は、人の体の構造の情報を死体からしか得られなかったからです。
 膵臓の存在は、生きている人間の体を開いて観察できる“外科手術”の時代以降に確認されたものと思われます。
 なので、桜良の膵臓を春樹がたべるには、速やかな行動が必要ということに・・・。


「ハルチカ」

2018-11-06 22:49:59 | TV放映
2017年、日本映画
監督:市井昌秀
原作:初野晴
脚本:市井昌秀、山浦雅大

<キャスト>
佐藤勝利:上条春太(ハルタ)
橋本環奈:穗村千夏(チカ)
恒松祐里:芹澤直子
清水尋也:檜山界雄
前田航基:片桐誠治



またまた見てしまった“青春映画”
ただ今回の作品はちょっと“残念”かなあ。

よく言えば「青春映画の王道」
悪く言えば「ストーリーが読めてしまう、ありがちな青春映画」
でしょうか。

吹奏楽の練習場面で一人ずつ順番にセリフを言うシーンは、小学校の学芸会(今は学習発表会?)を連想させ、思わず「おいおい、この演出はないだろう?」と苦笑いしてしまいました。
ティーンズが見ると盛り上がるのでしょうが、50歳代の私に響くシーンやセリフはありませんでした。
青春モノにしては“切なさ”が足りません。

解説
 吹奏楽部に所属する幼なじみの高校生ハルタとチカが、様々な事件を解決していく姿を描く初野晴の人気青春ミステリー小説で、テレビアニメ化もされた「ハルチカ」シリーズを映画化。
 「Sexy Zone」の佐藤勝利がハルタ役で映画初出演にして初主演。チカ役を「セーラー服と機関銃 卒業」で初主演を飾った橋本環奈が担う。美形で頭脳明晰なハルタと、気は強いが前向きで天真爛漫のチカ。幼なじみだが引っ越しで離れ離れになっていた2人は、高校で再会。憧れていた吹奏楽部が廃部寸前と知ったチカは、吹奏楽部で大好きなフルートを吹くために、ハルタを引っ張り込み部員集めに奔走するが……。




★ 5点満点で2点。

「四月は君の嘘」

2018-11-04 21:43:17 | TV放映
2016年、日本映画。
監督:新城毅彦
原作:新川直司
脚本:龍居由佳里

<キャスト>
広瀬すず:宮園かをり
山崎賢人:有馬公生
石井杏奈:澤部椿
中川大志:渡亮太



この映画も、青春モノです。
いや〜、たまには青春モノもいいなあ、としばらく前に録画してあったものを見てみました。

こちらも不治の病を抱えたヒロインと、根暗なヒーローというありがちな設定。
「君の膵臓を食べたい」とちょっと違うのは、根暗なヒーローがかつて神童と呼ばれたピアノの天才であること。
ここまで書いて、現実にはあり得ないストーリーだな、と感じてしまいます。

展開も、エンディングも想定内でした。
まあ、広瀬すずってかわいいな、と単純に観る映画ですね。


解説
 2014年にノイタミナでアニメ化もされた新川直司の人気漫画「四月は君の嘘」を、「海街diary」「ちはやふる」の広瀬すずと「ヒロイン失格」「orange オレンジ」の山崎賢人の共演で実写映画化。
 母の死をきっかけにピアノが弾けなくなってしまった天才ピアニストの少年・有馬公生は、天真爛漫なバイオリニストの宮園かをりに惹かれていく。かをりとの出会いをきっかけに、ピアノと母との思い出とに向き合っていく公生だったが、かをりもまた、ある秘密を抱えていた。
 かをり役を広瀬、公生役を山崎が演じ、公生の幼なじみの椿に石井杏奈、かをりが恋する渡に中川大志が扮した。
 監督は「僕の初恋をキミに捧ぐ」「潔く柔く きよくやわく」の新城毅彦。


★ 5点満点で3点。
 ストーリーに今ひとつ深みがありませんでした。