映画鑑賞

昔の名画から最近上映の映画まで、国内外を問わず幅広く楽しんでいます。別世界へ連れて行ってくれる作品が好み(本棚6)。

「プッチーニの恋人」

2012-07-22 16:56:05 | TV放映
2008年、イタリア映画。

監督・原案・脚本・美術:パオロ・ベンヴェヌーティ
出演:ターニャ・スクイラニョ/リッカルド・ジョシュア・モレッティ/ジョヴァンナ・ダッディ

~Goo映画の解説より~
俗に「ドーリア・マンフレーディ事件」と呼ばれる、プッチーニの愛人と疑われたメイドが自殺してしまった事件。事件後、彼女の容疑は晴れたが、誰がプッチーニの愛人だったのかという謎は残ったままだった。本作の監督であるパオロ・ベンヴェヌーティは、自身が設立した映画学校(イントレランス)の授業の一環として、このドーリア・マンフレーディ事件を調べ始めた。やがて「誰がプッチーニの愛人だったのか」を突き止め、その真相を映画として作り上げたのだ。会話や言葉がほとんどなく、手紙の文面や歌の歌詞のみで登場人物の感情を表現するという独特なスタイルの作品だが、輝く湖や窓からの光などが、雄弁に登場人物の感情を語っている。


 セリフはほとんどなく、イタリアのトスカーナ地方の豊かな自然の中で、情事を垣間見てしまったメイドの悲劇を淡々と描いています。
 見所は事件の新解釈らしいのですが、その事件を知らない私には興味のわかない、淡泊な1.5時間とならざるを得ませんでした。
 ひとつ、女達が洗濯するときに口ずさむ労働歌にそこはかとない哀愁が感じられて魅力的でした。
 プッチーニを演ずるリッカルド・ジョシュア・モレッティ氏は俳優ではなく本物の音楽家(指揮者)だそうです。ではあのピアノ演奏は本物だったのですね。

★ 5点満点で2点。
★ 2009年 ヴェネチア国際映画祭 正式出品作品
・・・まだDVD化はされていないようです。

「殯の森」

2012-07-10 23:00:56 | 手持ちの映画ビデオ・DVD
2007年、日本映画

監督+脚本+プロデュース:河昻直美/撮影:中野英世/照明:井村正美
録音:阿尾茂毅/美術:磯見俊裕/音楽:茂野雅道/演奏:坂牧春佳

キャスト
しげき:うだしげき
真千子:尾野真千子

~Amazonの紹介文~
奈良県東部の山間の地。旧家を改装したグループホームに暮らすしげき(うだしげき)は、亡くなった妻の想い出とともに静かな日々を過ごしている。ここに新任介護福祉士としてやってきた真千子(尾野真千子)もまた、不慮の事故で子どもを亡くした喪失感を抱えて生きていた。失った者への想いとともに生きる者として、介護する側、される側という立場を超えて、少しづつ打ち溶け合っていくしげきと真千子。
ある日、二人はしげきの妻が眠る森へ墓参りへと出かけていく。原初のエネルギーあふれる盛夏の森で彼らを待ち受けていたものとは・・・。


 「春日大社の鎮守の森を撮影した映画」と聞いてDVDを購入、視聴しました。
 でも、私の心には響きませんでした。

★ 5点満点で2点
 カンヌ映画祭でどこが評価されたのか、不思議です。

「おばあちゃんの家」

2012-07-07 06:52:17 | 手持ちの映画ビデオ・DVD
2003年、韓国映画
監督:イ・ジョンヒャン
出演:キム・ウルブン, ユ・スンホ, ミン・ギョンフン

~Amazonレビュー~
母親に連れられて、ソウルから田舎に住むおばあちゃんの家に来た少年サンウ。読み書きができないおばあちゃんとうまくコミュニケーションがとれず、また不自由な田舎の生活に苛立つサンウだったが、どんなワガママに振る舞っても怒らず、サンウのために一生懸命のおばあちゃんのやさしさに、彼も心を開いていく。
ゆったりとした田舎の時間、みんなが家族と言わんばかりの親切な田舎の人々、そして語らなくても十分に伝わるおばあちゃんの深い愛情が、心にジンワリ染みわたる。おばちゃんを演じたキム・ウルブンはじめ、サンウ以外のキャストはほとんど素人。役作りなしの自然なたたずまいが、この映画を成功に導いたといっても過言ではない。「亡くなったおばあちゃんの深い愛情に感謝する作品を撮りたかった」と言うイ・ジョンヒャン監督。おそらく見た人はみな自分のおばあちゃんを思い出してしまうのでは? 懐かしい思いがよみがえる、心温まる作品だ。


 隣国の韓国の映画ですが、映し出される里山の風景・情景・人々は昭和の日本と変わらず、違和感がないことに驚かされました。強いて言えば、まだ水道がなく井戸の生活で、家に木の他に石が使われていることが違うくらい。
 登場するおばあちゃんはホントに俳優さんなの?といぶかしむほど田舎の老女を完璧に演じています。しわだらけの顔にうつろなまなざし、腰は曲がり動作も緩慢・・・昔話からひょこっと抜け出してきたようなイメージ。
 都会育ちの現代っ子である主人公サンウはおばあちゃんの家に連れてこられた当初、田舎とその住人を毛嫌いしてバカにしていました。そんなサンウをおばあちゃんはただ受け入れるだけ。サンウから意地悪されてもどこ吹く風で飄々としています。一緒に時間を過ごしているうちに、サンウはおばあちゃんの無償の愛に徐々に気づき始め、ひとを大事にすることを学んでいくのでした。

 そこに現代失われつつある母性の原型を見たような気がしました。

 「あなたの将来のため」と言って現代の日本の母親(いや祖母までも)は子どもにいろいろ要求します。それができないと叱り、命令します。
 この行為は「今のあなたに私は満足していない、努力しないあなたを認めない」というメッセージとして子どもに伝わります。
 窮屈な生活、ストレスフルな日々は子どもから伸び伸びとした心を奪っていきます。自分に自信を持てなくなります。
 そして、自分のことはさておき、他人にいろいろ要求する行動を身につけてしまうのです。物事がうまく行かないのは、自分のせいではなく他人のせいと。
 遠い将来、体が不自由になった母親に対して「何でこれが出来ないの!」と叱り、命令する姿が見えてくるようです。

 日本にも、こんなおばあちゃんはいなくなりましたね。
 私の母も、自分のことはさておき、子どもと孫に勉強し努力することをひたすら要求し続ける過ちに未だに気づきません。
 もっとも、これは近代に急速に発展した国に共通する問題なのでしょう。
 日本、韓国、そして中国も例外ではないと思われます。
 不安を抱えた子どもたちはいずれ大人になります。他罰的な大人が多い社会は健全とは云えませんね。

★ 5点満点で4点

 「暴れ牛」の場面は、やらせ過ぎて呆れる他ありませんでした(笑)。中国のカンフー系映画でも低レベルのギャグが挿入されがちですが、やめてくれないかなあ。