「ラーメンより大切なもの〜東池袋大勝軒 50年の秘密〜」
2013年、日本映画
監督:印南貴史
「大勝軒」のマスター(山岸一雄氏)に密着取材したドキュメンタリー映画。
びっくりしたのが、企業秘密といったものもなく、誰でも受け入れ、惜しげも無くノウハウを伝授するスタンス。ラーメンの味も絶品ですが、仏のような笑顔を慕って全国からラーメン好きが集まり、店の前には常に行列がありました。
次にびっくりしたのが、大勝軒で修行した(といっても1〜3ヶ月がふつう)弟子達が「大勝軒」の名前を語って支店を出す際、権利金(のれん使用料?)など一切徴収していないこと。なので、「大勝軒」という名前のラーメン屋は100店以上あるそうです。その一人の儲け頭のインタビューで「マスターと同じ事は私にはできない。麺の量が多すぎるし安すぎる。私はずるいですから・・・」と印象的なコメントが聞けました。
そう、大勝軒のマスターはもうける気が無いのです。
マスターは足が悪くて病院通いしていました。医者に「このままではあと1年で歩けなくなりますよ」と忠告されても、何の対策もとらずただ働き続けました。
その裏に、妻を亡くした男の悲哀と覚悟が垣間見えました。
妻が亡きあと、住まいは手つかずのままそのままに封印されていました。
彼の心は、「倒れるまで働き続けて早く妻の元に行きたい」という男の純情。
マスターは妻亡き後、故郷の長野県に帰ることはありませんでした。
そこには妻といった新婚旅行の記憶が封印されていました。
マスター夫婦には子どもがいませんでした。
弟子達が子どもだったのです。
閉店の時に弟子達が集まり、大家族を作っていました。
閉店後、マスターはマンションに引っ越しました。
弟子達が彼らの子どもを連れて切れ目無く遊びに来ます。
そして、マンションの費用を負担したのは、「私はずるいですから・・・」の儲け頭の弟子でした。
<解説>(映画.com)
東京・東池袋にあった伝説のラーメン店「東池袋大勝軒」の店主で、つけ麺の考案者としても知られる山岸一雄さんを追ったドキュメンタリー。2001年、誰もが知る行列ができるラーメン店「東池袋大勝軒」に初めてカメラが入り、ラーメンの味はもとより、店主・山岸さんの人柄にひかれて日々やってくる常連客や弟子たちでにぎわう店の様子を克明に映していく。しかし、カメラが追ううちに、順風満帆に見えた山岸さんの心の奥に隠された影が徐々に見え隠れし、大衆に支持されたラーメン店の誕生秘話が明らかになる。フジテレビの「ザ・ノンフィクション」で放送されて反響を呼んだドキュメンタリーに新撮映像などを加えて映画化した。ナレーションはラーメン好きとして知られる俳優の谷原章介。
★ 5点満点で4点
映像は映画と言うよりテレビドキュメンタリーに近いけれど、内容はすばらしい。こんな仙人のような人もいるんですねえ。
しかし弟子達は凡人なので、マスター亡き後、分裂騒動が発生しました。
残念です。
マスターは天国からどんな気持ちで見ているのでしょう。
■ 【大勝軒分裂騒動】創業者・山岸一雄さんの思い空しく… 同じ鍋の麺ゆでた弟子たちはなぜいがみ合うことになったのか?
(2015.10.22:産経新聞)
つけ麺の生みの親で、今年4月に亡くなった山岸一雄さんが開業した人気店「東池袋大勝軒」(東京都豊島区)。その大勝軒ブランドが“分裂騒動”に揺れている。約60人の弟子たちで発足した「大勝軒のれん会」に反発する形で、8月に「大勝軒 味と心を守る会」が立ち上げられた。現在、32人が参加し、同じ釜の飯ならぬ“同じ鍋の麺”を食べた弟子たちが二分する騒動となっている。
「のれん会の運営の在り方に疑問を持って離れただけ。騒動を起こしたかったわけではないんです」
新たに立ち上がった「守る会」の事務局長、小汲(おぐみ)哲郎さん(50)は、そう説明する。
「守る会」代表発起人の一人、田内川真介さん(39)が問題視するのは「のれん会」による取材規制についてだ。田内川さんらは、「のれん会」を運営する飯野敏彦氏側が店のホームページ(HP)に「取材は本店事務局を通してください」と記載したため、自由に取材を受けられなくなったと、怒りをあらわにする。
消長の激しいラーメン業界では、メディアに取り上げられることは生命線の一つだ。「特に地方の店舗にとっては、取材を自由に受けられないことは大きな問題で、つぶれたところもあった」(田内川さん)
わだかまりは山岸氏の葬儀にも起因する。
田内川さんは、「マスター(山岸さん)が亡くなったことも、葬儀の場所も知らされなかった」。何とか場所を突き止めたが、火葬場に立ち会うことも最初は許されず、「駆けつけた約20人の古参弟子が追い出された」と訴える。
最終的には親族の計らいで骨を拾うことはできたが、小汲さんも「同じ弟子なのに部外者扱い。あまりのことであきれてしまった。その日から、のれん会にいても仕方ないんじゃないか」という思いを強くしたと話す。
「飯野さんが本店を名乗り、いつの間にか本店と支店というピラミッド構造になっていた。大勝軒という名前を独占したかったとしか思えない」。小汲さんは憤る。
■ ■
ラーメンの神様とも評される山岸さんは、来る者を拒むことなく、「弟子入り志願者は誰でも受け入れていた」。弟子が独立する際にも、大勝軒の看板を自由に使わせ、のれん使用料などを要求することはなかったという。そんな山岸さんを慕い、東池袋大勝軒が区画整理で平成19年に閉店するまで、100人以上の弟子が誕生し、全国各地で自分たちの店を出していった。
弟子の飯野さんが2代目となり店主を務める“本店”を、先代と同じ東池袋に出したのは平成20年。同時に、飯野さん主導で相互扶助を目的に「のれん会」が設立された。
「守る会」側から、名指しで批判される形となった飯野さんは、「今回の騒動についてのコメントはお断りしています。お騒がせして申し訳ありません」とノーコメントを貫く。
だが、「のれん会」所属の店主の中には、守る会の結成に冷ややかな人もいる。ある店主は「のれん会は会費などもなく、それを飯野さんが好意でとりまとめてくれていた。そういう状態で、のれん会が何もやってくれないと言うのはおかしい」と反論する。「火葬場のことも家のやり方があるわけでしょう。1人がお骨を拾えば、皆がやりたがって収拾がつかなくなる。因縁を付けているようにしか見えず、のれん会を抜けるなら『大勝軒』の看板を外して活動するのが筋だ」と語る。
別の関係者は「飯野さんはマスターの世話を全部やっていた」と明かす。山岸さんの通夜では、山岸さんの肉声で飯野さんを2代目とする遺言が流れていたとし、「飯野さんが2代目であることに突然、文句を言うのは不自然。みんなで仲良くやってほしいと願ったマスターの遺志を尊重できていないのは、守る会の方ではないか。マスターの遺言を守ることもできないのに、『味と心を守る会』という名前を付けたのは違和感がある」と話し、「口を開けば騒ぎが大きくなるだけ。ノーコメントを貫くのは賢い選択だと思う」と飯野さんの対応に理解を示す。
ラーメン界のカリスマ、山岸さんが亡くなったことから表面化した今回の騒動。商売にケチがつくとして巻き込まれることを避ける店主も多いが、小汲さんは「相手に大勝軒の看板を外せと言っているわけじゃない。お互いに切磋琢磨して頑張っていきましょうというスタンスなんです」。
「結局、決めるのはお客さんだから」。田内川さんはそう言って席を立った。
2013年、日本映画
監督:印南貴史
「大勝軒」のマスター(山岸一雄氏)に密着取材したドキュメンタリー映画。
びっくりしたのが、企業秘密といったものもなく、誰でも受け入れ、惜しげも無くノウハウを伝授するスタンス。ラーメンの味も絶品ですが、仏のような笑顔を慕って全国からラーメン好きが集まり、店の前には常に行列がありました。
次にびっくりしたのが、大勝軒で修行した(といっても1〜3ヶ月がふつう)弟子達が「大勝軒」の名前を語って支店を出す際、権利金(のれん使用料?)など一切徴収していないこと。なので、「大勝軒」という名前のラーメン屋は100店以上あるそうです。その一人の儲け頭のインタビューで「マスターと同じ事は私にはできない。麺の量が多すぎるし安すぎる。私はずるいですから・・・」と印象的なコメントが聞けました。
そう、大勝軒のマスターはもうける気が無いのです。
マスターは足が悪くて病院通いしていました。医者に「このままではあと1年で歩けなくなりますよ」と忠告されても、何の対策もとらずただ働き続けました。
その裏に、妻を亡くした男の悲哀と覚悟が垣間見えました。
妻が亡きあと、住まいは手つかずのままそのままに封印されていました。
彼の心は、「倒れるまで働き続けて早く妻の元に行きたい」という男の純情。
マスターは妻亡き後、故郷の長野県に帰ることはありませんでした。
そこには妻といった新婚旅行の記憶が封印されていました。
マスター夫婦には子どもがいませんでした。
弟子達が子どもだったのです。
閉店の時に弟子達が集まり、大家族を作っていました。
閉店後、マスターはマンションに引っ越しました。
弟子達が彼らの子どもを連れて切れ目無く遊びに来ます。
そして、マンションの費用を負担したのは、「私はずるいですから・・・」の儲け頭の弟子でした。
<解説>(映画.com)
東京・東池袋にあった伝説のラーメン店「東池袋大勝軒」の店主で、つけ麺の考案者としても知られる山岸一雄さんを追ったドキュメンタリー。2001年、誰もが知る行列ができるラーメン店「東池袋大勝軒」に初めてカメラが入り、ラーメンの味はもとより、店主・山岸さんの人柄にひかれて日々やってくる常連客や弟子たちでにぎわう店の様子を克明に映していく。しかし、カメラが追ううちに、順風満帆に見えた山岸さんの心の奥に隠された影が徐々に見え隠れし、大衆に支持されたラーメン店の誕生秘話が明らかになる。フジテレビの「ザ・ノンフィクション」で放送されて反響を呼んだドキュメンタリーに新撮映像などを加えて映画化した。ナレーションはラーメン好きとして知られる俳優の谷原章介。
★ 5点満点で4点
映像は映画と言うよりテレビドキュメンタリーに近いけれど、内容はすばらしい。こんな仙人のような人もいるんですねえ。
しかし弟子達は凡人なので、マスター亡き後、分裂騒動が発生しました。
残念です。
マスターは天国からどんな気持ちで見ているのでしょう。
■ 【大勝軒分裂騒動】創業者・山岸一雄さんの思い空しく… 同じ鍋の麺ゆでた弟子たちはなぜいがみ合うことになったのか?
(2015.10.22:産経新聞)
つけ麺の生みの親で、今年4月に亡くなった山岸一雄さんが開業した人気店「東池袋大勝軒」(東京都豊島区)。その大勝軒ブランドが“分裂騒動”に揺れている。約60人の弟子たちで発足した「大勝軒のれん会」に反発する形で、8月に「大勝軒 味と心を守る会」が立ち上げられた。現在、32人が参加し、同じ釜の飯ならぬ“同じ鍋の麺”を食べた弟子たちが二分する騒動となっている。
「のれん会の運営の在り方に疑問を持って離れただけ。騒動を起こしたかったわけではないんです」
新たに立ち上がった「守る会」の事務局長、小汲(おぐみ)哲郎さん(50)は、そう説明する。
「守る会」代表発起人の一人、田内川真介さん(39)が問題視するのは「のれん会」による取材規制についてだ。田内川さんらは、「のれん会」を運営する飯野敏彦氏側が店のホームページ(HP)に「取材は本店事務局を通してください」と記載したため、自由に取材を受けられなくなったと、怒りをあらわにする。
消長の激しいラーメン業界では、メディアに取り上げられることは生命線の一つだ。「特に地方の店舗にとっては、取材を自由に受けられないことは大きな問題で、つぶれたところもあった」(田内川さん)
わだかまりは山岸氏の葬儀にも起因する。
田内川さんは、「マスター(山岸さん)が亡くなったことも、葬儀の場所も知らされなかった」。何とか場所を突き止めたが、火葬場に立ち会うことも最初は許されず、「駆けつけた約20人の古参弟子が追い出された」と訴える。
最終的には親族の計らいで骨を拾うことはできたが、小汲さんも「同じ弟子なのに部外者扱い。あまりのことであきれてしまった。その日から、のれん会にいても仕方ないんじゃないか」という思いを強くしたと話す。
「飯野さんが本店を名乗り、いつの間にか本店と支店というピラミッド構造になっていた。大勝軒という名前を独占したかったとしか思えない」。小汲さんは憤る。
■ ■
ラーメンの神様とも評される山岸さんは、来る者を拒むことなく、「弟子入り志願者は誰でも受け入れていた」。弟子が独立する際にも、大勝軒の看板を自由に使わせ、のれん使用料などを要求することはなかったという。そんな山岸さんを慕い、東池袋大勝軒が区画整理で平成19年に閉店するまで、100人以上の弟子が誕生し、全国各地で自分たちの店を出していった。
弟子の飯野さんが2代目となり店主を務める“本店”を、先代と同じ東池袋に出したのは平成20年。同時に、飯野さん主導で相互扶助を目的に「のれん会」が設立された。
「守る会」側から、名指しで批判される形となった飯野さんは、「今回の騒動についてのコメントはお断りしています。お騒がせして申し訳ありません」とノーコメントを貫く。
だが、「のれん会」所属の店主の中には、守る会の結成に冷ややかな人もいる。ある店主は「のれん会は会費などもなく、それを飯野さんが好意でとりまとめてくれていた。そういう状態で、のれん会が何もやってくれないと言うのはおかしい」と反論する。「火葬場のことも家のやり方があるわけでしょう。1人がお骨を拾えば、皆がやりたがって収拾がつかなくなる。因縁を付けているようにしか見えず、のれん会を抜けるなら『大勝軒』の看板を外して活動するのが筋だ」と語る。
別の関係者は「飯野さんはマスターの世話を全部やっていた」と明かす。山岸さんの通夜では、山岸さんの肉声で飯野さんを2代目とする遺言が流れていたとし、「飯野さんが2代目であることに突然、文句を言うのは不自然。みんなで仲良くやってほしいと願ったマスターの遺志を尊重できていないのは、守る会の方ではないか。マスターの遺言を守ることもできないのに、『味と心を守る会』という名前を付けたのは違和感がある」と話し、「口を開けば騒ぎが大きくなるだけ。ノーコメントを貫くのは賢い選択だと思う」と飯野さんの対応に理解を示す。
ラーメン界のカリスマ、山岸さんが亡くなったことから表面化した今回の騒動。商売にケチがつくとして巻き込まれることを避ける店主も多いが、小汲さんは「相手に大勝軒の看板を外せと言っているわけじゃない。お互いに切磋琢磨して頑張っていきましょうというスタンスなんです」。
「結局、決めるのはお客さんだから」。田内川さんはそう言って席を立った。