新・定年オジサンのつぶやき

残された日々をこの世の矛盾に対して勝手につぶやきます。
孫たちの将来に禍根を残さないよう、よき日本を「取り戻したい」。

肝心の「情熱、責任感、判断力」の3要素が欠落している政治屋たち

2024年03月04日 11時54分36秒 | 岸田統一教会内閣

相変わらず不評を買っているマイナンバーカードなのだが、カード取得に強制力がないため、あの手この手でマイナンバーカードの普及に余念がないようである。
 
最近ではこんなことが起きていた。
 
マイナカードで高額転売防止 TGCで初の実証実験
 
単純に転売防止なら問題ないのだが、こんな声が聞こえてきた。
 

●なぜ、イベントスタッフが目視でマイナカードの写真を来場者顔面と照合するなどアナログな方法をつかっているのだ?すでに顔認証や暗証番号による人間の介在不要、システム上で本人確認ができるマイナ本人認証システムが運用されている。現時点の技術を使ったこのシステムを導入することで大勢のスタッフ人員を配置することはまったくの不要となります。
さらに言うと20歳未満の方のマイナンバーカードの有効期間は5年である。そして若年層は実に様々な理由から顔面の変動が大きい。このためイベントスタッフが目視でマイナカードの写真を来場者顔面と照合するなどの方法は著しく正確性に劣る。これはスタッフ人材の質や能力の問題ではないだろう。他人受入や本人拒否が多発するか、適当でいい加減な本人確認が行われることとなるだろう。
 
●いつの間にか持っていないと不利になる、事実上の義務になる制度はやめてほしい。
従来通りに普通にヨドバシやAmazonとか発行のクレカ所有者のみの販売という形式にして欲しい。

 
さらには、形を変えたマイナンバーカードの普及率を高めるかのような法改正が進んでいるという。
 
『キラキラネーム』来年から規制? 改正戸籍法で新たに『基準』 氏名の振り仮名を巡りトラブル多発の予感
 
これまで戸籍に記載がなかった氏名の振り仮名を必須とする改正戸籍法が来年施行される。施行後は、全国民が振り仮名の届け出を求められ、届けがなければ自治体が職権で戸籍に振り仮名を記すことになる。いわゆる「キラキラネーム」には一定のルールも設けられるが、マイナンバーカードの普及を背景に進む大改正には、じわり懸念の声も。あなたの名前はどうなる?
◆膨大な登録作業「勝手に改名されてしまうかも」
 改正戸籍法はマイナンバー関連の法案と併せて国会で審議され、昨年6月に成立した。来年5月ごろをにらむ施行に合わせ、本籍地の市区町村が振り仮名の届け出受け付けを始める。届け出には郵送や、マイナンバーカードの専用サイト「マイナポータル」を使う。
 届け出を促すため、市区町村は住民票などで把握してきた氏名の読み方を参考として、全国民に郵送で通知を送る。通知は同一住所にいる世帯ごととし、姓は戸籍の筆頭者、名は本人が届け出る。1年以内に届けがなければ、自治体の職権で振り仮名を戸籍に転載することになる。
 これに対し「勝手に改名されてしまうかもしれない」と心配するのが、静岡市のライター澤田真一さん(39)だ。
 真一は「しんいち」ではなく「まさかず」と読むが、初対面の人からは「一度も正確に名前を呼ばれたことがない」。もちろん「まさかず」で届け出るつもりだが「これほど重大な変更を、多くの国民が知らないのは広報不足。よほど厳しいチェック体制がないと、また間違えられるのではないか」と心配する。
◆「最終的にどういう振り仮名が付いたか通知する予定はない」
 戸籍に異なる振り仮名が載ったらどうすれば良いのか。東京新聞「こちら特報部」が法務省に尋ねると、届け出がなく自治体職権で記載した場合や、届け出を反映する際の登録ミスによって、自分が使っているものと異なる振り仮名が戸籍に記載された場合、1回に限り訂正の届け出が認められる。その後の訂正は家庭裁判所の許可が必要となるという。
 ただし「最終的に戸籍にどういう振り仮名が付いたか、国民に通知する予定は今のところない」と担当者。戸籍の振り仮名情報は住民票やマイナカードにも反映されるが、数年後になって違うことに気付く、という事態も起こりそうだ。
◆「広報の必要性は認識している」が「今後の予算次第」
 膨大な振り仮名収集の業務に追われる自治体の負担軽減、高齢者や障害者など届け出が困難な人への支援も課題だ。ただ、これらの対策にも、現状は「マイナポータルの活用」が示されている程度で心配が残る。
 市区町村として最も人口が多い横浜市は、通知の印刷代など約6000万円を新年度予算案に計上したが、対象は住民ではなく、本籍人口の約315万人だ。同市の吉田誠・窓口サービス課長は、「他都市にも散らばる振り仮名情報をどうデータで取り寄せるのか、まだ国から示されていない。DV被害者などで同居できない事情がある人に、通知を徹底するのも難しいのでは」と頭を巡らせる。
 法務省によれば、自治体支援のための詳細な検討と予算の確保はこれから。そもそも法改正自体があまり認知されていないため「特設サイトや行政でのパンフレット配布など、広報の必要性は認識している」(担当者)とするが、これも「今後の予算次第」という。
◆「これまで戸籍に読み仮名がなくても全く問題なかった」わけで
 改正戸籍法に伴う振り仮名の戸籍記載については、国会の審議でも望まない振り仮名を付けられる恐れが指摘された。識者からも疑問視する声が上がる。
 「名字の読み方も、また多様にある」と指摘するのは、野村剛史(たかし)・東大名誉教授(国語学)だ。例えば藤原は「ふじはら」とも「ふじわら」とも読まれる。親族間でも認識が異なることがあるが、戸籍法が改正されれば、筆頭者の届け出に統一されることになる。
 「これまで戸籍に読み仮名がなくても全く問題なかった。むしろ人の振り仮名を勝手に通知し、確認できなくても1年程度で戸籍に記載してしまうというのは、アイデンティティーを侵すものではないか」
◆キラキラネーム対策 これから生まれる子どもたちが主な対象
 改正法では「用いる文字の読み方として一般的に認められているもの」との基準も新たに設けられた。本来の読み方と異なる「キラキラネーム」対策とされるが、今使っている人については、パスポートの提示などで原則認める方向。これから生まれる子どもたちが主な対象となる。
 本来の読みでなくても定着している「名乗り訓」などを幅広く許容する日本の命名文化を踏まえた運用にする方針というが、ここで言う「一般的に認められない読み方」とは何か。
 法務省によると、
1)漢字の持つ意味とは反対の意味による読み方(高をヒクシと読む)
(2)読み違いかどうか判然しない(太郎をジロウ、サブロウと読む)
(3)漢字との関連性を認められない(太郎をジョージ、マイケルと読む)
—など、社会を混乱させるものは認められない。来年の施行前までに、詳細な基準を定めた通達が示される予定だ。
 この基準についても、野村氏は「漢字に対して多種多様な読み方があるのが日本語。無理に統一しようとすれば、文化の破壊につながる」と懸念する。極端な例だが「乱」には「みだれる」「おさめる」という正反対の読み方がある。「孝」は「たかし」と読まれることが多いが、親への「うやまい」とのイメージを充てることもできるという。
 「あちらの自治体で認められた振り仮名が、こちらでは認められないということが起きかねない。名前の読み方をどこまで認めるか、誠実に検討するほど行政の窓口負担は増す」と野村氏は危ぶむ。「国は人民を一元管理したいのかもしれないが、必要性を感じられない法改正だ」
◆マイナカード普及の余波? 振り仮名届け出は2025年から
 そもそも、なぜ戸籍に振り仮名が必要とされたのか。
 その根拠は2020年に政府が公表した「デジタル・ガバメント実行計画」にさかのぼる。海外に住む日本人のマイナカード利用にあたり、ローマ字の氏名を記そうとして、ローマ字表記の前提となる振り仮名情報の管理が必要に。そこで同計画で戸籍の法制化を図ると明記された。つまりマイナカードの利用拡大に併せた法改正といえる。

 国が挙げるメリットは、行政事務のデジタル化を進める中で、国民の個人データを管理、検索しやすくなる—ことなどだ。この間、公金受取口座の誤登録などマイナ制度を巡るトラブルも発覚。システム上、漢字による氏名登録だけでは、カタカナ名義の金融機関口座と照合しづらい、という問題点も指摘された。
 名古屋大の稲葉一将教授(行政法)は「誰のための振り仮名記載なのか、ということが、根本的な問題としてある。国民の利便性というよりはデジタル化に対応するためで、マイナの本人確認情報を一つ増やすという趣旨だろう。精度が高まれば国としてもカードを普及しやすい」とみる。
 来年からいよいよ振り仮名の届け出が始まる。「振り仮名は本人が決めるべきだ。職権記載が可能でも、本人による届け出の機会を増やすような運用を期待したいが、そうはいっても届け出が難しい事情も考えられる」と稲葉氏。「戸籍への記載が異なった場合も本人に不都合が生じないように努め、安易に自己責任にすべきではない」とした。
◆デスクメモ
 若い人の名前が読めないことは確かにある。振り仮名は便利というが、わずかな字にさまざまな思いを込める「命名」の範囲や個性は狭まるかもしれない。届け出がなければ行政が付けられるとは、人間を「記号」扱いする発想だ。名前って、もっと微妙なニュアンスがあるものでは。

 
 
さて、話は変わって、昔ならば「予算案」を人質にとって野党が政府自民党を追い詰めるという場面があったのだが、残念ながら先週末に2024年度予算案が衆議院を通過して、自民党は参議院の予算委員会では寝ていても時の経過に身を任せても予算は成立することとなった。
 
心ある善良な国民は野党の不甲斐なさにガッカリしていたのだが、肝心の野党第一党の党首のこの笑顔がネットに拡散されていた。
 

 
こんな現状の政治家連中の体たらくぶりに、この人は縦横無尽の計画を披露していた。
 
 「泉房穂氏が激白!『国民を救い切るには衆参計5回の選挙で勝つこと。そこまでやって日本の夜明けが来る』
 
■泉房穂(前明石市長)
「歯に衣着せぬ……」と言われているが、本人曰く、言いたいことの半分もしゃべっていないとか。市長時代も暴言と子育て政策で名を上げ全国区の有名人になったが、このところのメディア露出はハンパない。腐敗した政治を容赦なく斬ってくれるので、引っ張りダコだ。世直しのため、自ら永田町に乗り込むのか。国政出馬への期待が高まるこの人にズバリ聞いた。
 ──メディアで引っ張りダコです。街で反応ありますか?
 歩いていると「あっ、泉さん、写真撮ってください」と声を掛けられる。新幹線に乗ってると、握手とハグが多い。何でハグしたいのか、わけ分からんけど。あと面白いのが「泉さん元気わけてください」とか。叩かれても叩かれても起き上がり、不屈というか、そういうキャラなんかな。
 ──最近は「国に物申す」といった発信が多いですね。
 市長をやめて一国民に戻った時に、国のあまりのひどさに愕然とした。先進国の中で30年間、経済成長もせず、給料も上がっていないのは日本くらい。それなのに税金が上がり、保険料が上がり、物価も上がり、使う金がない。結婚すらできない。つまり、国の政治が間違っているからまさに少子化になるし、使う金がないから消費に回らず経済が回らない。日本の政治は、30年間何もしなかった無策ではなく、30年間、国をいじめ続けてきた。間違いを続けてきたという認識。ええ加減にせえよ、と思ってたら、また今度の支援金という名の負担増やろ。何をすんねん。首を締めて締めて締めて苦しいと言っているのに、もっと締めてくる。その手を離せって感じやんか。
 ──裏金問題が火を吹いていますが、岸田政権や自民党については?
 岸田総理がひどいのは、言うまでもなしですけど、岸田総理はまさに派閥政治の中で選ばれた人やんか。派閥政治の悪さのポイントは2つあって、お金をくれる一部の人のための政治になっているから、政策がゆがんだ結果、国民が苦しいわけ。もうひとつは、ポストのゆがみ。適材適所ではない者を派閥推薦として大臣に押し込む。その一番の究極は総理大臣。派閥の多数派工作によって総理が選ばれるから適材適所じゃないわけです。国民が選ぶような大統領制や首相公選制だったら岸田総理は選ばれていない。大統領制の欠点もあるけど、やはり国民が直接選ぶとなると、国民に語りかけて国民の支持を得ないことには大統領になれない。日本の総理大臣は国民に語りかける必要ないやん。誰が選ぶかというと、派閥のボス。いまだこんなに支持率が低いのに岸田総理が続けられていること自体が日本の派閥政治の象徴的な欠陥と思う。他の国だったら政権崩壊してるよ。
■与党とか野党とかには興味がない
 ──一方で、野党も政権交代の受け皿になっていない。野党はどうしたらいいですか。
 私は与党とか野党とかには興味がない。古い政治家は総取っ替え。国民のために働かない政治家は全員替えたらいい。私が証明してきたのは無所属新人が直前の立候補でも選挙に当選できること。昨年の明石市長選では、相手候補の支援を自民、公明、維新が組んだけどダブルスコアで勝った。それを衆院の289の小選挙区で、せーのドーンでやれば勝てる。
 ──ならば、泉新党みたいな話になる?
 それもよく聞かれるんだけど、皆さん質問の前提が政党に毒されてる。政党は関係ない。国民の生活を救わなきゃ。私は「救民内閣」という言葉を使ってるけど、国民を救う政治なんですよ。政権交代は手段に過ぎなくて目的じゃない。国民の笑顔。国民の安心。国民を救うために何がいるかというと政策転換。国民の首を締め続けるような国民負担の政治から国民負担減の政治にする。例えば食料品などの生活必需品から税金を取る必要はないんじゃないか。イギリスのように消費税20%の国でも食べ物はゼロだし、アイルランドなんて24%の消費税だけど食料品ゼロなんですよ。国民を救うための政策転換。そのためには総理を取らなきゃいけない。
 ──どう取るんですか。
 ゲームと一緒やん。衆議院(定数465)の多数を取ればいい。オセロで言うと、版面にある465のコマのうちの233を占めた瞬間に総理を取れるねん。233の取り方は、相手が黒とすると、こっちは必ずしも白でなくてもいい。黒以外で、赤、青、黄色、ピンク、茶色でもええねん。カラフル連合で233以上を取って、一人の総理大臣の名前を書けば総理を取れる。それは別に政党があろうがなかろうが変わらへんねん。1つの政党だけで233を超える必要はない。1993年の細川政権は8党派連立での政権交代だった。何でもいいわけですよ。「国民の味方チーム」を289の小選挙区で擁立すれば、一瞬で勝てると思う。
■政治家に必要な資質は情熱、責任感、判断力の3つ
──解散総選挙は今年あるかもしれません。現実論として、立憲民主党の泉代表が「ミッション(共通政策)型内閣」を呼びかけたりしていますが、維新は他党と協力するそぶりはありません。
 気にしないで大丈夫。勝つには1カ月もあれば十分。心配しなくても、当選が見えた瞬間に「この指止まれ」に集まってくるから。今どの政党にいるのか関係なく、こっちの水は甘いぞ、国民の味方チームが通るぞ、ってなったら雪崩現象が起こる。国民の味方チームに候補者が雪崩を打って来るわ。国民の味方チームの大ブーム。新聞が「日本の夜明けが近い」とか書けば、ほっといたって、みんな政党を抜けて夜明けの方へ来る。
 ──政治家総取っ替えは?
 全部新人でもいい。新人というのは2種類あって、コツコツ生きている普通の庶民が私でよろしければという形の出方が1つ。もう1つは一定程度知名度のある、俗に言うインフルエンサー。そうした方々を20人くらい並べるのは難しくない。それに一部、今いる国会議員が混ざってもかまへんけど、今いる国会議員だけで何とかしようなんて思ったらダメ。普通の生活をしている人が普通の感覚で政治家をやるのが大事。明石で証明したように、知名度がなくても、金を使わなくても圧勝できる。極端な話、全国289選挙区、同じポスターでええねん。色を決めて、何色のポスターの人に入れてって言うだけや。「国民の味方チーム」っていうのが分かればいい。これまでの政治×、新しい政治○で、この人に投票。一瞬で勝てるやん。
 ──その時は泉さんも出馬します?
 私が1人出てもしょうがないって。私は映画で言えば、総監督。セリフも書いて思い切ったキャスティングもする。そして全国289の映画館でちゃんと上映を成功させたい。映画のタイトルは「国民の笑顔、国民の安心、日本の夜明け」みたいなイメージ。まずは脚本をしっかりと練り上げることが大切で、他にもやることがいっぱいある。自分が役者をしている場合じゃない。
 ──雪崩現象が起き、公示日の出馬表明でも勝てるなら、総監督として全国を回りながらでも出馬できるんじゃないですか。
 国民を救い切るには、1回の選挙じゃ足らない。衆議院の総選挙は3回、半数改選の参院選で2回勝たなきゃ。それまで総監督を続けないといけない。なぜかというと、政権交代してもすぐに国民の腹はふくれへんから。細川政権でも、民主党政権になっても腹はふくれてないやん。むしろ税金は上がったくらいで、反対を向いてるわけよ。1回の総選挙に勝っただけではダメで、そんなに甘くない。総選挙3回と参院選2回の合計5回の選挙に勝ち、衆参ともに多数を安定的に占めることができてこそ、国民を救う政策への大転換を実行できる。そこまでやらないことには日本の夜明けは来ない。総監督で精一杯で、役者の兼務までは無理ですよ。
■私は役者ではなく総監督
 ──泉さん本人はあくまで総監督なんですね。
 私はかなり正直ベースで、こういうシナリオどうですかと言ってる。違うんだったら、批判してもらってもいいし、対案を出してもらってもいい。ただ、「国民の笑顔、国民の安心、日本の夜明け」まで行くストーリーを考えましょうということ。総監督って偉そうだけど、私はコーディネートというのか、そういう役割は向いていると思っていて、役者よりはそっち。なぜなら役者になりたい人はいっぱいいるわけよ。でも、脚本を書いて「国民の笑顔、国民の安心」なんて言っている人、聞いたことないよ。馬鹿にされるかと思ったら、右も左も関係なく、意外と反応良くって。国民の笑顔は左右を超える。与野党を超えるね。国民生活、困ってるよね。何とかしなきゃ、と一致するわけやんか。その中でチームを作ればいいんであって。これまでそんなこと言う人いなかったけど、私が本気で言ってるから、こいつどうかしてるけど、言われてみたらそうだよね、となってきた。
 ──支持が広がっている?
 私の強みはね、人生もう終わってんねん。ふるさと明石を優しくするのが自分の一生の仕事だと10歳で誓って、自分がいなくても大丈夫な明石を残したぐらいの自負があるから「俺はようやった」と思うねん。でも、まだこんな元気やん。余力がある。還暦だから、人生1周走り終わって2周目行くかなって感じ。2周目はしんどいから、70歳までの10年ぐらいのタームで日本の夜明けを迎えようかなって感じ。今の世の中を救おうと思っている政治家がいなさすぎるんですよ。
■今の政治家は国民への愛がない
 ──だから、泉さんへの期待が高まるわけで。
 私、マックス・ウェーバーが好きなんですけど、政治家に必要な資質は3つあって、それは情熱、責任感、判断力。情熱って、いわば国民への愛なんです。今の政治家に国民への愛がありますか。国民を見ないでお金をくれる一部を見てるやん。国民への情熱がないんです。金に対する情熱だけやから。愛が欠けてるから始まらないんですよ。次に責任感がないやん。言い訳ばっかり、秘書や会計責任者のせいにしてばっかりやろ。政治家になぜ責任が大事かというと、決断する前提は責任なんです。自分が責任を負うから方針転換する。人に嫌われようが憎まれようがこれはみんなのためだからやりきる、というのが政治だから、誰にも嫌われないことは、政治をやらないことと一緒なんです。責任を伴わない政治は官僚政治であって調整型だから、方針転換できない。覚悟のない責任をとらない政治だから国民負担増。そういうセットなんです。そして、責任を前提に決断するのが判断力やん。今で言うと、将来を見通す力じゃないですか。この3つなんですよ。情熱、責任感、それを前提とした決断、判断力。それを持っている政治家が今、永田町にどれくらいいますか。少なくとも国民の笑顔、国民の安心まで届ける。日本の政治の夜明けを迎える。明治維新に指摘する「令和維新」ぐらいやればいいと思っている。いざやってみたら、意外と一気にやれると思うけどな。

 
まさに、永田町を跋扈している政治家らしき連中には、「情熱、責任感、判断力」という肝心の資質がすべて欠けていることはいまさら言うまでもないことだろう、とオジサンは思う。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「水清ければ魚棲まず」なの... | トップ | 半導体工場誘致があらたな公... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

岸田統一教会内閣」カテゴリの最新記事