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CMに流るる音楽♫

2023-06-20 21:00:00 | 日記

 You Tubeを観てると、突然広告が入り込む。

 イライラとしながらも、渋々聴く。

 TVもそうなんだが、広告(CM)で心に響くCM音楽って、幾つあるだろうか?

 インパクトあるCMが沢山、有り過ぎて困るのだが、先ずは『日立の樹』。

 ▼基本情報

 日立の樹(ひたちのき)は、日立製作所をはじめとする日立グループを代表するコマーシャルソング(CMソング)および、同曲を使用したテレビCMに登場する大樹の通称である。

  アーティスト :ヒデ夕木/朝コータロー/シンガーズ・スリー

 ▼大樹『日立の樹』について

 日立グループでは、CMに登場する大樹のことも『日立の樹』と称している。
 長期に渡って使用されているモンキーポッドが有名だが、上述の通り1973年の第1代CMでは映像にアニメーションが採用されていたほか、別の木をあしらったCMが存在する。
 最も有名な『日立の樹』は、ハワイ・オアフ島にあるモンキーポッドの大樹であり、1975年の第2代CMで用いられた後、マンゴーの木等に変更されたが、その後も視聴者の要望で1984年の第6代CM以降は一貫してこのモンキーポッドが使用されている。
 この木は、ワイキキから車で30分ほどのダニエル・K・イノウエ国際空港に程近いモアナルア・ガーデンという公園にある。
 同公園には『日立の樹』と同種の木が多数ある。
 2006年現在、ジョン・フィリップ・ダモンの個人所有地だが、無料開放され、CMの撮影場所やハワイの観光名所としてツアー客等が訪れる。
 2007年にも身売りないし州政府に移管される計画があったが、いまや日立のイメージブランドにもなっていることから、日立が公園を管理する地元企業と年間約40万ドル(約4800万円)で営業目的での独占的撮影権を締結した。
 しかし、公園に関わる費用は年間60万USドルに上り、日立製作所からの収入を上回るとみられている。
 2009年には、増収も兼ねて日本人観光客向けの売店ができた。
 この木は広大な土地に立つ一つの大樹に見えるが、実際には高速道路に面したそれほど広くない公園内にあり、ほとんど似た形状の複数の木の中の一本でありどれがCMの木か探すのに苦労する。
 CMの木にはゴミ箱が置かれていないため、それで区別ができる。
 CM撮影時には高速道路が写らないよう、また孤高の1本に見えるアングルを探して収録が行われた。

 種類:モンキーポッド
 樹齢:約120年
 高さ:25m
  幅:40m

 なお、日立の樹事務局によると歴代の大樹の正確な場所は現在では不明とのこと。

 CM以外でテレビに登場することはほとんどないが、2010年10月23日に放送された『日立 世界・ふしぎ発見!』の25周年スペシャルでは、出演者一同がモアナルア・ガーデンを訪れ、日立の樹の前で番組撮影を行った。

 モンキーポッド

 学名:サマネア・サマン
 俗名:アメリカネム(合歓)、サマンの   
    木、レインツリー(Rain tree)

 モンキーポッドとは、猿がその実を好んで食べることから付いた名。
 podはえんどう豆などの「さや」の意味を表す英語である。
 ネムノキに似た花をつけ、ネムノキ同様に光によって葉が閉じたり開いたりするため俗にアメリカネムとも呼ばれる(モンキーポッドはマメ科サマネア属、ネムノキはマメ科ネムノキ属)。
 主な産地は中南米、西インド諸島など。
 日の陰る雨降りの日には葉が閉じることから、レインツリー(雨降りの木)の異名がある。
 日本でも栽培キットの入手が可能である。


 次は『時をこえて』シリーズ 明治安田生命。

 基本情報

 明治安田生命の保険のCMであり、CMソングには「たしかなこと」を起用。

 アーティスト : 小田和正

 でも、造り手としては卑怯だよね。
 「家族」をテーマにすれば、泣いちゃう。“父と娘”とか“母と息子”とかね。

 感動のCMでした。

 最後は『恋は、遠い日の花火ではない』シリーズSUNTORY。

 基本情報

 「夜がくる」(よるがくる)は、サントリーのウィスキー「SUNTORY OLD」のCMソングであり、楽曲は小林亜星。
 「夜が来る」のCMソングじゃないけど、サントリーレッドの大原麗子“少し愛して、長〜く愛して”シリーズも有名。

 《概要》

 サントリーオールドのテレビCMを手がけるに当たって「人間みな兄弟」(にんげんみなきょうだい)のタイトルで作曲された。
 「人間みな兄弟」のタイトルはかつて壽屋(現・サントリー酒類)宣伝部に所属していた開高健が考えたキャッチコピーであり、小林がこのコピーからのインスピレーションにより作曲したものである。
 1968年に最初に放送されたバージョンは、男性のスキャットとギター伴奏によるハ短調のものである。スキャットを歌ったのは、当時上智大学の教授であったサイラス・モズレーという人物であった。
 楽曲はCMに用いるために短く完結しており、短いイントロと8小節の主旋律を必要に応じて繰り返すのみとなっている。
 後に、小林自身により日本語の歌詞がつけられ、このときに「夜がくる」のタイトルがつけられる。
 このときの日本語詞バージョンは「マークHAMA」の名で小林自らが歌っている。

 以後、何度かの中断期をはさみ、現在までさまざまなアレンジでサントリーオールドのCMに用いられているが、その中でも最初のスキャットバージョンが最も広く知られており、2008年のCM(國村隼・伊藤歩が出演した「家族の絆」シリーズ )でもスキャットバージョンが採用されていた。
 なお、複数のバージョンを収めたCD『人間みな兄弟〜夜がくる』 (CRCP-20254) が2000年8月23日に日本クラウンからリリースされている。
 また、2008年3月15日開業の西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線(JR京都線)の島本駅において、入線メロディとして採用されている。
 これは駅の設けられる島本町に山崎蒸溜所があることにちなんだもので、地元からの要望に基づくものである。ただし蒸溜所の最寄り駅は隣の山崎駅である。

 《小林亜星について》

 小林 亜星(こばやし あせい)
 (生没 :1932年〈昭和7年〉8月11〜2021年〈令和3年〉5月30日)
 日本のミュージシャン、作曲家、俳優、タレント。日本作詞作曲家協会(J-scat)理事、大日本肥満者連盟(大ピ連)初代会長を務めた。

 
 CM曲や歌謡曲、アニメソング、テレビ番組のテーマ曲など、生涯に6,000曲以上を残した。
 1976年「北の宿から」で日本レコード大賞を受賞し、2015年には日本レコード大賞功労賞を受賞した。
 妹はイラストレーターの川村みづえ。次男は元俳優・元学習塾講師の小林朝夫。従甥(母・塩子の兄の孫)に経済学者の有賀敏之がいる。

 《経歴》

 ▼生い立ち

 東京都渋谷区幡ヶ谷に生まれ、杉並区堀ノ内で育った。 
 母の尊敬する演出家・村山知義の息子・村山亜土の名前に因んで「亜星」と命名された。
 父方の祖父は新潟で病院を経営していた医師、父は逓信省の官僚、母は築地小劇場の劇団員。
 東京府東京市大宮国民学校(現:杉並区立大宮小学校)6年生の夏に戦争のため長野県小諸市に疎開した。
 旧制慶應義塾普通部から慶應義塾高等学校(同じクラスに音楽家の冨田勲、林光がいた)を経て、父の勧めで慶應義塾大学医学部に入学したものの医師になりたくはなく、音楽サークルでの活動に熱中したことで親に断りなく経済学部に転部して卒業。
 卒業時に親の知るところとなり失望された。

 ▼作曲家デビュー

 大手製紙会社に入社するも数ヶ月で退社し、大学の先輩で放送関係の仕事をしていた作曲家・服部正に師事した。
 当初は服部に「音楽大学出身者以外の弟子は取らない」と断られたが、連絡先を書いたメモを郵便受けに置いて帰った所、数日後に電話で入門を認められた。
 当時は痩せていたという。 出世作のレナウンのコマーシャルソング「ワンサカ娘」(歌:弘田三枝子)は、当時レナウンの宣伝部に在籍していた実妹(川村みづえ:イエイエのCMのイラストは川村の作品)の紹介で実現したという。
 これ以後、その作曲数では三木鶏郎に及ばないものの、CMソングを中心とした作曲活動を展開するようになり、数多くの作品を世に送った。
 『ふりむかないで』『ワンサカ娘』『日生のおばちゃん』『この木なんの木』など、長いあいだ放映されて多くの日本人の耳になじんでいるCMソングが多い。
 1969年、「イエイエ」、「エメロンシャンプー」他のCM音楽作曲に対して、第6回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞。
 また作曲だけではなく、歌謡曲の一部の作品では作詞の他にも編曲も手掛けている。

 ▼俳優デビュー

 向田邦子の代表作であるテレビドラマ『寺内貫太郎一家』が俳優デビューとなり、「すぐ、ちゃぶ台をひっくりかえすような」頑固な親父「寺内貫太郎」役で、大きな印象を残している。
 起用前の風貌は長髪でサングラスをかけており、原作者の向田は自身の父親をモデルにした寺内貫太郎像とはほど遠く、起用に難色を示したという。
 しかしプロデューサーの久世光彦の発案で髪を坊主頭にし、黒い丸縁めがね、印半纏等を身に着けた小林を向田にひき会わせた所、納得して起用が決まった経緯がある。
 また本人の話では、当時太っている俳優は少なく、ザ・ドリフターズの高木ブー・フランキー堺・若山富三郎は多忙で断られ、その中で小林に白羽の矢が立った。
 1980年(昭和55年)1月から1984年(昭和59年)10月までテレビのクイズ番組『象印クイズ ヒントでピント』(テレビ朝日)に、男性軍キャプテンとしてレギュラー出演。
 同番組のメインである「16分割クイズ」においては、わずか1枚開いただけで正解に導く事が多々あり、「16分割の鬼」と言われた。
 日本音楽著作権協会の一部理事たちによる公金不正流用事件を機に、有志会員が小林亜星、永六輔、野坂昭如を中心に結束し、協会を監視是正するオンブズマン的団体J-scat(日本作詞作曲家協会)を組織した。
 この団体の活動資金を捻出するために、1996年の暮れから3人で世直しトリオとして「歌入りトークショー」を開始した。

 ▼晩年の活動

 1998年(平成10年)、服部克久作曲の「記念樹」が小林の作曲した「どこまでも行こう」を剽窃(盗用)しているとして小林が訴えて服部と法廷で争う形で裁判になった(記念樹事件)。
 司法では最終的に小林の主張が認められた。
 1999年(平成11年)、フジテレビ系アニメ『∀ガンダム』の第1クール〜第3クール分まで(第2話〜第38話まで)のオープニングテーマ、小林からの推薦により、『寺内貫太郎一家』で親子を演じた西城秀樹が歌うことになった作品が「ターンAターン」である。
 2009年5月には懇意のヴァイオリニスト、天満敦子とのコラボレーションを集大成したアルバム『ロマンティックをもう一度』が発売された。
 2015年、第57回日本レコード大賞・功労賞を受賞。

 ▼死去

 2021年5月30日早朝、自宅で倒れていたところを発見され東京都内の病院へ緊急搬送されたが、心不全のため、同日死去。
 88歳没。 小林とタッグを組んで数多くの作品を出していた作詞家の伊藤アキラが2週間前の5月15日に死去し、追悼のコメントを出してまもない時期でもあった。

     〔ウィキペディアより引用〕



教会の鐘&お寺の鐘 第1章

2023-06-18 21:00:00 | 編集後記/追記

 ■邪教

 邪教(じゃきょう)

 邪(よこしま)な教えのこと。
 淫祠邪教(いんしじゃきょう)や邪宗(じゃしゅう)ともいわれる。
 特定の宗教団体が他宗教を非難するときや、国家権力や統治者等が特定の宗教団体を反社会的集団であると見なし、弾圧目的で使用する用語である。

 世界宗教

 キリスト教においては異端をもって邪と看做してきた歴史がある。
 そして、異端という言葉はキリスト教内だけでなく、異教徒に対して使われる場合もある。

 仏教においては内道と外道という言葉・概念が用いられている。内道がブッダの教えであり、外道がブッダの教えから外れたものである。
 外道はしばしば具体的に特定されつつ「六師外道」と呼ばれている。
 これはブッダと同時代の諸思想の中でも特に主だったものを指すもので、例えば六師外道の一人であるマハーヴィーラが開いたジャイナ教は仏教から見れば邪となる。

 イスラム教の場合は、教典であるクルアーンの中にも「宗教には無理強いは禁物」との趣旨の記述があり、ムスリムたちに異教徒への寛容を呼びかけているものの、実際はイスラム支配下で異教徒として活動を許されたズィンミーの権利を制限したり、異教徒をすべて邪とみなして信仰自体禁止するなどの政策を取る国もある。

 中華圏

 古代王朝期の中国では仏教が邪教と見なされることがあり、何度も時の王朝ないしは皇帝により弾圧された。特に南北朝時代、隋、唐、五代十国期の後周の時代の4回の弾圧を合わせて、三武一宗の法難と呼ぶことがある。

 中華人民共和国になってからは、政権政党の中国共産党が共産主義の原則である無神論に忠実な姿勢を見せ、文化大革命期には既存世界宗教も含めたほとんどの宗教が弾圧された。
 文革終結後の中国共産党は仏教、道教、イスラム教、プロテスタント、カトリックの5宗教を公認する一方、法輪功等が「邪教」と位置づけられ、現在も弾圧されている。
 「邪教」とみなされた宗教団体の活動に参加するだけで、末端の信者にも3~7年以上の懲役刑が科される(中華人民共和国刑法第300条)。

 中国の公式文書が英語に翻訳される場合には、中国語である「邪教」は「カルト」または「邪悪なカルト(狂信的教団)」として翻訳されている。
 欧米学者らの主張によると、「邪教」は実際には『異端の教え』の意味という。  1999年10月12日、1万人以上の信者のいた「主神教(中国語版)」の教祖で、1998年(平成10年)6月に逮捕されていた劉家国が婦女暴行、非合法組織の設立、社会秩序の破壊などの罪で銃殺刑を執行された。
 同年10月30日、全国人民代表大会は、法輪功など、中国当局が『カルト』とみなす組織の摘発強化を図る「邪教組織の取り締まりと防止・処罰に関する決定」を可決した。
 主神教は、中国共産党政権を打倒して、「神の国」創設を目標としており、中国公安省より「全国五大邪教組織」の1つとされていた。
 2001年、当局未公認のキリスト教団体「華南教会」の創始者2名が、「邪教」を利用し違法活動をした罪などで死刑判決を言い渡された。
 2012年12月、マヤ暦に基づいた2012年人類滅亡説を唱えていた中国の新興教団『全能神』の関係者800人以上が公安当局に拘束された。

 朝鮮半島

 日本統治以前の李朝時代後期には、儒教思想と相容れないキリスト教が邪教とみなされた。
 19世紀には繰り返し弾圧が行われ、特に1866年の丙寅教獄ではフランスから密入国していた司祭や信者ら約8,000人が殉教、李朝はフランスとの間で戦火を交えるにまで至った。

 大韓民国になった後の1958年8月、初代大統領李承晩は「朴泰善長老教」こと韓国イエス教伝道館復興協会(朝鮮語版)に対して「世論を惑わす邪教」と決め付け、教祖朴泰善を拘束した。
 朴は懲役1年6ヶ月の実刑を言い渡され、服役した。

 日本

 《鎌倉時代

 鎌倉中期に日蓮が立正安国論の中で、法華経を鎌倉幕府の政治運営の精神的中心として受け入れなければ国家国民は安泰にならないという考え方を述べた。
 この際に、正法である『法華経』を信仰しない他宗派はすべて邪法であり、邪教に惑わされている宗派とそれを許している政府を強く非難した(四箇格言)。
 中でも念仏信仰を柱とする浄土宗は開祖法然も含め、名指しで攻撃を受けた。

 しかし、得宗北条時頼は、『立正安国論』を政治批判であるとみなし、日蓮を伊豆に配流した。

 一方、この頃には十戒の一つである不淫戒が事実上失伝。性交渉によって本尊と一体化することを柱とした、現代で言うところのセックス教団の元祖ともいえる流派が生まれる。
 その中から『「彼の法」集団』と天台宗系の玄旨帰命壇が勢力を伸ばした。「彼の法」集団は後に真言宗東密三十六流の一つだった立川流と混同されるようになり、後醍醐天皇の護持僧文観も立川流の信者と誤認されてしまう。
 13世紀後半から14世紀中頃にかけての著作による印象操作の末、立川流は邪教とされるようになってしまった。

 江戸時代

 安土桃山時代から江戸時代初期にかけて、その前の室町末期に日本へ流入したキリスト教に対して太閤豊臣秀吉と続く初代将軍徳川家康が警戒感を示すようになる。
 秀吉は死の直前の1597年(慶長元年)、フランシスコ会の布教を挑発的として宣教師、信徒ら26人を死刑に処させる「二十六聖人の殉教」を起こした。

 江戸幕府発足後、2代将軍徳川秀忠の世だった1612年(慶長17年)に出された禁教令を皮切りに、キリシタン(隠れキリシタン)を邪教の徒として弾圧した。
 転向(棄教)に応じた元キリシタン(転びキリシタン)も、最高6世代の後まで監視されるなど弾圧は苛烈を極めた。

 一方、日蓮宗不受不施派は民こそが国の主役であると考え、正義を重視するという考えから徳川幕府の出す命令に対して非服従を貫き、幕府は「邪宗門」と位置づけた。
 また宗門改などを通じた宗教統制に入らなかった民間宗教、新宗教なども邪宗門に分類された。

 1690年(元禄3年)、寛永寺座主(輪王寺宮)に公弁法親王が就くと、それから10年ほどの間に玄旨帰命壇、立川流が完全に断絶。当時立川流は『彼の法』との混同により玄旨帰命壇共々性交渉によって本尊と一体化することを柱とした教義とされたため、これをきっかけにして淫祠邪教(いんしじゃきょう)という言葉が確立した。

 また、幕府としては容認されたものの藩レベルでは一向宗を邪教とみなし禁止したところもあった。この際に隠れキリシタンと同様、信仰を守るため神道ないしは修験道と融合した新たな宗派が生まれた例もある。

 明治時代

 1868年(明治元年)、江戸幕府は崩壊し明治政府に生まれ変わるが、明治政府は五榜の掲示の第三札に「切支丹邪宗門ノ儀ハ堅ク御制禁タリ、若不審ナル者有之ハ其筋ノ役所ヘ可申出」と記し、引き続きキリスト教および不受不施派の信仰は禁止された。
 このうち、不受不施派の禁教は1871年(明治4年)の寺請制度廃止により、またキリスト教の禁止は1873年(明治6年)2月24日付太政官布告「禁制高札の撤去」で、それぞれ事実上解除される。

 こうして長年邪とされていたキリスト教はようやく日本に認められ、隠れキリシタンも表に出てくることができたが、一方で明治政府は神道の国教化を目指し国家神道の体系を整備していく。
 この過程で、神道と仏教の厳格な分離を求めたことに伴う仏教側の排撃が行われた。
 また、神霊の憑依やそれによって託宣を得る行為、性神信仰などを低俗なものや迷信として否定、それらを信仰の中心においていた教派を淫祠邪教として取り締まる政策を進めた。
 これにより修験道・陰陽道など神仏習合系教派が軒並み禁止となり、修験系講団体の中には教派神道へ移行したものもある。
 大日本帝国憲法第28条において表向き信教の自由が認められた後も、取り締まりは続いた。

 1894年(明治27年)、コレラの治療として神水を配布した蓮門教が淫祠邪教として徹底的に批判され衰退した。
 1901年(明治34年)には内務省宗教局が淫祠邪教の取り締まりを強化すると発表した。
 1911年(明治44年)には、政府は大逆事件で幸徳秋水を処刑するが、その一方で、幸徳の遺作である『基督抹殺論』をキリスト教抑圧のため典拠として利用した。

 大正・昭和初期

 1921年(大正10年)、内務省は、複数の宗教団体を邪教淫祀とみなし、そのひとつである大本教の神殿を全て取り壊す決定を行った。同時に祭神不明の一千余りの神社を廃止することを決定した。

 1925年(大正14年)に治安維持法が成立。当初は日本共産党、朝鮮共産党などの共産主義勢力を標的としたが、1928年(昭和3年)の改正以降、類似(新興)宗教の弾圧にも多用されるようになった。  
 1933年(昭和8年)8月、神道天津教が邪教であるとされ、本部が警視庁から閉鎖を命じられた(第一次天津教弾圧事件)。

 1935年(昭和10年)には、再び大本が淫祠邪教とされて政府から弾圧を受け、全国紙でもそのように断定して批判、報道された。
 この時、刑法第74条「皇室に対する罪」の適用に加えて、治安維持法も適用された。

 遠藤高志の論文では、「1936年(昭和11年)には「類似宗教」「邪教」と銘打った書籍の出版が集中した」と書いてある。
 同年には宮内省の女官長が邪教にまつわる不敬被疑により検挙された。
 文部省(現・文部科学省)は、1935年(昭和10年)から1936年(昭和11年)の調査により、神がかり、呪い、祈祷などで人心を魅惑し、迷信に引きずり込んだ邪教が約150種に及ぶと発表した。
 さらに、天津教が二度目の大規模な強制捜査を受ける(第二次天津教弾圧事件)。 1937年(昭和12年)の日華事変勃発後は、再び淫祀邪教が蔓延しているとされ、警視庁特高部の発表によれば、事変発生前の10倍以上となったとされている。
 同年、PL教団の前身、ひとのみち教会が邪教として解散させられた。翌1938年(昭和13年)に入ると、天理教の分派団体である天理本道が結社禁止となり、天理教自体も邪教のレッテルを貼られることを免れようとして、軍部と戦争への全面協力体制を決める。

 1939年(昭和14年)、治安維持法や刑法に該当しない場合でも取り締まり可能とする「宗教団体法案」が、帝国議会に提出された。
 そして日本が大東亜戦争に突入すると、国の統制下に入らない宗派・宗教団体はすべて邪とみなされ弾圧されるようになる。
 この過程で創価教育学会(現・創価学会)会長の牧口常三郎が命を落とした。また、キリスト教ホーリネス系でも10人が獄死ないしはこれに準じる非業の死を遂げた。
 一方、天津教は1944年(昭和19年)の大審院判決で無罪を勝ち得ている。多数派として邪教弾圧を支持した教派や団体の中には、このことについて後に自派の戦争責任と認める見解を明らかにしたところもある。

 戦後

 太平洋戦争敗北を受け占領者のGHQによって発された「政治的、公民的及び宗教的自由に対する制限の除去の件(覚書)」通称「自由の指令」により、1945年(昭和20年)12月28日付で宗教団体法は廃止され、新たに宗教法人令が施行された。
 一方、神社は国家神道によって享受していた特権を剥奪された。

 GHQは宗教法人令によって戦後日本における完全な宗教の自由を担保しようとし、この結果戦前に邪教として弾圧を受けた大本やPL、創価教育学会などが再興を果たし、修験道、陰陽道も明治以前の形態に戻ることができたが、それでも43派の新興宗教が良俗を破壊するおそれがあるとされ、邪教との謗りをかけられた。
 43派の中には、天津巨と改名していた天津教も含まれており、超国家主義団体と決め付けられて1950年(昭和25年)、教派にとり三度目の弾圧となる解散処分を受ける。

 戦前の内務省宗教局に代わって宗教政策を全面的に担当することになった文部省調査局(現・文化庁文化部)はそれら43派への対策として同年、届出制でなく認証制に改める宗教法人法を国会に提出し可決・成立させた。
 日本国憲法第20条によって完全な宗教の自由が保障された現在では、政府や裁判所等が特定宗派を邪と決め付けることは、建前上出来ないことになっている。
 ただし、宗教法人法第81条1項1号「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」、及び同2号前段「第2条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと」に該当する場合などに、裁判所に対して同法81条1項に基づく解散命令の請求という形で特定宗教を弾圧することは可能であり、請求をされた団体側も争う権利を有する。
 なお、破壊活動防止法に基づき著しく公共の福祉を害しているか否かの認定は法務省が、その調査は法務省外局の公安調査庁が担当することになった。

 オウム真理教は、平成初期に起こした一連のオウム真理教事件の後宗教法人オウム真理教解散命令事件やオウム新法などによって弾圧され、後継団体のAlephとひかりの輪は徹底的に活動を制限された。

 宗教的迫害

 宗教的迫害(しゅうきょうてきはくがい)

 ある個人もしくは集団がもつ信仰を理由に、その個人や集団を差別いあいすることに始まり、社会権の制限などの軽微なものから、強制改宗・虐殺などを加えることである。迫害の対象となる信仰の内容は、諸宗教、無神論、その他の無宗教的有神論など多様で、多岐にわたっている。
 近代に至って世界の各国で信教の自由が保障されるに至り、宗教的迫害は許されないものであるという合意が出来上がっているが、現在でも発展途上国、社会主義国家、イスラム国家などでの宗教的迫害が問題になっている。
 近代と比較して穏健化したキリスト教諸国においても散発的に迫害が起きており、宗教的迫害の解決策は見えていない。
 厳密性の高い学術誌「政治に対する観点」に掲載された2020年の研究によると、宗教的マイノリティに対する認識が宗教的差別の引き金になるという。

 世界宗教に対する迫害

 キリスト教

 イエス・キリストは、伝道中に様々な迫害にあい、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活する。このような超自然的であるイエスの奇跡は、キリスト教の根幹的な教義をなしている。また、キリスト教には複数の教派が存在し、一方の宗派が他方の宗派を異端と認定し迫害するという現象も起こっている。
 325年のキリスト教会公会議ニカイア公会議で三位一体説が正統と決定されたため、キリストに人格を認めるネストリウス派は431年のエフェソス公会議において異端認定された。
 そのため、ネストリウス派は海外への布教をすすめ、教えを継承したアッシリア東方教会とカルデアカトリック教会が、現在は中東・アフリカで活動をしている。
 キリスト教の盛んな布教は土着宗教との摩擦を産み、激しい迫害が起こった。ローマ帝国による弾圧、ベトナム王朝における弾圧、中国による弾圧、朝鮮半島における弾圧(丙寅教獄)、日本における隠れキリシタンへの弾圧などがあげられる。

 仏教

 開祖の釈迦は、弟子の提婆達多や瞿伽利尊者、善星比丘らから憎まれ、様々な迫害を受けた。とくに、提婆達多からは、毒殺される寸前となったこともあるとされる。
 仏教では、釈迦は、これらの迫害を乗り越えることによって悟りを確立することが出来たと説かれている。
 仏教は、インドから中国に伝来したが、中国では、度重なる大規模な弾圧(三武一宗の法難)が行われ、とくに、唐代の会昌の廃仏は大規模であった。
 中国ではほとんどの経典が失われたが、本格的な弾圧の前に、空海が阿闍梨から胎蔵界と金剛界の灌頂を受け、日本に帰国した際に多くの経典を持ち帰った。

 儒教

 秦の時代のB.C.213年、焚書坑儒により、中国三大宗教の一つである儒教への弾圧が行われた。国中から儒教の経典である『六経』(『詩経』、『書経』、『易経』、『春秋』、『礼記』、『楽経』)が集められて燃やされた。
 楽経は、このときに完全に消失し後世に内容が伝わっていない。
 これは、中国史における最初の儒教大弾圧である。

     〔ウィキペディアより引用〕


 

教会の鐘&お寺の鐘 プロローグ

2023-06-17 21:00:00 | 編集後記/追記

 宗教の考えは、日常、稀に触れる事があります。普段、考えてもない宗教でも、例えば縁起あるいは、慣用句だったり。
 私達は何かしらに問い質したり、願ったりしているんじゃないかと思われます。
 じゃ、宗教は、どうあるべきなのか?どう関与すべきなのか?
 それは、人それぞれ考えるべき事だと思います。
 オウム真理教一連の事件が発生して以来、宗教は否定的になった人もいるだろうし、宗教に対して警戒感を強くする人も少なくないと思います。
 全うに宗教に向き合っている人達には、否定的な言葉は出来ないかと思います。
 さて、そこで千分の一でも、この文章を読んで心の片隅に置いてやって頂ければと。

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 宗教は歴史、社会、文化、現代を理解するために必要な教養・・・。
 宗教の世界は、歴史の蓄積によるたくさんの言葉、概念、人名などの固有名、特殊な用語にあふれています。
 しかし、本質的にはかならずしも必要とはいえない情報も多いものです。
 さまざまな宗教を比較して考え、本質に切り込んだ宗教論を解説した『教養として学んでおきたい5大宗教』から一部を抜粋して勉強し、生活の向上・糧に役立てて欲しいと思います。

  宗教は矛盾に満ちたもの「宗教がわかってない人はこの4原則を知らない」
 宗教とは霊や神などをめぐる想像世界です。
 霊や神や理法のようなものが宇宙に潜在している。
 人間はその力を頼り、その意志に従い、その教えを守り、その極意を悟ろうとする。
 それらは歴史的に構築されてきた共同主観的な観念世界ですから、地域の差、文化の差、系譜の差によって、多種多様な内容になっています。
 大宗教ともなれば、いずれもおおむね愛や慈悲を説き、平和を勧めるものになっていますが、ディテールはすべて異なっており、世界観も忠誠の対象も違うので、宗教間の軋轢も生まれます。
 愛や平和を説く宗教が戦いを正当化することもあります。 宗教は矛盾に満ちたものです。
 人間の論理はしばしば矛盾に突き当たります。それが天界に投影されたものである神の論理が矛盾だらけであるのはある意味仕方がないのかもしれません。
 宗教は多様とはいえ、皆似たような役割を果たしています。
 主な機能は次の3つです。

 ① 奇跡を起こす

 世界中の宗教が、病気治しをうたい、招福除災をうたっております。イエスは病人を癒やし、死者まで復活させたと伝えられています。
 密教の行者は加持祈祷を行い、護摩(浄化の火)をたいて悪霊を退散させます。 これらはもちろん非科学的な話です。非科学的な信念に基づく実践を呪術(マジック、魔術、魔法)と言います。
 宗教の機能の大部分は呪術です。死者にお供物を捧げるのも呪術であり、天に向かって祈るのも、しばしば呪術的な意識で行われるものです(祈りによって福を天から呼び寄せるという呪術)。

 こうした呪術には心理的な働きがあり、病気などの場合、それが絶大な効果を上げる場合があります(心理状態がある程度身体状態にフィードバックされる)。
 それにそもそも、ビジネスの企画から政府の政策まで、事がつねに未来の予測(占い?)に関わる以上、完全には科学的といえない希望的な要素はつねに存在します。それと同様のことを宗教が象徴的に行っているとも言えます。
 あらゆる個人が「希望」を原理として生きている以上、どんなに絶望的な状況の者にも「希望」を抱く権利があるでしょう。それが奇跡待望という形をとることがあるのです。

 ② 秩序をもたらす

 人々が同じ神話を共有することで、仲間意識を高め、スムーズな協力関係に入り、相互に善行を施しあうユートピアを部分的に現出することができます。これは人々に人生の目的と誇りを与え、アイデンティティーーの感覚を与えます。
 互助のシステムの創出は、奇跡と並ぶ宗教の重要な機能です。

 人間は神話を共有して「仲間」をつくる

 人間は神話を共有して「仲間」をつくる 人間が動物と異なる最大のポイントは、何であれ神話を共有することで「仲間」をつくることができる点であるとも言われます。
 歴史的には大宗教の神話が何千万、何億という人々に同一のアイデンティティーを与え、社会の秩序と潜在的な協力体制を維持してきました。
 そうした秩序を与えるために、宗教はしばしば戒律あるいは神の法で人々を拘束します。戒律は古代に生まれたものなので、必ずしも合理的ではありません(意味不明のタブー、階級差別、性差別、性指向差別などが残存している)。
 しかし神の権威で守られていますから変更はままなりません。
 ここに多大な問題があります。 また、同じ宗教の仲間だという意識は、外部に対しては排他的な意識を高めます。
 これはナショナリストの国民意識が外国人排斥を呼び起こすのと似ています。

 ③ 説明を与える

 宗教は「人間とは何か?」「世界はどのように始まったのか?」「なぜ善と悪があるか?」「死んだらどうなるのか?」といった、高度に哲学的な問いに答えようともします。
 いわゆる神学です。

 これは哲学や科学の原型のようなものですが、あくまで民衆を感覚的に納得させるものですから、発達した哲学や科学から見たらツッコミどころ満載の不確かな説明が多いことも否定できません。
 しかし、芸術的には印象深い説明になっています。
 例えば創世記にある6日間の天地創造の物語は、ビッグバン宇宙論から見ればナンセンスですが、1つの心理的ドラマとして堂々たる印象を与えます。
 神学の究極的説明は、あくまで個人個人の気持ちを納得させるためのものです。ですから究極的と言いつつ、状況に応じて論点をズラしていく。
 言い訳を重ねる、のが常です。
 例えば神に祈れば病気が治ると言います。
 しかし治らない。
 そこで「病気は神の試練です」とロジックを変えます。
 また、悟れば人生の問題は解決すると言います。しかしいくら坐禅しても人生の問題は晴れない。
 そこで「真の悟りはブッダのみにある」とロジックを変えます。
 言い訳というと聞こえが悪いのですが、こうした知的操作を重ねることで、信者は人生の奥深さに目覚めていくことができます。
 人生には裏があり、裏にはまた裏がある……この経験的事実を、神学もまた教えてくれるのです。
 しかしまた、こうしたロジックになじむことによって、信者はどんどん思考の深みに引っ張り込まれ、人生の解決というよりも自問自答に一生を費やすことになります。
 このような探求に興味を抱くのは、一部の信者、リクツの好きな信者に限られるでしょうが、そうしたエリート信者が聖職者や神学者になることで、宗教は次世代に伝えられます。

 現代における宗教の可能性と限界

 宗教のこうした仕組みは、近代になって多大な挑戦を受けました。
 科学が発展することで、呪術や奇跡が幻想であることが明らかになり、近代的法制度や種々の機関をもつ国家が発展することで、宗教的戒律や教団的アイデンティティーは社会全体の運営原理ではなくなりました。
 神学の説明もまた説得力をどんどん失っています。

 今日、先進国においては、宗教は社会の主流を動かす力にはなっていません。 それでもそれはおおむね次のような形で、今日でも機能を果たし続けています。

 (1)文化の基礎として

  社会が科学の成果を大々的に取り入れるようになってまだ数世紀もたっていません。宗教は思想、語彙、習慣の形で文化の基層を成しています。

 日本人は仏教の教理を復古的な宗教はもはや絵に描いたモチ

(2)かっての宗教的機能の部分的供給
として

 かつての宗教的機能の部分的供給として 重病や絶対の貧困など苦境にあえぐ人々は、精神的な最後の砦として奇跡に頼る権利があるでしょう。
 また国家や企業経済がまともに機能していないところでは宗教の互助的な働きは今日でもありがたいと言えます。死んだらどうなるのか、人生の究極的意味は何かなど、合理的には答えを出すことのできない問いに関して、宗教の説明を受け入れる人がつねに存在し続けるでしょう。
 伝統的宗教は、人間の生産性の低かった古代・中世に生まれ、その社会に適応したものですから、基本的に自制や犠牲の徳を説き、物質的な追求よりも心の平安を目指すことを提唱しています。そうした教えそのものは、今後も有効だと思われます。
 とくに、地球の大改造を続けてきた近代社会が地球温暖化という大変な難題を抱え込む結果になった21世紀の今日、「欲望が本質的な解決をもたらさない」という宗教の本質的洞察は意味をもってくるはずです。
 また、東洋宗教の瞑想技術などは、厳しい現実の冷静な観察には有効でしょう。

 もちろん、宗教が今後とも有効であろうというのは、あくまでも部分的な話です。古代・中世の人々のような、宗教こそが―病気治しや雨乞いから日々の生活指針、社会秩序や王権などの正当化、自然や社会に関する学問的説明までの全体に及ぶ―包括的な真理であるという思考法は、この数百年の間に実質的にほとんど力を失いました。
 過去の幻想にとらわれている過激な復古主義者(イスラム教やキリスト教などの宗教原理主義者)といえども、その幻想を復興するために、近代兵器を用い、ネットなど現代的情報テクノロジーで無知な若者の勧誘に狂奔しています。それによってさらに伝統宗教の供給してきた分別、知恵、精神的鍛練は損なわれつつあります。
 復古的な宗教はもはや絵に描いたモチでしかありえないでしょう。

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 上記の文章は、ある“本の広告プレゼン”です。

 

 

今日此頃 令和5年6月 中旬

2023-06-16 21:00:00 | 日記

 私には最近“言いたいけど、聞けない”素朴な疑問が二つあって、ひとつはスーパー、コンビニ等で弁当を購入すると、箸が一本付いてくるのだが、スーパーの場合、レジのおねえさんが「箸、要りますか?」と聞くので、「要らない」と返答すると、「ありがとうございます」と宣う。

 レジ袋が有料化なのに、箸は無償化?私は思う「弁当の値段、箸込み込みの値段たろ?」

 箸が要らないのなら、値引きなり、レジ袋を無料にならないのかな?
 3円でも、5円でも安くなると助かります。

 なので、提案したい。

 「箸、要らないから値引きして!」と、言いたいけれど聞けない。
 毎回、箸を貰っている客は、未使用箸にならないのかな?って言うか、家に箸ないの?それとも箸を洗うのが面倒なだけ?と疑ってしまう。

 もう一つはコンビニやタバコ屋で、1カートンか2カートン購入すると、サービスで、100円ライター1つが貰える。
 が、コンビニで1カートン注文すると、無い場合がある。コンビニなのに、在庫がないのか意図的なのか、中々の頻度で在庫薄なのです。
 タバコの在庫に関して、意見を言うと「じゃ、タバコ屋で買って下さい!」と宣う。
 「商売する気あるのか?」と思うくらい強気に出たので、腹が立ってしまいました。
 普通、このコンビニで買うのをやめるのだが、癪に障って何故か、意地でもこの店で、買ってやると思った理由です。私は、モンスターでしょうか?
 こちらとしても、100円ライダーを当てにしていて、どうしても必要な時があります。
 私は考えました。
 レシート(領収書)で買っていた事が証明できるので、数枚のレシート(1カートン分)を差し出せば、レシートと引き換えに100円ライダーが貰えるのではないでしょうか?
 そういうのは、屁理屈?
 これも、言いたいけれど、聞けない。
  私の素朴な疑問でした。

 さて、この領収書について、あれこれ調べました。

 領収書(りょうしゅうしょ)(英: receipt/領収証とも書かれる)

代金の受取人が支払者に対して、何らかの対価として金銭を受け取ったことを証明するために発行する書類。証憑書類の一種である。 英語ではレシート(receipt)というが、日本では特定の様式で書かれた物を「領収書」、店名や購入品の目録や収受の記録が書かれたものを「レシート」と区別して呼ぶ場合がある(どちらも手書きやキャッシュレジスター(レジ)などで機械印字ができる。)。
 また、手書きや印刷をせず、データのみをスマートフォンなどに送信する「電子レシート」も導入されている。

 領収書とは、お金を受け取ったことを証する書類である。
 通常、支払人を相手先として記す。
 領収書という文言が入った書面のみを指すのではなく、領収証、受取書、引落明細書、領収、受領等の文言の入った書面でも金銭授受の証拠となりうる。
 受取事実を証明するために請求書や納品書などに「代済」や「了」などと記入したものも同様である。
 なお、これらの文言の入ったインターネット上の取引画面や電子メールのプリントアウトしたものも同様であったものが、改正電子帳簿保存法により2022年1月(2024年1月に延期)以後は税法上エビデンスとして認められなくなる(電子帳簿保存法7)。 前述の如く、英語ではレシート(receipt)となるが、日本語でレシートといえばキャッシュレジスター(レジ)などで機械印字されたものを指し、手書きの領収書とは使い分けることがある。
 しかし、レシートも領収書の一種であり、日常生活ではレジで印字されたレシートが領収書として代用されていることもある。
 会社経費の処理などではレジで印字されたレシートでは認められない場合があるが、それは領収書に最低限記載すべきとされている事項(金額、日付、発行者または受領権者の記名(押印)、宛名)が具備されていない場合である。
 領収書として最低限の記載事項が具備されていれば、レジで印字されたレシートでも領収書として認められる。
 そのため領収書の二重発行とならないよう、レシートに『領収書』等と印字したり、『領収書として使える』ということを周知させたりしており、また近年では、操作により宛名・但し書きの記入欄がある領収書スタイルのレシートを発行するレジスターが広く普及している。
 郵便局ATMも長年使用する機械(旧型)から出力される感熱紙で印刷されたレシートは、時間がたつと読めなくなることがあり、たとえば5年の保管義務(個人においても医療費の領収書は5年保管義務がある)等の長期保存には現在は技術的問題がある。

 領収書を別途発行した場合のレシート無効処理としては、店員の不正防止策として、領収書の控えへレシートを貼り付ける、領収書を発行したレシートを取りまとめレポートとして報告する(レジには発行したレシートの処理通番や発行枚数が記録され、レジ日報として出力可能なものがあり、これとの照合により不正を行っていないことを証明する)必要がある。
 また、レシート自体が、領収書スタイルのものとレシートの明細部分を合体させた様式のものとして、別途領収書は手書きを含めて一切発行できないとする日本の家電量販店がある。さらに、領収書に取り扱いが管理された指定印の押印がないものは無効、と明記することで不正対策とするケースもある。

 納品書として印字するレシート、伝票類に「現金でのお取引の場合は、領収書に代えさせていただきます」と明記されているものもある。日本のガソリンスタンドで発行されるレシート(伝票)に多い。

 法律的に領収書の要件を満たしても、日本では、法人団体等の不正経理防止対策の一環として、団体の内部規則で法律より厳しい要件条件が定義されている場合もある。
 法律上、証拠証券であり有価証券ではない。
 従って刑法上その偽造又は変造は重い有価証券偽造等ではなく軽い私文書偽造等にあたる。
 民事訴訟法上報告証書にあたり、形式的証拠力をもち名義人の署名又は押印があって二段の推定により成立の真正が推定されても、実質的証拠力は高くないので、金銭の授受の事実は推定を受けない。

 形式

 領収書に最低限記載すべき事項として、金額、日付、発行者または受領権者の記名(押印)、宛名がある。
 手書きの場合、改竄(書き換え)を防止するために、漢数字でも特に大字(壹(1)、貳(2)、參(3)…)が用いられることが多い。
 高額な領収書ではチェックライターという専用の機械を使用することもある。
 法令上領収書への押印は、収入印紙の消印を除き必須項目に含まれておらず義務ではない。
 偽造防止のためや商慣習上押されているに過ぎないが、取引上印鑑無しの領収証は失礼と思われることがある。

 交付義務

 全ての取引について発行が強制されている訳ではないが、日本の民法第486条は「弁済をした者は、弁済を受領した者に対して受取証書の交付を請求することができる」。と規定し、また、債権者が受取証書を発行しないときは、債務者は同時履行の抗弁権を行使して弁済を拒むことができるものと解されている。
 しかし、民法第486条の受取証書の交付義務(請求)というルールは任意規定であり、特約が優先されるので、当初の取引(契約)の時点で、当事者間で「領収証の発行義務はない」と決めておけば発行義務なし、ということになる。
 弁済を受領した者は、ひとたび受取証書を発行すれば再度の発行義務を免れるが、任意で再発行することは妨げられない。
 ただし、再発行する場合は、その旨を明記した領収書(受取証書)を発行すべきである。
 債務不履行(弁済しなかったか、しても期日に間に合わせなかったか)として債権者に訴えられた場合に債務者が「期日通り弁済して債務は消滅した」と抗弁するとき、債務者は弁済の事実を主張、証明しなければならない。
 このとき債務者は債権者に発行された領収書を証拠として申し出ればよい。
 領収書の発行を受けたが領収書に弁済の日にちが書かれていなかった場合、証拠として申し出ても債権者から「期日に遅れて弁済したのだ」と主張されてしまう可能性がある。
 もしこれが債権者による証明妨害と裁判所に判断されると、債務者が期日通りの弁済を証明できなかったといって、ただちには裁判所が期日通りの弁済を認定しないわけではない(期日通りの弁済がなかったことを債権者が証明しなければならないとした下級審判決がある)。

 また、一部の量販店のように各階、あるいは売り場ごとの精算になっている場合、とりあえずレシートを受け取り、複数のレシートを最終的に1枚の領収書にまとめる場合もある。
 保証人が債務を弁済したとき、保証人は債権者に領収書を交付してもらう。
 このままでは主たる債務者にとって弁済があったことを知らないまま(主たる債務者は領収書をもらっていない)なので、保証人は主たる債務者にそのことを通知する義務を負う。
 通知した保証人は主たる債務者に求償することができるが、訴訟になったときはその領収書を証拠として提出すればよい。

 支払い手段による違い

 銀行振込等による支払いの場合

 銀行振込などの場合、直接の金銭支払先は送金手続きをした金融機関となり、その金融機関により明細が発行されるため、それが領収書の代わりとなるという解釈があるが、正確ではない。
 「振込明細書」は「何の代金なのか」「代金の一部なのか」などの情報が載っていないため、原則としては、銀行振込の場合でも領収証発行義務は消滅しない。

 クレジットカード支払による場合

 クレジットカードによって決済した場合は、支払人(カード利用者)はクレジットカード会社に対して金銭を支払うのでクレジットカード会社発行の利用明細書が領収書相当となる。
 従って物品やサービス提供者(販売元)は領収書を発行する立場にはなく控え(取引明細)を発行するのみとなる。  
 公共交通機関の場合 編集 鉄道運賃の場合、鉄道駅や旅行会社窓口・専用の指定席券売機で発売される長距離乗車券類を除き、近距離用の金額選択式自動券売機では領収書を発行できる券売機は古い機械では少ない。

 乗車カード(プリペイドカード)の購入の場合

 領収書を発行できる券売機が多い。
 領収書が必要となった際、購入したきっぷを持って窓口で領収書を作るよう請求すると作ってくれる。
 ただし無人駅や名古屋鉄道などの駅集中管理システム対応の駅等の場合、駅員がいないために発行が出来ない。
 そのために領収書が必要な場合は「下車駅で発行(有人駅の場合)」「接続駅等で発行(有人駅の場合)」「郵送」等で対処している。
 いずれにしても、タッチパネル式の券売機では領収書が発行できるものが多いが、購入する乗車券類の条件、また鉄道事業者等ごとの設定によって発行の可否が制御されている場合もある。
 日本国外の鉄道を利用した場合、信用乗車制などにより、チケットが手元に残るケースでは、日本の法律の要件を満たせば、領収書の代わりとして利用できると考えられる。

 路線バスや路面電車も、その乗降システム上、車内で領収書の発行に応じることは難しい。
 窓口等でプリペイドカードを購入した場合、領収書を発行してもらえる場合がある。
 高速路線バスは、バス会社や旅行会社窓口で購入して領収書を請求すれば、発行に応じる場合がほとんどである。
 コンビニエンスストアで高速バスチケットを購入した場合、コンビニエンスストアが、収納代行企業または旅行会社の代理として、収納代行企業または旅行会社名義の領収書を発行する。
 インターネット上のクレジットカード払いの場合、後日クレジットカード会社が発行するカード利用明細書兼請求書が領収書として認められる事が多い。
 なお、日本国外の事例は鉄道とほぼ同じである。

 航空機の場合

 空港などの航空会社のカウンターで航空券を購入すれば、領収書の発行は容易に求められる。
 チケットレスサービス(→電子航空券)でコンビニエンスストアで支払った場合は、前述の高速バスの事例同様、航空会社名義またはコンビニエンスストア自身(収納代行機関として)の名義で領収書が自動発行されるのがほとんどである。
 日本では、インターネットでクレジットカード決済した場合も、航空会社カウンターに申し出るか、自動チェックイン機で発行が可能な場合がある。
 また、インターネットのウェブサイトを使って表示・印字が可能な場合がある。
 日本のタクシーではほとんどの場合

 領収書(プリンターから打ち出されるレシート形式)が渡される。
 それ以外の場合も、手書き領収書を備え、発行に応じる。

 税法上の扱い

 日本における経理処理では、公共交通機関の運賃や慶弔費などの例外を除き、受取証書で証明ができないと、税法上経費として認められないと誤解されることが多いが、一部の例外(一定額以上の消費税の仕入控除など)を除いて必要経費の形式的証明義務は一切課されていない。
 課税当局が経費計上を否認するには経費の証明がないことだけでは足らず、計上された経費が架空であることを課税当局自身が証明する必要がある(白色申告の場合を除く)。
 また、年月日、相手先、内容、対価の明記が必要であるとの誤解があり、消費税法特有の規定であるが、税法一般では「上様」や「品代」の記載でも認められる。

 印紙税

 編集 金額が5万円以上(2014年(平成26年)3月31日以前は3万円以上)の領収書には原則として収入印紙を貼り、消印をすることで印紙税を納税しなければならない。
 なお、あらかじめ税務署に届けていれば、「印紙税申告納付につき○○税務署承認済」と領収書に表示(あらかじめフォーマットへの機械印字するケースや印紙貼付欄にスタンプを押捺するケースなどがある)し、印紙額相当分を税務署に納めれば、貼付しなくともよい。
 印紙を貼る義務は、領収書の発行側にある。収入印紙を貼らなかった場合あるいは不足していた場合は、不足した分の3倍若しくは1.1倍の金額の過怠税、貼付されてあっても適切に消印されなかった場合は同額の過怠税が課せられる。
 なお、印紙が貼付されていない領収書であっても、領収書としての有効性には変わりはない。
 また、クレジットカード会社発行の利用明細書は、課税当局が領収書と認めていないため印紙を貼る必要がない。

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領収金額         収入印紙学
5万円未満         非課税
5万円以上100万円以下   200円
100万円超200万円以下  400円
200万円超300万円以下   600円
300万円超500万円以下   1,000円
500万円超1,000万円以下   2,000円
1,000万円超2,000万円以下 4,000円 2,000万円超3,000万円以下 6,000円 3,000万円超5,000万円以下 10,000円 5,000万円超1億円以下  20,000円
1億円超2億円以下     40,000円
2億円超3億円以下     60,000円
3億円超5億円以下    100,000円
5億円超10億円以下    150,000円
10億円を超える場合    200,000円

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 消費税

 2023年10月以後、インボイス方式に該当しない領収書は経費として認められるが、段階的に消費税の課税仕入れとして認められなくなる(外に、インボイス方式の請求書等の保存がない場合に限る)。

 電子帳簿保存法

 2024年1月以後、電子取引における領収書(ホームページ上の画面印刷や電子メールのプリントアウトなど)は税法上は領収書として認められず、電子取引の取引情報に係る電磁的記録は電子取引データのまま保存しなければならない。

     〔ウィキペディアより引用〕
 
 インボイス制度

 2023年10月1日から開始されるインボイス制度〔適格請求書等保存方式〕は、消費税の仕入税額控除の新しい方式です。
 導入の背景には、2019年に消費税率が10%に引き上げられた際に食料品などに対しては8%の軽減税率が適応されたことで、商品や取引の消費税額を正確に把握するのが難しくなったことが挙げられます。

 概要
 
 適格請求書(インボイス)とは、 売手が買手に対して、正確な適用税率や消費税額等を伝えるものです。
 具体的には、現行の「区分記載請求書」に「登録番号」、「適用税率」及び「消費税額等」の記載が追加された書類やデータをいいます。
 インボイス制度とは、 <売手側> 売手である登録事業者は、買手である取引相手(課税事業者)から求められたときは、インボイスを交付しなければなりません(また、交付したインボイスの写しを保存しておく必要があります)。
 <買手側> 買手は仕入税額控除の適用を受けるために、原則として、取引相手(売手)である登録事業者から交付を受けたインボイスの保存等が必要となります。
 買手は、自らが作成した仕入明細書等のうち、一定の事項(インボイスに記載が必要な事項)が記載され取引相手の確認を受けたものを保存することで、仕入税額控除の適用を受けることもできます。

         〔国税庁より抜粋〕