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言の葉辞典 『倫』

2023-10-20 21:00:00 | 言の葉/慣用句

 ■倫

 《読み方》

 音読み りん
 訓読み たぐい、ついで、みち。

 《意味・由来》

 1 人の守るべき筋道、道理。

 2 同列に並ぶ仲間。

 侖(りん)は「あつめるしるし+冊」の会意文字で、タンザクの竹札を集めてきちんと整理するありさまを示す(同類のものが順序よく並ぶの意も含む)。
 倫は「人+音符侖」で、きちんと並んだ人間の間がらの意。侖

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 関連項目  ー 倫理(道徳) ー

 倫理とは

 1 人として守り行うべき道。
 善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。

 ▼道徳(どうとく)
 (英: morality)

 中国の古典を由来とする観念であり、「道」と「徳」という2つの考えからなる。
 道とは、人が従うべきルールのことであり、徳とは、そのルールを守ることができる状態をいう。
 道徳的規範(どうとくてききはん)や道徳性(どうとくせい)ともいう。
 あるいは類義語の倫理(りんり、英: ethics、エシクスまたはエシックス)は、いくつかの意味をもち、道徳を表すことが多い。

 《概要》

 道徳は、次のような意味をもつ。


 ★道徳
  正邪・善悪の規範。個人の価値観に依存するが、多くの場合は個々人の道徳観に共通性や一致が見られる。 
 社会性とも関わる。

 ★道徳観
  道徳に対する観方、捉え方。
 正邪・善悪の価値観。
 個々人の価値観に依存する。

 ★道徳的規範
  道徳観に基づく規範。
 嘘(うそ)をつくことは悪いことだというように多くの人々から是認されている規範もあれば、動物を殺して食べるべきではないというような少数の人々が従う規範もある。

 ★道徳的社会規範(社会道徳)
  社会や共同体において、その構成員の大多数によって共有される道徳観に基づき、より健全で快適な共同生活を送る為に守るべき、又は行うべきと考えられている規範、行動の指針のこと。

 ★道徳性
  正邪・善悪を区別し、道徳的規範に従う心、能力、判断のこと。道徳心。

 道徳的規範は、成文化された規則である法律と一致しない場合もある。

 道徳的規範は非常に幅が広く、文化の多様性と同じだけの驚くべき多様性がある。
 様々な種類の規範は、マナー、エチケット、タブーとも関連する。
 儀礼や式典として、形式化されていることもある。
 それでも、様々な社会の間に共通した特性を発見することができる。
 例えば、互恵関係、忠誠、権威の尊重、身体的な危害の制限、性的関係や食べ物の規制などである。
 この類似性が何に起因するのかは、議論の的であった。
 道徳的見地から見た言動や身持ちのことを、「品行」「操行」「素行」「日頃の行い」「平素の行い」などの語句を用いる。
 「方正」とはきちんとしていて正しいことで、「品行方正」とは行いが正しく立派で、模範的であるさまを意味する。

 《道徳判断》

 人は何が良い行い(道徳的)で、何が悪い行い(非道徳的)なのかを判断することができる。
 道徳心理学者と道徳哲学者の議論の中心の一つは、何が道徳判断を導いているのかであった。
 ジャン・ピアジェやローレンス・コールバーグは、道徳判断は理性の産物であり、子供は経験と学習によって理性的判断を発達させると考えた。
 一方ジェローム・ケーガンのような認識直観主義の心理学者は、道徳判断が自動的に、瞬時に行われ、理性よりも直観と感情に密着していると仮定した。
 直観主義者は、花を見て「赤い」と感じるのと同じように道徳判断を“感じる”のだと主張した。

 直観的判断のモデルは、大まかに次のように分類することができる。

 ・できごとを認識すると、感情が道徳判断を行うエージェントを呼び起こす。
 デイヴィッド・ヒュームが唱え、近年では神経学者アントニオ・ダマシオや心理学者ジョナサン・ハイトが支持した。

 ・できごとを認識すると、感情と理性が平行して道徳の推論と判断を行う。
 ヒュームとカントの折衷モデルといえ、神経哲学者ジョシュア・グリーンによって支持された。

 ・できごとを認識をすると、意識的な解釈が行われ、その解釈が道徳についての直観を呼び起こし、感情と理性的推論を生成する。
 政治学者ジョン・ロールズが唱え、マーク・ハウザーが支持している。

 道徳判断は、社会的認識、特に心の理論を利用しているようである。
 いくつかの感情、例えば同情、罪の意識、怒りは、道徳判断の中心をなすが、他の感情も道徳判断に関連している。
 しかし、明確に道徳判断に関連する脳の部位はないようである。
 道徳判断は、記憶が脳の様々な部位を利用するように、感情や認識などの細かな領域を利用しているようである。

 人間の道徳判断は、常に一貫しているわけではない。
 後述のトロッコ問題では、わずかな状況設定の変化によって、人は功利主義的な判断と非功利主義的な判断の間で揺らぐ。
 友人から金を盗む行為は非道徳的だと感じるが、先日その友人から金を盗まれていたのだと聞けば非難は弱まるか消え去る。
 見知らぬ人への危害よりも、自分自身や知人への危害のほうが強い憤りを呼び起こす。
 殺人を極めて非道徳的だと考えながら、同時に死刑制度を強く支持する人も少なくない。
 復讐は道徳的な大義名分を要求する。逆に言えば、大義名分は報復の正当性を人々に納得させる。
 戦争や部族抗争の研究によれば、加害者は必ずと言ってよいほど、相手が不当だという憤りを標的に対してもっている。
 フィリップ・ジンバルドーは、監獄実験で、与えられた仮想的な役割に従って、看守役の一般人が囚人役の一般人を虐待することを示した。
 スタンレー・ミルグラムは、服従実験で、一般人の道徳心が権威に屈することを示した。
 ミルグラムによれば、単に権威によって指示されるだけでなく、相手の顔が見えない、過失が相手側にあるというような付加的条件の下では、より道徳心が働きにくいようである。
 また、死を意識させるような文章を読ませられるだけで、その後の道徳判断に影響が出る。
 見知らぬ人への敵意をかき立てられ、道徳違反者へはより厳しい罰を求めるようになる。
 これは恐怖管理理論と呼ばれている。

 ▼道徳と罰

 「道徳を守ることは正しいことである」と広く考えられており、「なぜ殺人はいけないのか」「なぜ人を不幸に陥れてはいけないのか」というように道徳に対して疑問を示すこと自体が非道徳的であると嫌悪されることもある。
 我々は、直接自分に関係がない場合であっても他人の行動を気に掛け、道徳と規範に従っているかに注視する。
 道徳に反する行為は、通常、本人に罪悪感を、それを目撃した第三者には嫌悪感や怒り、報復など強い感情的反応を引き起こす。
 また慣習的規範よりも、通文化的な道徳的規範のほうが憤りは激しい。
 さらに、違反者に対して寛容な態度を取る者へも同様の憤りを引き起こす。
 人は非道徳的な行為の犠牲者になったり、それを目撃した場合に、一般的にその行為者を処罰したいという強い願望をもつ。マナーやエチケット、慣習的規範への違反は軽率で粗野だとみなされるだけであるが、道徳的規範への違反は、処罰の欲求を呼び起こす。
 政治学者フィリップ・テトロックによれば、規範への違反を目撃し、違反者が罰を逃れていると考えるとき、人は違反者への加害を抑制する道徳心の閾値を切り下げるようである。
 そして厳しい処罰を要求し、違反とは関連のないことにまで判断が影響する。例えば、違反者の曖昧な態度をより敵対的とみなすようになり、不可抗力の要因の役割を割り引いてみるようになる。

 マーク・ハウザーとファレイ・カシュマンはトロッコ問題などを利用し、どのような原理が道徳判断(特に危害に関する)に影響を与えるのかを調査した。
 彼らによれば、

 ・行動の原理:行動による害(例えば誰かが死ぬようなできごと)は行動しなかったことによる危害よりも、非道徳的だと判断される。

 ・意図の原理:意図をもってとった行動は、意図をもたずにとった行動よりも非道徳的だと判断される。

 ・接触の原理:肉体的な接触を伴う危害は、肉体的な接触のない危害よりも非道徳的だと判断される。

 心理学者ジョン・ダーレーによれば、大学生の被験者は刑罰の抑止力を考慮するよりもその犯罪にふさわしいと思われる刑罰を望んだ。
 刑罰の抑止力を考慮するよう注意された後でも、やはり「因果応報」である処罰を望んだ。
 「罰が課されない限り、社会と被害者は正義が執行されなかったという感覚をもち続ける」。
 彼は『なぜ罰するのか?:罰の動機としての抑止力と因果応報』と題された論文で、処罰の欲求は犯罪抑止力に関する要因(例えば犯罪の露見可能性や社会的影響)とは関連が薄く、人々はより単純に罪の重大さをランク付けし、もっとも深刻な犯罪にはその社会でもっとも重い罰(例えば追放、終身刑、死刑、拷問を伴う死刑)を与えなければならないと考えるのだと結論した。

 関連項目   ー 不倫 ー

 《不倫の定義》

 法律的には、一体どこからが不倫だと判断されるのか。

 キスや手つなぎなど、人によって、浮気だと思ってしまったり、傷ついてしまったりするラインは異なると思いますが、法律的に不倫だと判断されるラインは明確に定められています。

 不倫=肉体関係がある。

 法的に不倫だと判断できるのは、配偶者がいるのにもかかわらず、他の異性と肉体関係を持つことです。

 夫婦には、婚姻生活を平和に送るという権利ないし利益があるところ、不貞はこの権利ないし利益を侵害する行為であるため、違法であるということになります。

 ▼不倫と浮気の相違

 不倫とよく間違えられるのが浮気です。
 浮気とは、配偶者や恋人がいるのにもかかわらず、別の異性に目をむけることをいいます。
 単に他の異性に恋愛感情を持ったり、心が揺れ動いたりする状態を指し、肉体関係の有無は問いません。

 一方で、不倫は配偶者以外の相手と肉体関係を持つことをいいます。
 つまり、浮気の方が広範囲を意味し、不倫の方が狭い範囲を指す言葉になります。

 例えば、ふざけてキスをしただけであれば、不倫そのものではありません。
 肉体関係は伴わないからです。

 しかし、肉体関係が想定されるようなデートであれば、不倫だと判断されてしまう場合もあります。
 例えば、日帰りで混浴銭湯に行った場合やドライブデートで車中泊した場合などでとか、本当に会っただけだったが、相手宅に宿泊した場合は、肉体関係があったかもしれないと考えられます。
 本当に肉体関係がなかったとしても、不倫があったと考えられて然るべきとして、その責任を問われる場合があります。

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 『Blowin' in the Wind』
       (邦題 : 風に吹かれて)
        作詞 Bob Dylan

 How many roads must a man walk down Before you can call him a man?

 Yes, and how many seas must a white dove sail, Before she sleeps in the sand?

 Yes, and how many times must the cannonballs fly,

 Before they’re forever banned?

 The answer, my friend, is blowin’ in the wind The answer is blowin’ in the wind

 Yes, how many years can a mountain exist, Before it’s washed to the sea?

 Yes, and how many years can some people exist, Before they’re allowed to be free?

 Yes, and how many times can a man turn his head,

 And pretend that he just doesn’t see?

 The answer, my friend, is blowin’ in the wind The answer is blowin’ in the wind

 Yes, and how many times must a man look up, Before he can see the sky?

 Yes, and how many ears must one man have, Before he can hear people cry?

 Yes, and how many deaths will it take till he knows

 That too many people have died?

 The answer, my friend, is blowin’ in the wind The answer is blowin’ in the wind

 《和訳》

 どれだけ道を歩めば 一人前だと認められるのか?

 どれだけ海を越えれば 白鳩は砂浜で休むことができるのか?

 どれだけの砲弾が飛び交ったなら 武器は永遠に禁止されるのか?

 答えは、友よ、風の中だ 答えは風の中を舞っている

 山はどれだけ経てば 海に洗い流されてしまうのか?

 人々はどれだけ経てば 自由が許されるのか?

 人は何度顔を背け、 見て見ぬふりをしていられるのか?

 答えは、友よ、風の中だ 答えは風の中を舞っている

 そして、何度天を仰げば、 青空が見られるのだろうか?

 いくつの耳を持ったなら、 人々の悲しみが聴きとれるのだろうか?

 どれだけ多くの人が死んだなら、あまりに酷い犠牲を払った事に、気付くのだろうか?

 答えは、友よ、風の中だ 答えは風の中を舞っている