柿本人麻呂が選んだ舒明天皇の歌
舒明天皇は、天智天皇・天武天皇・間人(はしひと)皇后の父となっています。舒明天皇(田村皇子)は、聖徳太子の皇子・山背大兄王と皇位を争って大王になりました。もちろん、何事も無く皇位についたのではありません。
山背大兄王を支持した蘇我馬子の弟の境部臣摩理勢(さかいべのおみまりせ)は、山背王の弟・泊瀬王を頼り王の家に住みましたが、泊瀬王は突然の死をとげました。自殺か他殺か、突然死と書かれています。摩理勢は絶望し自家に引き籠りましたが、蘇我蝦夷の命令で父子ともに絞殺されました。舒明天皇も内部の粛清を経ての即位だったのです。
高市の岡本の宮に天の下知らしめす天皇の御代(息長足日広額天皇)「天皇、香具山に登りて国見したまふ時の御製歌」から分かるのは、舒明天皇が国見した山は、香具山です。
ここが、舒明天皇の神山、聖なる山なのです。畝傍山でも耳成山でもありません。
香具山から見えるヤマトをほめたたえ「うまし国ぞ蜻蛉島ヤマトのくには」と大王位についたことを喜んだのです。
では、耳成山を神山としたのは誰でしょう。藤原宮の後ろに見える耳成山。
畝傍山を聖なる山としたのは誰でしょう。藤原宮の西に畝傍山。
そうそう、今日は万葉集巻一の2番歌の話でしたね。
人麻呂は、「舒明天皇の歌」を「雄略帝の1番歌」の次に持って来ました。それは、何故か? です。それは、3番歌でわかります。万葉集巻一の三番目の歌に「中皇命」が出て来るのです。
人麻呂は、中皇命をこそ引き出したかったのです。そのわけは、万葉集を読めばおのずからわかってきます。それは、持統天皇の意思でしたから。
では、また明日。
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