八月になりました、もう四日ですね。今年の一月以来、半年以上ブログを休んでいました。
そろそろ動き出したいのですが、コロナの第二波が広がっていて身動きが取れませんでした。そんな中、熊本の球磨川流域が水害に襲われて、二十代に一年間住んだ人吉市の九日町が壊滅状態になりました。重く落ち着かない日を送っていたら、最上川が氾濫して夫の遠い親族が住んでいる山形が被害を受けました。流れる映像を見て、茫然と過ごす夏となりました。
この夏を耐えて過ごして居られる皆様に、お見舞い申し上げます。
今年はコロナ禍のなか、万葉集を読む会主催の「令和二年・万葉集を読む」(五回)は開けませんでした。更に、月に一回の筑紫古代史の会での講座「万葉集と古代史」も休止のままです。取材旅行にも今年の二月以来行けていませんし、忙しかったはずはないのですが、ブログはお休みしていました。
今年は九月六日に、久留米大学の公開講座で「杵島山と筑波山・風土記と万葉集から見える常陸の国」という演題で私がつたないお話をすることになっているのです。前年度にお話が決まったのですが、常陸国(茨城県)を訪ねて発見したことや感動したことがたくさんあったのでそんなことをお話したいと思って、受けさせていただきました。
常陸国風土記は大変意味深で、物部氏の勢力が浸透していたと思われます。茨城は豊かで美しい土地です。
2019年の台風で下総・上総国(千葉県)や常陸国(茨城県)に大きな被害がでました。この一年、私は遠い筑紫から復興を願っていました。
香取神宮は千葉県香取市に在ります。ここの御祭神は、経津主神です。
鹿島神宮は茨城県鹿島市にあります。建甕槌神が祭られています。
双方の神が協力して、出雲の神に国譲りをせまったのでした。写真はいずれも以前に撮ったものです。
それから、鹿島市には藤原鎌足の生誕の地という伝承もあります。其の神社をたずねました。
奈良県にも「鎌足の産湯の井戸」というところがあって、小さな社があります。
茨城も奈良もどちらも伝承地なのですが、こんな伝承が生まれたのは何故なのか、考えるのも楽しいです。
では、またブログを始めましょう。令和二年、やっぱり万葉集を読もう。
次は、大伴家持が巻二十に収載した「常陸国の防人の歌」を紹介しましょうね。
万葉集関係の本を出すことになりましたので、少し忙しくて、ブログを書く時間が取れない日があるかもしれません。
よろしくお願いします。