吟詠ドアラ1940

徒然なるままにラーメンのスープを飲み干し
心に移りゆく由なしごとをそこはかとなく
書き綴ればまたラーメンが恋しくなる

Mein Tagebuch 100829

2010年08月30日 | 日記
NHKBSハイビジョンの「新漢詩紀行・望郷」(録画)を見た。

杜甫、李白、王維等の故郷を思う心を表した詩が紹介された。
この中で、遣唐留学生として唐に渡った阿倍仲麻呂と李白との
交流の話があった。日本人と李白が仲良くしていたことに興味
を覚えた。

哭晁卿衡  李白作  

日本晁卿辞帝都  日本の晁卿 帝都を辞し
征帆一片遶蓬壺  征帆一片  蓬壺をめぐる 
明月不歸沈碧海  明月帰らず  碧海に沈み 
白雲愁色満蒼梧  白雲 愁色 蒼梧に満つ

日本の晁卿(阿倍仲麻呂)どのは、都長安を去られた
遠く旅立つ舟の帆の小さなひとひらが、仙人の島を巡って進む
清らかな月のようなあなたは、青い海に沈み、帰らぬ人となった
白い雲が悲しみを帯びて、南方に広がっている

この詩は、 
仲麻呂の乗船した日本に帰る船が暴風雨に遭って南方へ
流される。このとき李白は彼が落命したという誤報を伝え聞き、
七言絶句「哭晁卿衡」を詠んで仲麻呂を悼んだ。

実際には仲麻呂は死んでおらず、船は幸いにも唐の領内である
安南の驩州(現・ベトナム中部ヴィン)に漂着した。
 結局、仲麻呂一行は天平勝宝7年(755年)には長安に帰着
している。


阿倍 仲麻呂  あべのなかまろ
文武天皇2年(698年) - 宝亀元年(770年1月
奈良時代の遣唐留学生である。

科挙に合格し唐朝諸官を歴任して高官に登ったが、
日本への帰国を果たせなかった。
中国名は仲満のち晁衡(ちょうこう、または朝衡)。



小倉百人一首にある
  「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 
   三笠の山に 出でし月かも」

は寧波の港から日本に向けて旅立つとき、故郷への
思いを込めて、仲麻呂が詠んだ歌である。


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