猫のCOCOとヒゲじいさんのなっからさくい生活

なっからさくいは「めっちゃ気軽な」って感じ、ちっとんばいデブなシャム系猫といい歳こいたじいさんの自楽な生活記録です

髪型を5年前のがん治療開始前スタイルに戻してもらった日は、新聞記事を見て『男女平等』を考えていました…

2024-06-14 07:26:28 | なっからさくい生活

城東町の理容たけうちで2月ぶりで整髪してもらいました。いつもより倍の間を開けたのは髪型を変えたかったんです。食道がんの抗がん剤治療と手術のために短くしていた髪型を手術前の形に戻しました。5年経ったんです、5年ぶりの髪型です。

    
<強引に記念写真に駆り出されたのは構わないんだけどさ、ヒゲは笑って見せてるけど、いまいちな感じなんだいね。髪型が気に入らねえのかってえとそんなことはないだいね、前のスタイルに戻って嬉しんだけど、ほかのことが気になってるみたいなんだいね…>

     
<床屋へ出かける前に読んでいた上毛新聞のこの記事にイラついてたみたいなんだいね。世界各国の男女間の平等に関する調査で、日本は146か国中118位なんだって、この調査はダボス会議を主催している世界経済フォーラムがやっている信頼性の高いものなんだって。「118位か、恥ずかしいな…」ってヒゲはボヤいてた。詳しくはネットだと読売新聞の記事だいね>

     
<そのうえさ、jomottoにも「都道府県版ジェンダーギャップ指数」が載っててさ、群馬県は低位なんだいね、「困ったもんだ、恥を知れってんだ!」って、ヒゲはおかんむりだった。この二つの記事がさ、ヒゲの機嫌を著しく損なちまっていたんだいね…>

 

 理容たけうちの脇の路地の奥はヒトの暮らしが消えちまったみたい、寂しい風景になっていました。「手術前の髪型に戻してほしいんだ」ってお願いして、鏡見たら「5年前って、こんなだったんだ」って言ったら、マスターは「若返ったみたい…」だってさ。5年生きていたから、ちょっとだけ変化が欲しくて、髪型にそれを求めたんです。

     
ビワの実が熟れて落ち始めていました。ビワの実を食べていた雀が木の中から飛び出してきて、脇の電線にとまって鳴いていました。これはガビチョウでなく、スズメです。スズメだったんで嬉しくなりました。

 家に戻るとCOCOはクールマットの上で昼寝をしていました。むりやり抱き起して記念写真を撮りました。COCOがわが家んに来た時はもう短髪になってました。新しい髪形で一緒の写真を撮っておきたかったんです。

 

     
私が「男女平等」を強く意識し始めたのは、上野千鶴子さんの『女という快楽』(勁草書房、1986年)と、宮迫千鶴さんとの共著『多型倒錯 つるつる対談』(創元社、1985年)を読んでからでした。上野さんの家族論、とりわけ「近代家族の終焉」という視点に、自分が迷い続けていた家族観を見直す強い刺激を受けました。40年前、ユキ子さんと一緒に暮らし、子どもを二人育て、私の両親の生活支援が始まろうとしていたときでした。(注:『女という快楽』は出版社で売り切れ重版未定、岩波現代文庫『近代家族の成立と終焉』をどうぞ)

 

     
街へ買い物に出たので広瀬川バックに新しい髪形を自撮りしました。似合っていますでしょうか。子育てをしながら、私の両親への生活支援が始まりました。そして、それは在宅介護へと進んで行きました。私もユキ子さんも仕事を持っていました。でも、やれるとこまでは自分たちでやりたい、そのためには「家族」に関する正しい認識が不可欠でした。「家族」に関する正しい認識は、全てにおいて「男女平等」が求められます。

 

     
下小出町まで行ったものですから、大好きな旧前橋地方気象台の建物の前でも新しい髪形を自撮りしました。男女共同参画基本法は施行されたのは1999年、わが国で初めて「男女平等を推進する」法律ができました。それから5年、群馬県では2004年になってようやく男女共同参画推進条例がつくられました。私はこの条例制定の事務方の責任者でした。審議会と議会に諮る「大綱」は自分で書きました。たくさんの皆さんと話し合いました。県職員としての私にとって一番大事な仕事だったと思っています。

 

 <こないだもお邪魔して言ったけどさ、基本法ができて25年、この国は何してきたのよ! ちっとも改善されてないのよ。夫婦別姓は実現してないし、もう無意味な「専業主婦」を維持する仕組みが残されているし、若い人たちまで平気で「うちの嫁」なんて言っているし、国会議員は「全ての女性の安心・安全と女子スポーツの公平性等を守る議員連盟」なんてのつくって「公衆浴場で女性の安全確保」なんてことに血道をあげてるんじゃさ、この国は世界に置いてけぼりにされちまうよ。>

 

     
昨日の夕食は豚肉の冷しゃぶにしました。ユキ子さんには作った素材を保存容器に納めて、盛りつけは義母さんちでしてもらいました。冷しゃぶのタレは二色、一つは味噌仕立ての甘口のゴマダレ、もう一つは裏ごしした梅漬けの果肉を味醂で煮て作った梅ダレです。タレがおいしかったんで、義母さんも残さず食べてくれたみたいです。

 人参葉と人参のきんぴら、そしてナスの梅酢もみです。こんなもんも食事のアクセントに大事なんです。私が食事作りの主力になってもう30年ほどになりますかな。

 前に、朝日新聞の県版に「ヒゲおじさん厨房に入る」ってコラムを連載してました。その時、私がコラムの中で「ユキ子さん」と書いたことについて、新聞社との間でおきたやりとりを思い出していました。「『ユキ子さん』ではわかりません。『妻のユキ子』とします」、「困ります、私はいつも『ユキ子さん』と呼んでいます。『妻』などという戸籍上の用語は日常では使いませんし、呼び捨てにもしません」、「それは一般的でないです。普通にしましょう」、「パートナーをないがしろにはできません」、こういう論争の結果『連れ合いのユキ子さん』という表記で妥協を図りました。新聞社でさえ、『妻』は『呼び捨て』なのです、それが一般的だと押し付けてきたのです。間違っていますよね。家族観てすごく大事です。家事や子育ての問題の解決のためにも、新しい家族観が必要なのです。

いろんなことを考えてしまった一日でしたんで、少しマジになっちゃいました。

 

 ヒゲじいさんの連れ合いの三代目若柳吉駒でございます。           

1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会、毎年春に公演会を開催しまいりまして本年4月の公演で79回目を迎えることができました。そして、7月24日には浴衣ざらい(会場:昌賢学園前橋ホール)を開催いたします。また、来春4月7日には第80回美登利会公演を予定しております。会員一同これからも精進を重ねてまいりますので、あい変わりませず宜しくお願い申し上げます。

《最近の美登利会と吉駒リサイタルの舞台をご覧になりたい方は…》
第79回美登利会と第4回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧ください

第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第77回美登利会と第2回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい
第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルはこちらでご覧下さい
お稽古場は前橋市城東町、詳しくはこちらをご覧下さい

 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (富士山麓の暇人)
2024-06-14 20:14:29
少し若返られた様で、素敵ですね。
本の選択は、さすが、と思いました。鈴木さんの画集、私も手に取ってみたいです。

私も、家族とは、を考え直さなくてはと思い、上野さんの「おひとりさま」シリーズを読み漁っていましたが、彼女の学問体系をもう少し深く知りたいと思っていたところでしたので、早速、岩波の本を読んでみたいと思います。いつも、興味深い本をご教示くださり、ありがとうございます!
返信する
若返り (ヒゲクマ)
2024-06-15 08:46:06
富士山麓の暇人さん
見た目が代わっただけ、中身はちゃんと数え80歳のジジイです。おだてに乗らぬよう心しております。
上野千鶴子さんは家族社会学舎、「近代家族の成立と終焉」は、20世紀の家族社会学の一大成果のように思っています。ぜひご読んでください。鈴木時治画集は絶版になっていないと思いますから、紀伊国屋でもどこでも手に入りますよ。
返信する

コメントを投稿