天川二子山古墳の墳丘の上から眺めた赤城山、昨日の昼頃のことでした。なんか、春の兆しを感じさせるものを見たくなって、家を出て、ふらふら南へ向かっていたら辿り着いちゃったんで、ついでにと墳丘に登ってみたのです。
墳丘の上は春の兆しどころかまだ冬そのものでした。そいで、北を眺めると、曇り空の下に赤城山がありました。
でもね、墳丘の南斜面に植えられたスイセンは花開いていました。春のはなではないけれど、花が咲いているとなんとなく春を感じませんか。
お天道さんに遊んでもらえないCOCOは昼寝をしないで居間や食堂をうろついていました。こちらが座るとすぐに膝に乗ってきます。ただ乗せているのもなんなんで、足の爪切りをしてやりました。いやがらずになされるまま、とにかくひっついていたかったみたいです。
COCOの相手はほどほどに、小正月の支度で小豆を茹でました。ついでに、豚の肩ロース肉の塊があったので、韓国風の茹で豚、ポッサムをつくることにしました。リンゴやにんにくを入れて醤油やみそで味付けした汁でゆっくりと1時間ほど煮込みます。
豚肉が煮えてから出かけたんです。天川原町から南町を回って中心市街地へ行きました。天川二子山古墳の風景のほかにはただ街を自転車で走っただけでした。そいで見っけたのは、
紅梅でしょ、そいから菜園の菜の花です。やっとこ見つけた春の兆しです。
それから、アセビの膨らんだ蕾です。いつ咲くのかな…。それから街へ、立川通の焙煎館でコーヒー豆を買いました。「今年初めてだよね?」って清子さん、「うん、初めてだよ」、「じゃあ、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします」、急に改まっちまいました。「うちも今年で20年になります…」
店にはこの店を開いたショーキさんの写真が飾られています。「そうか、20年かショーキさんがやってたのは10年ぐらいかな…」、「うん、もうちょっとかな、おしまいの方は招き猫になってたからね…」、ショーキさんが逝ってしまったのは2018年3月2日、雛ずしを作っていたら訃報が届いたので覚えているんです。
家に戻ってPCで写真の整理をしていると、「その写真の人は誰?」ってCOCOが聞くんです。「子どもの時からのお友だちのショウキさん…」、「どんな人なの?」、「子どものときは野球の選手、捕手だった。ひょうきん者で人を良く笑わせてた。大人になってからは家具の商いをして、その後コーヒー屋、酒のみでさ、歌唄うのが好きで、よく一緒に飲んでたんだよ」、「ふ~ん」
これはね、2009年1月の「ヒゲおじさん厨房に入る」で野村たかあきさんが描いてくれた挿絵です。また一緒に飲みたいやいね…。ひょんなことから悲しい思い出になっちまいました。詳しいことは2018年3月3日の記事をご覧ください。
午後2時ごろから雲が切れて日が差してきました。広瀬川の水も輝きを取り戻し、こども公園の広場もにぎやかになりました。でもね、
ユキ子さんの両親へポッサムを届けに行く頃にはまた曇り空に戻っちまってました。今日もどんよりした一日になりそうです…
夕食は二日続きの韓国風料理となりました。韓国風茹で豚、ポッサムとサンチェ、それと辛みを少し抑えた味噌だれです。義父母にも食べていただくのでたれの辛さは控えめにしたのです。それと、ナムルの盛り合わせです。
マダラの昆布締めがまだありましたので、和風の膾にしました。スープは豚肉のゆで汁を使って舞茸と春菊のスープです。ポッサム、おいしいです。
今日は小正月、これから小豆粥をいただきます。明日16日は私の父の祥月命日、一日早いのですが、今日墓参りに行ってきます。
新年あけましておめでとうございます。
三代目若柳吉駒でございます。本年もあい変わりませず宜しくお願い申し上げます。
1937年(昭和12年)に祖母の初代吉駒が始め、伯母の二代目吉駒が受け継いでまいりました直派若柳流美登利会を承継しております。毎年春に開催しております舞踊会は、戦時中の開催禁止と一昨年のコロナ禍による延期を除いて、今年で78回を重ねることができました。来年は4月9日に第79回舞踊会を開くことといたしまして、会員一同精進を重ねております。引き続きご贔屓くださいますようお願い申し上げます。
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第78回美登利会と第3回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい。
第77回美登利会と第2回三代目吉駒リサイタルはこちらでご覧下さい。
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