窓の眺め
2018-05-03 | 雑感
私が住まう所は、のどかな、ごくありふれた、こじんまりした田園地帯、小川が流れ、山に囲まれ、海にも近い。私に心地よいものが揃ったこの地が気に入り15年前に家を建てた。そして2階にはこの風景を楽しむために出窓を付けた。しかしながら、入居してからは公私共に人生で最も忙しい時期を迎え、窓からの風景を堪能することなくあっというまに時は過ぎ去ってしまった。
退職して時間にゆとりができ、倉庫と化した出窓の周囲を片付け、締め切られたまま埃が積もったカーテンを洗い、本当に久しぶりに窓からの眺めと向き合った。
入居当時は家の周囲はほぼ田んぼで、春になると蛙が大合唱し(その道の研究者によると正体はシュレーゲルアマガエルが6割、アマガエルが4割)、季節の風物詩の1つとして楽しめた。ところが当地にも過疎化・高齢化の波が押し寄せ、いつしか周囲は稲作放棄地ばかりとなり、それとともに蛙の鳴き声も激減した。
国破れて山河ありではないが、それでもいまだに家から眺める山桜や新緑の景色は美しく、また、里山感もそこそこ残り、この眺めには十分な癒やしがある。
ただし、その寿命もわずかだ。裏山から家の真上を通り前の山をくり抜いて自動車専用道路が近々建設されるからだ。遅きに失したが、せいぜいこの景色が残る間は眺めを楽しんでおきたい。まして、次に移転する場所は自然の景色のない住宅街だ。便利を求めると自然は損なわれる。

退職して時間にゆとりができ、倉庫と化した出窓の周囲を片付け、締め切られたまま埃が積もったカーテンを洗い、本当に久しぶりに窓からの眺めと向き合った。
入居当時は家の周囲はほぼ田んぼで、春になると蛙が大合唱し(その道の研究者によると正体はシュレーゲルアマガエルが6割、アマガエルが4割)、季節の風物詩の1つとして楽しめた。ところが当地にも過疎化・高齢化の波が押し寄せ、いつしか周囲は稲作放棄地ばかりとなり、それとともに蛙の鳴き声も激減した。
国破れて山河ありではないが、それでもいまだに家から眺める山桜や新緑の景色は美しく、また、里山感もそこそこ残り、この眺めには十分な癒やしがある。
ただし、その寿命もわずかだ。裏山から家の真上を通り前の山をくり抜いて自動車専用道路が近々建設されるからだ。遅きに失したが、せいぜいこの景色が残る間は眺めを楽しんでおきたい。まして、次に移転する場所は自然の景色のない住宅街だ。便利を求めると自然は損なわれる。
