B&B&B

回り道を全力疾走

アクロス山

2009-10-11 14:52:41 | 未分類
久しぶりにアクロスに来た。

大学が助成金を得てフリマのイベントをやっていた。

今はやりのエコをテーマにしたイベントだ。


世の中には入門編ばがりが一人歩きしている気がする。

JICAにしても、エコ活動にしても、

知らない人でも興味を持つようになるような工夫がされているだけで、解決には程遠い。

むしろ、その表面だけを全てだと勘違いして逆効果ともおもえる行動もとる。


エコをテーマとしたフリマでは衝動買いをしてはいけない。 客に商品を勧めちゃダメだろうと思った。

本当に使う人、必要としている人に売らないと

ただのゴミの転売。
その物を買ったという責任の放棄になってしまうように感じてしまった。


自分自身フリマを十数回やってきているからわかる。

売るのはガラクタがほとんどだ。
見た目は良いが、使い勝手が悪かったり、経験上使うのは初めだけですぐに飽きるとわかっているモノを売る。


ガラクタを処分することが目的のフリマなら、10円やらタダでお互いに気持ちよくキレイなゴミの委譲が行える。


エコをテーマにフリマをすることはそれ自体がエコかどうかを振り返ることから始まると思う


店で買うよりかはフリマで買う方が得
しかもエコ

本当にそうだろうか?


そんなことばかり考えていたら何もできないのはわかるが、

とりあえず自分にできることをやろう!でいいのだろうか?


批判ばかりで申し訳ない。


そんな自分は死ねばいいのにと思いながらも、そう考えることは間違いじゃないと擁護する自分がいる。

ワケワカメ

脳みそまでも筋肉痛か

2009-10-11 12:15:04 | 未分類
活動家はなぜ当初の目的を見失ってしまうのか。

ある目的のために活動を始めたはずなのに、いつの間にか活動する事自体が目的になってしまう。


今人気のエコも元は人間にとっての地球環境を保全する目的で始まった活動のはずなのに、広まっていくにつれてエコ活動することが目的となってしまっている。

活動に熱中することは、活動を目的とすることと同意語なのか。


何か活動することは、何かを失っていることに繋がっているなら、それを意識しながら活動したいと思う一方で、そんなことを考えていたら活動できないという自分もいる。


そうしているうちに、自分の行動も所属も二転三転している。

一つのコトに没頭することに恐ろしさも憧れもある。


きっとこれも自由で束縛されない大学生ならではの考えかもしれない。


半年後、義務教育のように束縛された環境を与えられればそんな悩みも吹き飛ぶのか。


せんなふうに考えれば共産主義はそんな悩みからはかけ離れたところにあるから、個人を尊重するかどうかは別にして、複雑な思考からの解放という意味では,いいのかもしれない。