弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

「自然エネルギーだって環境破壊につながる」式の意見について、一つの反論のかたち

2011年06月21日 | 原発 3.11 フクシマ
 前回取り上げた首相官邸の「懇談会」(6/12)で、後半視聴者からのツイッターのコメントがいくつか紹介されていた。そのなかに、何度も何度も聞いたことのあるような質問(意見)があった。原発ばかりが悪者にされるけれど、自然エネルギーだって環境破壊につながるぞ。どうするんだ?えっへん、という類の質問である。
 様々な角度から、おそらく十通りくらいに、あるいは個別の発電法ごとに反論できるわけだけど、総体としては原発による環境への負荷(事故が起きなくてさえ!)と、その他の発電法、とりわけ風力や太陽光などの自然エネルギー利用における負荷とを、同一次元で比較できると思っていること自体が無知の極み、と言っておけば、とりあえずいいだろうと思う。
 ただ、今回そのこととは別に、地熱発電についての否定的な見方ということがコメントに出てきたので、昔から引っかかっていたある問題について書きたいと思った。

 つまり、こうだ。地熱発電所は火山の麓に作られることが多い。すると、火山というのは国定公園などの自然保護区にあることも多いから、そういう場所に地熱発電所を作ることは自然破壊につながるのではないか、と。
 これに対しては、一般に「空気中への有毒なガスの放出などを慎重に制御できるよう、設計する技術が今ならある」とか、「建設に伴う多少の自然破壊があったとしても、今の国難を思えば仕方ない/原発事故による汚染に比べたらはるかにマシなのだから」といった反論が、すでに出揃っている。僕も、まあ一応そういう反論で間に合うだろうと思いつつ、もう一つ別の反論が頭をもたげてくるのを押さえられない。 
 それは、このような脈絡で国定公園を心配する人間というのは、国定公園以外の自然をあっさり軽視する神経の持ち主ではないか、そしてそういう神経こそが、原発のような図体のでかい野蛮な技術を推進する強大なバックボーンに他ならないのではないか、と疑うものだからである。

 たとえば新規の建設が予定されている(3.11以来表面的には頓挫しているが)、上関の海岸など、だれがどう見たって美しい自然であり、海洋生物の宝庫でもある。国定公園に指定されても何ら不思議はない(注:下コメント参照)くらい、貴重な場所である。これほどの場所ですら、「そこが国定公園ではないから」安心してぶっ潰し、反対漁民は札びらで屈服させればいいのか。国定公園内の地熱発電所を心配する人が、もしそんな理屈で上関の原発建設を容認できるなら、ダブル・スタンダードどころか、単に頭がおかしいと言わざるをえない。
 しかも、論点はそれだけで終わらない。美しいから壊してはダメ、という問題では済まないはずなのだ。
 僕は昔から、「自然百選」のような発想がどうしても嫌いで、受け入れがたい性分なのだった。そりゃあ確かに、なかなか他にはない、絶景というものはある。そうした場所が観光地として有名になるのも結構なことだし、僕だって余裕があれば、そこを訪れ、名産品の一つや二つ口にして、つまりは一般に観光客がしているような楽しみ方だってするだろう。
 だけど、僕が生まれ育った地元の町にだって、僕にとっての得がたい自然がある。別の場所に住んでいる人が見たらなんてことのない自然でも、それとともに僕は生きてきた、だから大切だと感じるもの。国定公園に比べりゃ見劣る景観だから、なくなってもいいなどとはまったく思えない。それがつまり、「ふるさと」というものだ。
 いったい、福島を初めとして、今原発が建っている場所は、景観が大したことないから、自然環境として特別珍しい特色がないから、ぶっ潰して原発を建ててもよかったと思えるのか?そのような、ここは大事な自然、ここはそうでもないから壊していい自然、という感性・思考様式の果てにあるのが原発であり、今まさにその因果の報いを受けているのではないのだろうか?

 また、原発を擁護する者(あるいはとにかく脱原発に逆らいたい者)がしばしば言うこととして、「経済」の問題がある。原発は過疎地に作られる、そこに莫大な金が交付金として落とされ、原発および関連企業の雇用も増える、そうした形で、地元の活性化に役立っているのだと。
 自然エネルギーであっても同じような(あるいはより以上の)活性化が見込めないわけではないという当然の反論と共に、いやそれ以前に、やっぱり僕が言いたくなってしまうのは別の次元の反論である。すなわち、そもそもなぜそこはお金に困る「過疎地」になってしまっているのか、という問題だ。それは近代以降の社会・経済のシステムによってそうなってしまったのであって、原発の建設はそのシステムにどっぷり乗っかった、後押しするものでしかない。

 最近、歴史学者・網野善彦の『海民と日本社会』という本を読んで衝撃を受けた。
 衝撃の一つ目は、江戸時代までの日本が農業国であり、民衆の大部分は農民であった、というのはどうやら勘違い、「百姓」という言葉を誤解していたらしい、ということである。「百姓」は本来「平民」を指す言葉に過ぎず、漁民・猟民、製塩業や製鉄業や養蚕(繊維生産)業、工芸職人や商人一般といった、多彩な生業の人々を含んでいたのであって、そのなかでの「農民」の割合は、実は半分にも届かない程度だった。「農民」以外の人々は、全国各地、アイヌや琉球、また朝鮮半島や大陸中国との交易を通じて、地方ごとに繁栄した都市文化を築いていた。
 そしてその、中世~近世において独自に繁栄した地域というのは、たとえば若狭であり、能登であり、新潟であり、青森であり、瀬戸内であり・・・・なんのことはない、今「過疎地」として原発を押し付けられている場所じゃないか!と知ったことが、二つ目の衝撃である。これらの地域では、田畑を持たない(あるいはごく少ししかない)「水呑み」百姓と分類される人達が多かった。しかし、それは「持てなかった」のではなく、「持つ必要がなかった」のだ。なぜなら、それら「水呑み」の多くは、豊かな漁港を中心とした、交易や通運、金融業などで儲けていたのであって、無駄に税を取られるだけの土地など要らなかったのである(それが、幕府作成の住民登録においては「水呑み」という名前で分類されてしまうことになった)。
 江戸幕府のゆるい(建前上の)農本主義によっては屈服させられなかった、それら豊かで個性的な地方都市が、しかし明治以降の近代化・中央集権化によって、没落していった。この明治に始まる近代化の権力というものの行き方が、21世紀においてついに決定的に破綻した姿をさらしている、それが今我々が目の当たりにしている原発の惨状なのだとしたら。

 原発を停止・廃止したら日本経済がピンチ・・・的なことを言う人たちには、ぜひこの問題を考えてほしい。本来豊かだったそれぞれの「ふるさと」を、むざむざ貧しくさせて、そんなやり方を追認したままで、後回しにしたままでの「GDP」だの「成長率」だのに何の意味があるのか。脱原発の問題は、そうした中央集権型の経済パラダイムの転換すらも要求しているのだということを、真面目に考えてほしいと思う。地熱発電の話からだいぶ飛んでしまったけれど。


おまけ:関西を中心に、こんなプロジェクトが始まりました。
めざせ10万枚! 「団扇(うちわ)で脱原発」プロジェクト
  夏祭りの季節にいいかも。

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23 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
上関の海岸 (瀬戸内人)
2011-06-24 15:14:34
ご意見に共感します。
信じられないでしょうが上関原発予定地の田ノ浦海岸は瀬戸内国立公園内なのです。
http://www.shizen.or.jp/report/081221meeting/nuclear.html
魚つき保安林も原発建設のためとあっさり伐採されました。

原発のためならというご都合主義も極まれりです。

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Unknown (漂瓶)
2011-06-26 10:58:47
エントリー内容とはずれがありますが原発の発電コストのウソについてです。
http://t.co/C9MySiW
ここ訪れるひとはまぁだいたい見当ついてるなり既にわかってるなりだとは思うのですが一応リンク貼りたいと思います。
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>上関の海岸 (レイランダー)
2011-06-26 11:08:18
>瀬戸内人さん

はじめまして。
うかつでした。そうか、もともと国立公園なんでしたね。
それならなおさら…、という言い方は僕のここでの論旨とはズレるのですが、それにしても驚いてしまいます。
また、環境省がどうして待ったをかけてくれないのか、あるいはかけてもほとんど実効力がなく、経産省優位で物事が動いていくのか…その辺の構図は、やはり沖縄の米軍基地とも共通した状況なんでしょうね。
3.11を機に、そうしたごり押しの政策が見直される気運が、少しでも生まれていることが救いです。少なくとも新規の原発を建てるか建てないかということは、米国のご機嫌を伺う必要のないテーマなんですから、それほどややこしい話ではないはずなんですが…。
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>漂瓶さん (レイランダー)
2011-06-26 11:15:00
ありがとうございます。
経済誌がこういうことを書き始めたのは注目に値しますね。もちろん、もっと早くから指摘している経済評論家もいたはずなんですが、少数意見として埋もれていた。ここまで大きな記事として出てくるということは、いろんな業界で原発推進勢力の統制が緩んできた、ということなんでしょうね。
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Unknown (漂瓶)
2011-06-27 20:24:37
どう考えてもわざとだろ、といった試算で「安価」をはじきだしてたものだ、と。。。やれやれ。
こうして緩んだようにみせて、と思ったらこれまで以上の統制をしてくる、ということは往々にしてあることなのでこっち側の気持ちが試される段階なんでしょうね。
ぬか喜びだけはしたくないものです。
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原発推進からの圧力 (リーサ)
2011-06-29 10:53:11
今朝の朝日の斉藤美奈子さんの文芸時評に、「原発を推進シテキタメディアでの原発批判の原稿にはそりゃ圧力かかったさ」ってはっきり書かれてましたよね。書けるんだ~~とちょっと感動しました。(これって、朝日も含むんですかね?)
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豊かな生活 (talkingdrum)
2011-06-29 20:44:31
原発擁護の人たちがいうもう一つのパターンに、原発の電力のおかげで豊かで便利な生活が、っていうのがあるんですがこれも嘘だよなあと最近改めて思いました。

というのは、最近の”節電”キャンペーンについて考えていたんですけど。いわゆる夏の午後の電力消費量が大きくなるピーク時に日本の住民の多くがなにをしているかっていうと、仕事をしている。こないだ、ある講演で聞きましたがピーク電力消費時、9割ぐらいは事業者の電力消費だそうです。昔から言われてることですが、欧米諸国では夏のその時期、みんな4週間とかの夏休みとってのんびりやってるのに対して、日本ではいまだに企業の夏休みは平均7日ぐらいで、しかもお盆の時期の集中が激しい。

夏のピーク電力は、日本の暑くて湿度が高くて働くには向かないはずの季節にも、工場やオフィスや店を開けて働き続けるために使われている。かたや、バカンスに出かけてビーチにでも寝転がって過ごせば、1Wの電力も使わない。どちらがより、”豊かな”生活かと。。。

そんなことを考えていると、自然エネルギー推進なんてことすら後回しでよくって、とりあえずみんなで3週間夏休みをとろうよってキャンペーンすべきじゃないかと思うんですが、周囲に話しても冗談としか受け取られないんですよ。こっちは真剣なんですが。。。(笑)
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Unknown (レイランダー)
2011-07-01 00:33:24
>漂瓶さん

>どう考えてもわざとだろ、といった試算で「安価」をはじきだしてたものだ、と。。。

それが「国策」ってものの本質ではあるんで。まあ、本人達が自腹切るわけじゃないから、痛くも痒くもない、その意味ではいつだって「安価」なんでしょう。それを、「割に合わない」ってことを痛感させるためには、それこそ刑事罰を与えるつもりで責任追及する姿勢は最後まで捨ててはいけないと、個人的には思ってますが。


>リーサさん

朝日の、新聞の方の事情は知らないんですが、テレビ朝日の方は、東電が事実上のスポンサー撤退とかで、朝の番組で小出さんの見解をバンバン紹介するようになったりして、様変わりしつつあるのは感じますね。部分的な動きで終わる可能性もありますけど。


>豊かな生活

talkingdrumさん

まったく同様に思ってました。せめて「一般家庭の分はせいぜい一割らしいっすよ」っていう情報を、意識して会う人ごとに伝えるようにしようとは思ってるんですが。
節電自体は悪いことじゃない。電気代の節約になるから、自分も得をする。っていうか、言われるまでもなく僕みたいな貧乏人は日頃から節電してるんで、これ以上どう節電しろってんだ?っていうのが本音だったりして。

ただ、こういう嘘・まやかしが平然と政府機関からマスメディアを通じて拡散されていく光景というのは、やっぱり非常に気持ちが悪い。talkingdrumさんが以前指摘されたように、ひとつの「戦中」を感じます。
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木を見て森を見ず (tokoro)
2011-07-01 00:35:21
木を見て森を見ず、というのはまさにこういうことなんでしょうね。

更に深刻なのは地熱発電が環境破壊につながるという発言をしている人が現地に行ったことがないということなのでしょう(本人がそれに気付いていないことも含めて)。
私はそれこそ自然公園やら国立公園やら国定公園やら随分と歩きましたが、
環境破壊の最たるものは山の上まで続く観光道路であり、観光施設であり、にわか登山者であるということは現地を見て容易にわかります。
そもそも自然公園内に地熱発電所を作ることが環境破壊だというのならば、
自然公園内に作られたダム(黒部ダムなんて良い例だ)とて大きな自然破壊であることは間違いないでしょう。

だから地熱発電が環境を破壊するなんていうのはナンセンスなんですよ。
昨年八幡平から裏岩手縦走路を歩いたとき、実際松川温泉内の松川地熱発電所を見ましたが、
これを景観を破壊するものだという人はあまりいないんじゃないかと想像できます。そのくらい小さなものなんです。

むしろ地熱発電を阻害するものの多くは、既存の温泉利用者と権限を握る環境省くらいのものです。
真っ当な自然保護団体ならば十把一絡げに地熱発電所が環境破壊につながるとは言いません。
現地で環境調査をして個別に評価するのが通常です。

本当、ネット時代になって簡単に発言できるようになったのは良い事なんでしょうけれど、
軽い発言が増えたのも間違いないところです。
現場主義が必ずしもいいって訳じゃないけれども、想像だけでものを語る風潮はどうにかならないものかなぁと思いますね。
地熱発電所の建設なんて本当に小さなことなんですけれどねぇ。

むしろ地方の経済のことのほうが本当は重大な問題のような気がしているのですが、これはまた別の考察が必要なので別な機会に。
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やっぱりそうでした。 (リーサ)
2011-07-01 09:49:33
朝日新聞の件、やっぱりそうでした。twitterで坂本氏がツィートしてたメッセージhttp://tinymsg.appspot.com/31p1
うすうすみんなが思っていたこと。今さらですが、年のため。
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