弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

アウトテイク・フラグメンツ─8

2011年12月27日 | 原発 3.11 フクシマ
 それにしても、いつになったら我が国の警察は東電事業所の強制捜査、幹部の家宅捜査、拘束・取調べ等々にとりかかるのだろう。と、年の瀬に思う、この頃。


■「失敗」ではなく「犯罪」

 「失敗学」で著名な東大教授をトップに据えた点も含め、失敗が最初から明らかである人選(※)による政府の事故調査・検証委員会が、東電、政府の事故後の対応のまずさについて、中間報告を出したことが報じられている。指摘される点はもっぱら枝葉の話であるか、3月~4月の時点ですでに飯田哲也氏や小出裕章氏ら、在野の様々な学者・研究者が指摘・批判済みであることを今頃やっと取り上げているか(例:そのために設置したはずの「SPEEDI」の解析結果を、避難誘導に一切役立てられなかった)。大体そんな感じ。
 つまり、脱原発の観点からは、なんら重要性のない「内輪の反省会の報告」に過ぎない。それだけのことを、あたかも政府・行政の自浄作用がどうにか働いているかのごとく報じたり、「最低の危機管理」を反省し・今後の教訓にせよ(読売)などという論調でまとめるなど、今日もマスコミは「最低の報道」の上塗りをくり返している。原発の旗を振ってきた、自らの責任をいっさい棚上げにして。「失敗」の原因はそこにもある、ということにほっかむりをして。
 「原発をいかに再生させるかを世界が注視している」と、この時点でさえ原発推進の旗幟を鮮明にしている、サンケイの態度がいっそすがすがしい。

※なぜなら、問題は「なぜ失敗したか」にあるというよりも、失敗すると警告されていたのに、わかっていたのにやめようとしなかった既成の思考、既得権益がらみの国家戦略の硬直にある、ことは明々々々白々々々だからである。
 そして、失敗追求の果てに、関係者の処罰がないこと。我々自身が「世紀の犯罪」を見逃してしまった点で同罪だとしても、少なくとも犯罪遂行者は我々とは別に裁かれ、獄につながれるべきであるのは、法治国家である以上当然である。なぜそうならないのか。「失敗学」からそれが見えるはずもない。
 福島事故は「失敗」ではなく「犯罪」である。それを隠蔽しようとするのは、さらなる「犯罪」である。



 最低の年──だけど、残念ながらまだ底ではないだろう──のしめくくりに、簡単なまとめをやっておこう。大手の新聞やテレビが「報じている」と一般の人が思うことと、インターネットをメインとして独立系の情報が伝えることの差について。言い換えると、大手マスコミに頼らない、こちら側の常識について。これが常識になっていないことがそもそもおかしい──ということについてのまとめ。

(順不同)
○政府の「暫定基準値」はべらぼうに高い。世界のどの国よりも高い。

○空間線量の基準値も、チェルノブイリ被災地、ベラルーシやウクライナより高い。福島はおろか、関東でさえ超えているところがある。

○福島事故は津波が「想定外」だったせいではない。地震動によりすでに破局的な状態になっていた。
 日本中の原発が、津波なしでも、地震だけで、福島と同じクラスの事故を引き起こす可能性が(元々そうだが)消えていない。「多重防護」を突き崩す要因は津波だけではない。

○「冷温停止」はありえない。行方不明になった燃料が水浸しの地下のどこかで、一時的に安定している(核分裂をやめている)だけだ。

○除染は難しく、かつ効果が薄い。福島の一部では、除染をしても、おとなはともかく、こどもの生育に適した値には下がらない。

○そもそも除染とは、放射能を「どかす」だけである。水で流したら、その水に放射能が移るだけである。放射能はそれ自体の寿命によってしか、消えない。

○福島事故は「収束」などしていない。どころか、まだ始まったばかりだ。


 その他、いろいろ。
 ちなみに、こうした「これが常識じゃないなんて!・・・」という問題は、原発に限らずある。あるどころか充満している。ただでさえ充満しているところにもってきて、その極めつけとして今年表舞台に浮上したのが原発に関する嘘だ、というに過ぎない。過ぎない、ことがマジ頭いてえ。



 野田というオッサンはつまり、原発事故後の正常化バイアスに肉付けして、既成事実を積み上げて「正常化偽装」の砦を築くために、官僚が送り込んだ手先、というようなものなのだろう。それ以上でもそれ以下でもない。「からの~?」とか煽っても、続きが出てこないような。



「[・・・]原爆以後、人類社会は、質的にそれまでの時代とははっきりと変わったと思います。人類が技術や文明の進歩をめざし、生産力を高めてゆたかになろうとして突っ走っていた時代を「青年時代」だとすれば、現代はうっかり間違えると人類全体の滅亡に及ぶような死の要因を人類が自らの内部に抱えるようになったといってよいと思います。その意味で走るだけでなく、ときには立ち止まってゆっくり考え直すだけの知恵が要求される「壮年時代」になったのではないかと考えるのです。」
小熊英二対談集『対話の回路』(新曜社、2005年)より、歴史学者・網野善彦の発言。



 チェチェン・ニュースの大富さんが、電気料金の計画的な滞納をもって東電に直接「声」を届ける、興味深い作戦の経過を報告してくれている。

 止めよう原発再稼働!滞納しよう電気代! Part2 

 同じやり方を九電に対して実践している人もいる。
 九州電力にNOを!!! 
 どちらも、スタートは自動引き落としの解約から。決して大げさな反対行動ではなく、市民として、また顧客として当然やっていい、穏健な行動だと思う。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。