弱い文明

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福岡事件再審運動50周年 キャンペーンのお知らせ

2011年05月06日 | 死刑制度廃止
 1947年に起きた「福岡事件」、その冤罪を確信して、故・古川泰龍さんが再審請求の運動に身を投じたのが1961年。今年はとうとう、それから50年目を迎える。
 節目の年ということで、今年は春と秋、二度に渡ってキャンペーンを行なう。そのうち、5月18日から始まる、春の予定がほぼ決まってきた。
 詳細は下記ブログにて。

 福岡事件再審運動50年キャンペーン「私はわらじがぬがれない」

 まだ詳しい内容が決まっていないものも多い。特に6月の分がそうだが、決まり次第随時発表していく。
 今年は関連書籍の出版も予定されている。冤罪・死刑問題に関心のある人はご注目ください。

※「福岡事件」とのその再審運動の概要を知らない方は、一昨年のキャンペーン時のブログより、
 福岡事件とは何か
 その他をご参考に(当ブログ内にもカテゴリーがあります)。

 警察・検察の不祥事が次々と明るみに出され、裁判員制度の導入など、司法の激動期といってもいい時代に突入したかのような昨今だが、戦後冤罪事件の原点ともいえるこの福岡事件や袴田事件など、いまだ雪冤に至らない事件が数々あるばかりか、新たな冤罪を生み出す構造は、依然として大きくは変わっていない。
 これらの事件のことを知れば知るほど、その背景にあるものが、単に法学的な問題に帰結するだけとは思えない。どうして我々は打ち捨てられた人々を足蹴にして、自分達の幸福な社会とやらを築くことができたのか──築いた気でいられたのか、という、日本人の生き方の問題にぶち当たらざるを得ない。その意味では、実はこれも原発の問題、なぜ原発をこうまで野放図に繁殖させてしまったのかという問題と、分かちがたく結びついている。
 自分がこうした問題に駆り立てられるのも、要はそういうことだったと、最近になって(3.11の後になって)気がついたのだった。

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