女友達から聞いた話。
彼女の大学1年生の娘さん(次女)が、少し前から某ファスト・フード店でアルバイトを始めた。いろいろ失敗もしながら、そろそろ仕事も板についてきた頃、店長が変わった。面接を受けた前店長は男性だったが、新しい店長は幾分若い、30歳前後の女性。その店長になってから、バイトに行くのがおっくうになってしまった。なんでも、前店長に比べて人に厳しい、はっきり言って「ヤな感じ」の人なのだと言う。
その娘さんが最近、バイトのシフトを入れた日に、急遽決まった(変更があった)大学の試験の日が重なってしまった。
休む場合、その店の規定では、同じ店のバイト仲間の誰かに頼んで、代行に入ってもらわねばならない(それを自分で打診し、セッティングしなければならない)。ところが、もう日が近いこともあって、代行可能な同僚がいなかった。おそるおそる店長に、「代行が見つからなかったが、どうしても試験があるので○曜日は休ませてほしい」と頭を下げた。
答えは「NO」。規定で決まっている以上、許されない、の一点張り。
社会経験に乏しく、なかなか思っていることを言えないタイプの娘さん、困り果ててお姉さん(長女)に泣きついた。この姉さんは妹とは違い、頭が回るというか口が回るというか、とにかく堂々と大人相手に話ができるノリのいい人。めんどくせーと思いながらも、妹の頼みを引き受けた。「お父さんお母さんには内緒で」という願いも聞き入れて。というのも、先頃「バイトをやめたい」と口走って、母親(僕の友達)からたしなめられたばかりだから、親には言えないと思い込んで、一人で悩んでいたのだ(ということも、後日この姉が母親にこっそり報告した)。
それで姉妹は揃って店に行き、もっぱら姉が店長と直談判を試みた。
姉さんはまず、「本当に申し訳ないが、学生の本分はやはり勉強であって、学業に支障をきたしてまでアルバイトさせるわけにもいかない、○曜日の件はどうか勘弁してやってほしい」というような趣旨で詫びを入れたという。
対して店長は、勤務規定書のようなものを持ち出し、「決まっていることだから譲れない」と杓子定規に返すばかり。
最悪だったのは、この店長、自分より年下の姉さんを見下すように、「世の中ってそういうもんじゃないんですよ」という説教を、自信満々の調子で話すことだった。
「いいですか。もし妹さんがシフトの穴をあけてしまったら、誰に迷惑がかかると思いますか?私ですか?ほかの店員ですか?お店ですか?いえいえ。そうではありません。本来やるはずの仕事に妹さんが来ないせいで、迷惑を被るのはお客様なんですよ。本来受けるはずのサービスを受けられなかった、お客様なんですよ」──ワタシはそれだけ、あなたより広い観点から物を申しているんですよ、どうです、びっくりしましたか?と。
これにはさすがに姉御さんもイーッとなってしまい、「じゃあ試験を受けられなかったことで妹が受ける損害を、あなたはどう責任取ってくれるんですか?」と尋ねた。すると店長は、「そんなの私の知ったことじゃない」とあっさりのたまった。
うわ、だめだこいつ話になんねー、と姉さんは頭を切り替え、理屈で納得してもらうことをあきらめた。結局のところ謝りに謝って、○曜日は何と言おうと休ませてもらう、という妥協を、なんとか強引に引き出した。そしてこのような条件の下ではバイト続行は不可能なので辞めさせてもらう、ただしすぐに辞めるのはそれこそ規定違反だろうから、規定通り○月○日まではしっかり勤め上げる、ということになった。こちらはさほど抵抗なく、決まった。妹さんによると、バイトの首を切るのがやたら早い店長なので、自分もいっそこの件で辞められたら、と期待していたのだが、まさにそのとおりになったわけである。この店長、バイトを育てるという発想がなく、辞めることより欠勤することの方をとにかく「規定にないから」問題視する、という思考に固着しているらしい。
この話を聞いて、僕はかなり暗い気分になった。もう何年も前から表面化していることだが、若い人達を取り巻く労働環境は、自分が若い頃に比べ、確実に悪くなっている。そのことをオジサン・オバサンは知っているが、若者の多くは…世の中こんなもんだ、と思ってしまうのか。
友達の娘さん(妹の方)には、もちろん悪い所がある。試験の予定とシフトがかぶっていることにもう少し早く気づけただろうし、自分で最後まで水をかぶろうとせず、お姉ちゃんに頼ってしまうことなど、まだ二十歳前だから仕方ないけれど、決して誉められた話ではない。
だがそれ以上に、若い女性店長の方がはるかに問題だ。彼女がそのなかで働くほかないシステムを作ったのは別の大人だが、そのシステムを真面目一本やりで遂行することで、自分ばかりか、自分より下の立場の人達をも苦しめる。
僕が若い頃は、バイトを休む時に、代行を立てる義務などなかった(当たり前だ…)。代行をマネージメントするのは社員や店長で、もちろんなるべくそれに協力し、自分から同僚に「悪いけど○○日代わってくれないか」と打診したりもしたけれど、別に規定でそうなっていたわけではない。ごく普通に職場の礼儀というか、人間関係の作法として「そうしなきゃ悪いよな」と思うからそうしただけで、決まらなければ最終的には社員という「上の人」がどうにかしてくれた。だって、「上の人」とはそういうもんだし、だからバイトより高い給料や各種の手当、保障も付いている。
実際自分が社員の立場になった時には、まさにバイトのわがままでこっちが修羅場を抱え込む、という経験を何度もしたが、それでバイト個人を恨むようなことはしなかった。バイトとはそういうもんだと思っていたから、恨むという発想自体がなかった。
もしそれが頻繁なら、そのバイトには個人的に事情を聞いたり注意を与えたり、最悪規定違反で減給するぞと脅すこともできた。あるいはそれが特定のバイトに限らず起こり続ける事態なら、その職場の構造的な問題なのだから、それを改善するのも社員の仕事である。バイトが足りない、あるいは仕事の能率が悪いということを、バイトだけのせいにしている社員がいるなら、「自分は無能です」と宣言しているようなものだ。
上の話の店長のように、規定でそうなっているんだからバイト同士で片付けろと要求するなら、バイトにもその店長並の待遇を保証するか、逆に店長の待遇もバイト並にすべきではないかと思う。だって、その程度の仕事しかしていないんだから。
それにしても、「一番迷惑を受けるのはお客様」などという歯の浮くセリフは、かなり日本特有といってもいい、おためごかしではないだろうか。
僕ならこの店長に、「あんた、それを本当に信じてるのか」と問い質す。信じているはずがなかろう。だって、その店がサービスが悪くて不満なら、ほかの店に行けばいいだけだ。それともこの世においしい飲食店はここ一軒だけ、と思っているのか。
また、たかがバイト一人が減ったくらいで、サービスの質がガクンと落ちる店など、その店の在りよう自体が根本的におかしい。それをバイト一人のせいにする店長がいたら、その店長が誰よりダメな人、能無しなのである。
そんな、まともな人間なら信じられない綺麗ごとのおためごかしが、しかし「会社の方針」としてマニュアル化されていると、それを信じ(信じるふりをし)、それと一体化しているごとく行動する。日本の企業社会特有の、いまだ治癒されない病理。こういう気色悪さと同化しなければ、出世が見込めない業界というのが、いまだ多いのだろうか。
現実には理不尽なことも、企業の論理=雇用者の論理のなかでは筋の通った揺るぎないもの、自分をそこに預けてしまえるもの、に見える。別の言い方をすれば、企業の論理=雇用者の論理はもともと自分勝手なものだが、現実社会の「公共の論理」や「民主主義」と折り合いをつけ、ほどほどに機能している分には問題もあまり起きない。それが不況時などで余裕がなくなり、様々な遊びの部分(それが企業の例外的にヒューマンな部分だったりする)を切り捨て、利潤確保にひた走らなければならなくなると、社会から遊離し、自分勝手で自己賛美的・自家撞着的な傾向の増殖に歯止めがかからなくなる。
若き店長の「お客様のため」というエクスキューズは、まさに傲慢で滑稽な企業論理の本性がひょっこり躍り出たものである。
たとえば、もし自己主張の激しい(ある意味イタい)アーティストなどが、「俺が創作をやめたら人類にとっての損害だ」などと言い放っても、一種のユーモアとして人々は受け取るだろう。「また大げさなこと言ってやがる」と笑う人もいれば、「そういう自信過剰なところが彼のいいところだ」と感心する人もいる、という具合に。
だがそれと、企業がその全体主義的な構造を通じて、末端の社員にまで、「我々の頑張りが足りないことすなわちお客様(国民だったり国家だったりもする)にとっての損害だ」みたいな、一見高度なサービス精神や使命感を装ったモットーを押し付け・浸透させていることとは、まったく意味が違う。その内実が示しているのは、そういう歯の浮くモットーをいう企業こそ顧客を馬鹿にしている、ということだ。しょせん従業員を大事にしない企業は顧客も人とは思っていない、ただの金づるとしか思っていないのだ。
この店長はきっと、前の店長より業績を上げなければいけないという使命に燃えて、頑張っている。かなり真面目な人なんだろう。
でも、このまま生真面目に職務に励んでいれば、給与は上がるかもしれないが、いずれ精神に変調をきたすだろう。会社が押し付けてくる論理と、現実の社会、すなわち従業員たちとのはざまで矛盾が蓄積し、出社拒否をするようになるだろう。日本社会の、今は見慣れた光景だ。自分をもっと大事にしたい、してほしいと願ってそうした選択に行き着いた人を、誰も責められない。
逆にそうならずに、順調に上の地位へと出世していくなら、人としての何かが確実に腐っていくだろう。
ともあれ、娘さんのお姉さんのほう、偉いなあと思った。自分が彼女と同じ年齢の時、こんなふうに上の人と渡り合えただろうか。おそらく、言い返せずウジウジと引き下がるか、反対にブチ切れて話し合いをぶち壊してしまったか、どちらかだろうという気がする。
いつもはこの長女のことを「いい加減で、ふらふらしてる困った子」と愚痴をこぼすことの多い女友達が、この話だけは自慢げに話してくれたのだった。
彼女の大学1年生の娘さん(次女)が、少し前から某ファスト・フード店でアルバイトを始めた。いろいろ失敗もしながら、そろそろ仕事も板についてきた頃、店長が変わった。面接を受けた前店長は男性だったが、新しい店長は幾分若い、30歳前後の女性。その店長になってから、バイトに行くのがおっくうになってしまった。なんでも、前店長に比べて人に厳しい、はっきり言って「ヤな感じ」の人なのだと言う。
その娘さんが最近、バイトのシフトを入れた日に、急遽決まった(変更があった)大学の試験の日が重なってしまった。
休む場合、その店の規定では、同じ店のバイト仲間の誰かに頼んで、代行に入ってもらわねばならない(それを自分で打診し、セッティングしなければならない)。ところが、もう日が近いこともあって、代行可能な同僚がいなかった。おそるおそる店長に、「代行が見つからなかったが、どうしても試験があるので○曜日は休ませてほしい」と頭を下げた。
答えは「NO」。規定で決まっている以上、許されない、の一点張り。
社会経験に乏しく、なかなか思っていることを言えないタイプの娘さん、困り果ててお姉さん(長女)に泣きついた。この姉さんは妹とは違い、頭が回るというか口が回るというか、とにかく堂々と大人相手に話ができるノリのいい人。めんどくせーと思いながらも、妹の頼みを引き受けた。「お父さんお母さんには内緒で」という願いも聞き入れて。というのも、先頃「バイトをやめたい」と口走って、母親(僕の友達)からたしなめられたばかりだから、親には言えないと思い込んで、一人で悩んでいたのだ(ということも、後日この姉が母親にこっそり報告した)。
それで姉妹は揃って店に行き、もっぱら姉が店長と直談判を試みた。
姉さんはまず、「本当に申し訳ないが、学生の本分はやはり勉強であって、学業に支障をきたしてまでアルバイトさせるわけにもいかない、○曜日の件はどうか勘弁してやってほしい」というような趣旨で詫びを入れたという。
対して店長は、勤務規定書のようなものを持ち出し、「決まっていることだから譲れない」と杓子定規に返すばかり。
最悪だったのは、この店長、自分より年下の姉さんを見下すように、「世の中ってそういうもんじゃないんですよ」という説教を、自信満々の調子で話すことだった。
「いいですか。もし妹さんがシフトの穴をあけてしまったら、誰に迷惑がかかると思いますか?私ですか?ほかの店員ですか?お店ですか?いえいえ。そうではありません。本来やるはずの仕事に妹さんが来ないせいで、迷惑を被るのはお客様なんですよ。本来受けるはずのサービスを受けられなかった、お客様なんですよ」──ワタシはそれだけ、あなたより広い観点から物を申しているんですよ、どうです、びっくりしましたか?と。
これにはさすがに姉御さんもイーッとなってしまい、「じゃあ試験を受けられなかったことで妹が受ける損害を、あなたはどう責任取ってくれるんですか?」と尋ねた。すると店長は、「そんなの私の知ったことじゃない」とあっさりのたまった。
うわ、だめだこいつ話になんねー、と姉さんは頭を切り替え、理屈で納得してもらうことをあきらめた。結局のところ謝りに謝って、○曜日は何と言おうと休ませてもらう、という妥協を、なんとか強引に引き出した。そしてこのような条件の下ではバイト続行は不可能なので辞めさせてもらう、ただしすぐに辞めるのはそれこそ規定違反だろうから、規定通り○月○日まではしっかり勤め上げる、ということになった。こちらはさほど抵抗なく、決まった。妹さんによると、バイトの首を切るのがやたら早い店長なので、自分もいっそこの件で辞められたら、と期待していたのだが、まさにそのとおりになったわけである。この店長、バイトを育てるという発想がなく、辞めることより欠勤することの方をとにかく「規定にないから」問題視する、という思考に固着しているらしい。
この話を聞いて、僕はかなり暗い気分になった。もう何年も前から表面化していることだが、若い人達を取り巻く労働環境は、自分が若い頃に比べ、確実に悪くなっている。そのことをオジサン・オバサンは知っているが、若者の多くは…世の中こんなもんだ、と思ってしまうのか。
友達の娘さん(妹の方)には、もちろん悪い所がある。試験の予定とシフトがかぶっていることにもう少し早く気づけただろうし、自分で最後まで水をかぶろうとせず、お姉ちゃんに頼ってしまうことなど、まだ二十歳前だから仕方ないけれど、決して誉められた話ではない。
だがそれ以上に、若い女性店長の方がはるかに問題だ。彼女がそのなかで働くほかないシステムを作ったのは別の大人だが、そのシステムを真面目一本やりで遂行することで、自分ばかりか、自分より下の立場の人達をも苦しめる。
僕が若い頃は、バイトを休む時に、代行を立てる義務などなかった(当たり前だ…)。代行をマネージメントするのは社員や店長で、もちろんなるべくそれに協力し、自分から同僚に「悪いけど○○日代わってくれないか」と打診したりもしたけれど、別に規定でそうなっていたわけではない。ごく普通に職場の礼儀というか、人間関係の作法として「そうしなきゃ悪いよな」と思うからそうしただけで、決まらなければ最終的には社員という「上の人」がどうにかしてくれた。だって、「上の人」とはそういうもんだし、だからバイトより高い給料や各種の手当、保障も付いている。
実際自分が社員の立場になった時には、まさにバイトのわがままでこっちが修羅場を抱え込む、という経験を何度もしたが、それでバイト個人を恨むようなことはしなかった。バイトとはそういうもんだと思っていたから、恨むという発想自体がなかった。
もしそれが頻繁なら、そのバイトには個人的に事情を聞いたり注意を与えたり、最悪規定違反で減給するぞと脅すこともできた。あるいはそれが特定のバイトに限らず起こり続ける事態なら、その職場の構造的な問題なのだから、それを改善するのも社員の仕事である。バイトが足りない、あるいは仕事の能率が悪いということを、バイトだけのせいにしている社員がいるなら、「自分は無能です」と宣言しているようなものだ。
上の話の店長のように、規定でそうなっているんだからバイト同士で片付けろと要求するなら、バイトにもその店長並の待遇を保証するか、逆に店長の待遇もバイト並にすべきではないかと思う。だって、その程度の仕事しかしていないんだから。
それにしても、「一番迷惑を受けるのはお客様」などという歯の浮くセリフは、かなり日本特有といってもいい、おためごかしではないだろうか。
僕ならこの店長に、「あんた、それを本当に信じてるのか」と問い質す。信じているはずがなかろう。だって、その店がサービスが悪くて不満なら、ほかの店に行けばいいだけだ。それともこの世においしい飲食店はここ一軒だけ、と思っているのか。
また、たかがバイト一人が減ったくらいで、サービスの質がガクンと落ちる店など、その店の在りよう自体が根本的におかしい。それをバイト一人のせいにする店長がいたら、その店長が誰よりダメな人、能無しなのである。
そんな、まともな人間なら信じられない綺麗ごとのおためごかしが、しかし「会社の方針」としてマニュアル化されていると、それを信じ(信じるふりをし)、それと一体化しているごとく行動する。日本の企業社会特有の、いまだ治癒されない病理。こういう気色悪さと同化しなければ、出世が見込めない業界というのが、いまだ多いのだろうか。
現実には理不尽なことも、企業の論理=雇用者の論理のなかでは筋の通った揺るぎないもの、自分をそこに預けてしまえるもの、に見える。別の言い方をすれば、企業の論理=雇用者の論理はもともと自分勝手なものだが、現実社会の「公共の論理」や「民主主義」と折り合いをつけ、ほどほどに機能している分には問題もあまり起きない。それが不況時などで余裕がなくなり、様々な遊びの部分(それが企業の例外的にヒューマンな部分だったりする)を切り捨て、利潤確保にひた走らなければならなくなると、社会から遊離し、自分勝手で自己賛美的・自家撞着的な傾向の増殖に歯止めがかからなくなる。
若き店長の「お客様のため」というエクスキューズは、まさに傲慢で滑稽な企業論理の本性がひょっこり躍り出たものである。
たとえば、もし自己主張の激しい(ある意味イタい)アーティストなどが、「俺が創作をやめたら人類にとっての損害だ」などと言い放っても、一種のユーモアとして人々は受け取るだろう。「また大げさなこと言ってやがる」と笑う人もいれば、「そういう自信過剰なところが彼のいいところだ」と感心する人もいる、という具合に。
だがそれと、企業がその全体主義的な構造を通じて、末端の社員にまで、「我々の頑張りが足りないことすなわちお客様(国民だったり国家だったりもする)にとっての損害だ」みたいな、一見高度なサービス精神や使命感を装ったモットーを押し付け・浸透させていることとは、まったく意味が違う。その内実が示しているのは、そういう歯の浮くモットーをいう企業こそ顧客を馬鹿にしている、ということだ。しょせん従業員を大事にしない企業は顧客も人とは思っていない、ただの金づるとしか思っていないのだ。
この店長はきっと、前の店長より業績を上げなければいけないという使命に燃えて、頑張っている。かなり真面目な人なんだろう。
でも、このまま生真面目に職務に励んでいれば、給与は上がるかもしれないが、いずれ精神に変調をきたすだろう。会社が押し付けてくる論理と、現実の社会、すなわち従業員たちとのはざまで矛盾が蓄積し、出社拒否をするようになるだろう。日本社会の、今は見慣れた光景だ。自分をもっと大事にしたい、してほしいと願ってそうした選択に行き着いた人を、誰も責められない。
逆にそうならずに、順調に上の地位へと出世していくなら、人としての何かが確実に腐っていくだろう。
ともあれ、娘さんのお姉さんのほう、偉いなあと思った。自分が彼女と同じ年齢の時、こんなふうに上の人と渡り合えただろうか。おそらく、言い返せずウジウジと引き下がるか、反対にブチ切れて話し合いをぶち壊してしまったか、どちらかだろうという気がする。
いつもはこの長女のことを「いい加減で、ふらふらしてる困った子」と愚痴をこぼすことの多い女友達が、この話だけは自慢げに話してくれたのだった。
それで子供が怪我しても「私は関係ない」って思うのでしょうか?そんな人間でいいのか?
って思ったんですよね。
管理人さんの
>従業員を大事にしない企業は顧客も人とは思っていない
という言葉をしみじみ感じました。
いずれにしろ、命令遂行のその先っていうのを想像できないっていうのが問題だとして、それを金もらってるから当然やるって答える人も問題ありますけど、金のためじゃなく、「国家理念のため」だったらやる、っていうタイプの人は、たとえば官僚と呼ばれる人たちがおおむねそうです。つまり、イマジネーションという面で学生と大差ないわけ。ですが、「金のため」って言ったら外聞悪くても、国のためだったらできる、っていうのは、わりあい世間で広く受け入れられている現実ではあるんですよね。
その両者が手を結んでやってきたのが我が国なのなだあと、ここんところの(原発/汚染問題の)対政府交渉で官僚の答弁を間近に聞いて、痛感しました。両者っていうのはつまり、前者が電力会社、後者が国(官僚)、っていうことですが。
根本に「イマジネーションの欠如」というのがあるのでしょうか。相手の立場を考える、とか自分のしたことがどういう事態になるのか、とか。
>金もらってるから当然やるって
実際にそういう事態になった時に、自分がどう感じるのか(嫌な気分になる)も考えてなくて答えているところもあるのでしょうか。
電力会社と政府の関係って時代劇なんかでよくみる「悪代官と悪徳商人」と同じだよな~と思いました。